風上の診療所 3
休憩の間、村長が水とパンを持ってきた。
彼の顔には不安が濃く出ている。
「治療師さん、これはやはり坑道のせいなんですか」
ミラはすぐには答えなかった。
断定するにはまだ早い。
けれど、無関係とはもう言えない。
「坑道付近の粉か風が、症状に関係している可能性が高いです」
「昔から粉塵はありました。でも、こんなふうに咳が広がったことは」
「最近、坑道付近に何か変わったことはありましたか?」
村長は考え込んだ。
「古い坑道の入口が、先日の雨で少し崩れました。それで、中に溜まっていた風が出るようになったとは聞いています」
「中へ入った人は?」
「炭焼きの若い者が、様子を見に少しだけ。あと、石切りの者が入口周辺を片づけました」
「黒い石や粉、黒布に包まれた箱などを見た人は?」
村長は首を振った。
「私は聞いていません。ただ……」
「ただ?」
「三日前の夜、村の外れを荷馬車が通ったという話があります。村には入らず、坑道道の方へ」
ミラとエリオットは視線を交わした。
黒い幌の荷馬車。
リンドルから西の鉱山道へ向かった馬車。
「誰か見ましたか」
「遠目に。黒い幌だったと」
エリオットの表情が硬くなった。
「坑道へ向かった?」
「おそらく。夜だったので、はっきりとは」
ミラは帳面に記録した。
――グレイル村。三日前夜、黒幌の荷馬車が坑道道方面へ。咳症状発生時期と一致の可能性。
エリオットが低く言う。
「村に置いていったのか」
「何かを?」
「あるいは、坑道へ運び込んだ」
空気が冷えた。
村長の顔が青ざめる。
「そんな、誰が何のために」
ミラは答えられなかった。
まだ、言えない。
だが、胸の奥では分かっていた。
これは偶然ではない。
午後の治療では、ミラは方法を少し変えた。
一人ずつ黒い棘を完全に抜くのではなく、重い症状の患者から、呼吸を楽にするために一部だけを緩める。
深く入り込んでいるものは無理に触らない。
黒い棘の位置を記録し、翌日以降に分けて治療する。
一気に治そうとすれば、坑道側の何かがまた反応するかもしれない。
ミラはその危険を避けた。
エリオットも、患者ごとに短く位置を告げるだけにした。
長く見つめすぎると右腕が熱を持つ。
それが分かってきたからだ。
「左胸、浅い。ひとつ」
「分かりました」
「喉の奥に絡んでいる。抜くなら少しずつ」
「はい」
「その患者は、背中にもある。今日は胸だけにした方がいい」
「そうします」
自然と、二人の呼吸が合っていく。
ミラが戻す。
エリオットが見つける。
ミラが包む。
エリオットが逃げる方向を伝える。
完全な治療ではない。
けれど、患者たちの呼吸は少しずつ楽になっていった。
村人たちの目が、二人を見る。
最初は不安と疑い。
やがて、驚き。
そして、祈るような期待。
その期待が、ミラの肩に重く乗った。
エリオットはそれに気づいた。
「ミラ」
「はい」
「全部、今日治そうとするな」
ミラは手を止めた。
「分かっています」
「本当に?」
「……分かっています」
エリオットは少しだけ彼女を見つめた。
「君は、困っている人がいると自分を後回しにする」
それは、誰かに言われたことのある言葉だった。
父。
兄。
たぶん、母にも。
ミラは小さく息を吐いた。
「では、今日の治療はあと一人で終わりにします」
「そうしてくれ」
「エリオットさんの腕も、あとで診ます」
「分かっている」
ミラは少しだけ笑った。
「最近、本当に素直ですね」
「君が聞く前に答えた方が早い」
「良い傾向です」
「褒めるな」
いつもの言葉。
けれど、その響きが少しだけ二人を支えた。




