風上の診療所 4
夕方、ミラは村長の家で簡単な説明をした。
患者たちは全員、坑道付近の作業歴があること。
作業着と靴に黒い粉が付着している者が多いこと。
坑道の入口には誰も近づけないこと。
風向きが変わる日は、窓を閉め、布で口元を覆うこと。
そして、明日以降も治療を続けるが、原因地へ無理に入るつもりはないこと。
「坑道の中を調べないのですか」
村長が不安そうに尋ねた。
ミラは首を横に振った。
「今の私たちだけでは危険です。入口周辺の確認は必要ですが、中へ入るのは準備が足りません」
「でも、原因が中にあるなら」
「だからこそ、無理に入ってはいけません。私たちが倒れたら、治療できる人がいなくなります」
エリオットが静かに頷いた。
「その通りです」
元騎士の声には、村長を落ち着かせる力があった。
村長はしばらく黙り、やがて頷いた。
「分かりました。坑道へは誰も近づけません」
「お願いします」
その夜、ミラとエリオットは村長が用意してくれた空き家に入った。
前の村やリンドルの宿と同じように、部屋は分けられている。
ただし、今回は診療道具と封印箱を置く部屋を中央にし、ミラは奥、エリオットは入口側の部屋を使うことになった。
エリオットが自分からそう申し出た。
「何かあれば、先に気づける位置にいた方がいい」
「エリオットさんも患者です」
「分かっている。だが、入口側に寝るだけなら右腕は使わない」
ミラは少し考え、頷いた。
「では、痛みが強くなったら必ず呼んでください」
「ああ」
その前に、もちろん診察だった。
「痛みは?」
「三。動かすと四に近い」
「熱は肘まで。今日はかなり負担がかかっています」
「見るだけでも負担になるんだな」
「はい。おそらく、瘴気を感じ取る時に右腕の魔力路も反応しています」
「断たなくても?」
「断とうとする準備をしてしまうのかもしれません」
エリオットは右腕を見下ろした。
「厄介だな」
「でも、位置を教えてくれたおかげで患者さんたちは楽になりました」
「俺は、見ていただけだ」
「見つけることが必要でした」
ミラは迷わず言った。
エリオットは目を伏せた。
「……そうか」
「はい」
ミラは湿布を当て、改良帯を少し緩めた。
「今日はこれ以上、黒い気配を見ないでください」
「見ないで済むならな」
「努力してください」
「努力する」
短く答えたあと、エリオットはふと思い出したように言った。
「村の端にいた男」
ミラの手が止まる。
「リンドルで感じた視線と同じ、と言っていましたね」
「ああ。あの男は、俺たちを見ていた」
「追ってきたのでしょうか」
「おそらく」
「目的は?」
「分からない。だが、襲うつもりなら今日の混乱で動けた。そうしなかった」
「見ていた?」
「たぶん」
ミラは封印箱へ視線を向けた。
「私たちが何をするかを」
「そう思う」
部屋の空気が重くなる。
治療している姿を見られていた。
エリオットが瘴気の位置を言い当てるところも。
ミラが黒い棘を押し出すところも。
右腕が反応しかけたところも。
ミラは唇を引き結んだ。
「明日から、外で治療する時は人の配置を考えます」
「俺は入口が見える位置にいる」
「右腕に負担がかからない範囲で」
「ああ」
「村長にも、見慣れない旅人に注意するよう伝えます」
「そうしてくれ」
ミラは帳面を開いた。
今日の記録は長くなる。
グレイル村到着。
咳症状多数。
坑道付近作業歴。
黒い粉。
患者体内の黒い棘。
集会所床下の反応。
村の端にいた不審な男。
エリオットの右腕反応。
治療は一部成功、ただし原因残存。
筆を走らせながら、ミラは思った。
これはもう、ただの治療旅ではない。
けれど、目の前に患者がいる限り、治療師であることは変わらない。
その頃、村の外れにある古い炭焼き小屋の影で、リンドルから来た男は小さな紙片に報告を書いていた。
字は粗い。
だが、内容は十分だった。
――若い治療師、黒熱患者の症状を見抜く。
――白い光で体内の黒い棘を排出。
――右腕負傷の大男、瘴気位置を感知。
――護符反応あり。右腕、未回復だが反応あり。
――黒い核を携行している可能性高。
――坑道の仕掛け、治療時に反応。治療師を狙うような動きあり。
男は紙を折り、小さな筒へ入れた。
それを、闇に慣れた伝書鳥の脚へ結ぶ。
「面白いもんを見つけたぜ」
男は低く笑った。
鳥が夜空へ飛び立つ。
向かう先は王都ではない。
まずは西の中継地。
そこから、黒い水晶盤の持ち主へ。
男は遠くの村の灯りを見た。
「さて、もう少し見せてもらうか」
灰色の風が、坑道の方から吹いてくる。
村の奥で、黒い口を開けた坑道は沈黙していた。
だが、その奥深くで。
ミラの白い治癒に触れた何かが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。




