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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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父から届いた針 2

 夜明けまで、黒い靄は戻らなかった。

 だが、封印箱の札は薄く灰色に曇ったままだった。

 ミラは朝の光が窓から差し込むと同時に、記録帳を開いた。

 ――深夜、床下より黒靄侵入。坑道方面から地中を伝う気配。

 ――封印箱、外部反応あり。札の灰色化。箱外への漏出はなし。

 ――白花、白石粉、泉の水により簡易防御。黒靄は後退。消滅ではなく撤退の印象。

 ――エリオットさん、右腕反応あり。痛み三から一時四近く。右手指動きかけるも制止可能。

 ――坑道側の何かが、こちらの治癒と封印箱を認識した可能性。

 書き終えて、ミラは筆を止めた。

 これをライヘルに送りたい。

 父にも。

 オルガにも。

 誰でもいい、詳しい人に。

 だが、ここはグレイル村だ。

 王都は遠い。

 リンドルからの便も、すぐには届かない。

 そう思った時、外から馬車の音が聞こえた。

 村の朝にしては、少し早い。

 エリオットが入口側で顔を上げる。

「荷馬車だ」

「村の方ですか?」

「分からない。だが、馬は一頭。急いできた音ではない」

 ミラは外套を羽織り、外へ出た。

 村の広場に、小さな炭焼きの荷馬車が入ってきていた。御者台の男は眠そうな顔をしているが、荷台には炭袋と木箱が積まれている。

 村長が応対していた。

「リンドルから?」

「ああ。魔道具屋の店主から、ミラ・コックスさんへ急ぎの荷だってよ」

 ミラは息を呑んだ。

「私に?」

 御者は荷台から小さな箱を降ろした。

 外箱には、見覚えのない丁寧な字で書かれている。

 ――旅用乾燥器部品一式。

 ――ミラ・コックスへ。

 ――リンドル魔道具店経由。

 その下に、小さく父の工房印が押されていた。

 オリヴァー・コックス工房。

「父さん……」

 ミラの声が震えた。

 エリオットも背後から近づき、箱を見た。

「君の父親からか」

「はい」

 ミラはすぐに箱を受け取った。

 封は丁寧だ。

 外から危険な反応はない。

 けれど、ただの部品ではないことは分かった。

 父が、何かを送ってくれた。

 きっと、ミラの手紙が届いたのだ。

   

 空き家へ戻り、ミラは慎重に箱を開けた。

 中には、布に包まれた道具が整然と収められていた。

 鉛銀と白石を組み合わせた補強輪。

 細い針のような魔道具。

 白石粉を縫い込んだ厚手の隔離布。

 内側に遮断布を仕込んだ革の携行袋。

 追加の封印札。

 白石粉の小袋。

 そして、二通の手紙。

 ミラはまず、父の手紙を開いた。

 ――ミラへ。

 ――まず、無事でいることを信じています。けれど、父親としては心配でたまりません。危険なものを持ち歩くなら、必ず以下の手順を守ること。

 その一文を読んだだけで、胸が詰まった。

 父らしい。

 心配している。

 でも、ただ戻れとは書かない。

 代わりに、道具と手順を送ってくる。

 ミラは読み進めた。

 反応針の見方。

 薄曇り、黒変、震動の三段階。

 封印箱の補強方法。

 隔離布の使い方。

 悪夢、寒気、頭痛、護符やペンダントの過剰反応があれば、箱を身体から離すこと。

 最後の方で、文字が少しだけ父親のものに戻った。

 ――父さんは、君が人の痛みを放っておけない子だと知っています。けれど、君自身も父さんの大事な娘です。患者を守るために、自分の身を危険に晒しすぎないこと。

 ――王都の物差しが測れなかった君の手を、危険なものに奪わせるつもりはありません。

 ミラは手紙を握りしめた。

 泣くつもりはなかった。

 けれど、目の奥が熱くなる。

「ミラ」

 エリオットの声がそっと落ちた。

「大丈夫か」

「はい」

 そう答えた声は、少し震えていた。

「父さんらしい手紙です」

 エリオットは何も言わなかった。

 ただ、少しだけ目を伏せた。

 ミラは次に、ライヘルの手紙を開いた。

 こちらは簡潔だった。

 ――標本B確認。患者Eとの近似反応は重大。標本Aの携行は危険だが、証拠価値あり。深追い禁止。通常便使用不可。次に便を出す場合は工房経由推奨。

 ――患者Eの右腕について、発熱、痛み、護符反応、白刃状光の発現条件を継続記録すること。

 ――患者Eの旧知の者が症例経過を尋ねている。記録と行き先の扱いに注意。

 ――ミラ、自分の睡眠と食事も記録対象に入れなさい。

 ミラは最後の一文で、思わず小さく笑いそうになった。

 けれど、その前の一文で笑みは止まった。

 患者Eの旧知の者が症例経過を尋ねている。

 エリオットもその文字を見ていた。

「旧知の者……」

 彼の声が硬くなる。

「騎士団か」

「兄さんがこう書くということは、王都で誰かがエリオットさんの状態を探っている可能性があります」

「両親が巻き込まれている?」

 ミラはすぐには答えられなかった。

 エリオットの顔から血の気が引いていく。

「俺のせいで」

「違います」

 ミラは即座に言った。

 エリオットが彼女を見る。

「違います。ご両親が探られたとしても、それはあなたが悪いからではありません。あなたを壊した人たちが、またあなたを探っているんです」

「だが、俺が回復し始めたから」

「回復することは悪いことではありません」

 ミラの声は、思ったより強く出た。

「あなたの指が動いたことも、旅に出たことも、治療を続けていることも、悪いことではありません」

 エリオットは黙った。

 ミラは手紙を握ったまま続ける。

「もし仮に、ご両親を探るような動きがあったのだとしても、ご両親はあなたを守るために詳しいことを話さなかったのだと思います。兄さんがそれを知らせてくれたのは、私たちが警戒するためです。あなたが自分を責めるためではありません」

 エリオットは長い間、何も言わなかった。

 やがて、低く息を吐く。

「……君は、そういう時だけ強い」

「いつも強いわけではありません」

「知っている」

 その返事に、ミラは少しだけ驚いた。

 エリオットは視線を逸らした。

「昨日、怖いかと聞かれた。怖いと答えた。君も怖いんだろう」

「はい」

「でも、必要な時には強く言う」

 彼は右腕を見下ろした。

「俺も、そうなりたい」

 ミラは胸の奥が静かに震えるのを感じた。

「なれます」

 エリオットは小さく首を振った。

「まだ分からない」

「では、記録します。そうなろうとしている、と」

「それは治療記録ではない」

「心の治療記録です」

 エリオットは、こんな時なのに少しだけ困ったような顔をした。

「範囲が広すぎる」

「旅治療師なので」

 

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