風上の診療所 2
新しい診療所に最初に入ってきたのは、石切りの男だった。
名はバラム。
咳が二週間ほど続き、ここ数日は微熱もあるという。
ミラは胸の音を聞き、喉を見て、背中へ手を当てた。
エリオットは少し離れた位置から目を細める。
「背中に三つ」
「三つ?」
「右肩甲骨の下に一つ。背骨の脇に一つ。左の肋骨の下に一つ。どれも浅い」
ミラは魔力結晶を近づけた。
黒い筋が細く走る。
「粉を吸い込んだことで、魔力の流れに黒い棘のようなものが刺さっているようです」
患者が青ざめる。
「俺は、何か悪い病なのか?」
「悪いものを吸い込んでいます。でも、深く根を張る前に抜けば楽になります」
ミラは言い切った。
不安を広げないために。
そして、自分自身を落ち着かせるために。
彼女は白花の光を細く流した。
先ほどの集会所での反応を思い出し、出力は抑える。
強く一気に抜こうとしない。
黒い棘を包み、周囲の魔力路を傷つけないよう、少しずつ浮かせる。
「一つ目、少し動いた。右へ逃げる」
エリオットの声。
「はい」
「止まった。今」
ミラはその瞬間、白い光を絞った。
バラムが咳き込む。
黒い靄がわずかに口元から漏れる。
ミラは浄化布で受け止めた。
ひとつ。
またひとつ。
最後の棘は少し抵抗したが、エリオットの指示で位置を追えた。
治療が終わる頃、バラムは驚いたように胸を押さえた。
「息が、少し楽だ」
「今日は無理をしないでください。水を飲んで、身体を冷やさないように。明日もう一度診ます」
「ああ……ありがとう、治療師さん」
ミラは小さく頷いた。
成功した。
ただし、一人だけでこれだけ集中力を使う。
患者は十人以上。
しかも、原因はまだ村の中に残っている。
ミラは息を整え、次の患者を呼んだ。
二人目、三人目、四人目。
症状は似ていた。
咳。
微熱。
胸や背中の重さ。
手足の冷え。
共通していたのは、坑道跡の近くで作業をしたことだった。
ただ、黒い棘の位置は人によって違う。
胸にある者。背中にある者。喉の奥に絡む者。
ミラの治癒だけでは、位置を探すのに時間がかかる。
エリオットの感知が必要だった。
「喉じゃない。首の後ろだ」
「右肺の奥に二つ。浅い」
「それは動いていない。下の方だ」
「待て、ミラ。足元に落ちた」
そのたびに、ミラは反応した。
患者の体内から押し出された黒い靄が、床へ落ちそうになる。
それを浄化布で受ける。
布が灰色に曇れば、白花と泉の水で中和する。
一人を診るたびに、部屋の空気が少し重くなる。
ミラは窓を開け、風を通した。
それでも、黒い気配は完全には消えない。
エリオットの顔色も、少しずつ悪くなっていった。
ミラは四人目を診終えると、彼に向き直った。
「休憩です」
「まだ診られる」
「私も休みます」
エリオットは反論しかけて、止まった。
ミラが自分も休むと言ったからだ。
「……なら、休む」
「はい」
ミラは彼の右腕を確認した。
「痛みは?」
「三」
「熱は?」
「手首から肘まで。さっきより少し強い」
「今日は、あと二人までです」
「患者はまだいる」
「分かっています。でも、一度に全員は無理です」
「君は」
「私も休みます」
エリオットは押し黙った。
ミラの顔色も、確かによくない。
白花の力を細く使い続けるのは、体力を消耗する。
エリオットは低く言った。
「水を飲め」
ミラは目を瞬いた。
「はい」
「食事も」
「……はい」
「記録対象だろう」
その言葉に、ミラは思わず笑いそうになった。
兄に言われそうだと思っていたことを、今度はエリオットに言われている。
「では、記録します。治療師、休憩と水分補給」
「書くのか」
「書きます」
「なら俺も記録しろ。痛み三。熱、少し増加。まだ座っていられる」
ミラは手を止めた。
エリオットは視線を逸らす。
「……言えと言われたから言っただけだ」
ミラは静かに微笑んだ。
「とても良い報告です」
「褒めるな」
「褒めます」
小さなやり取り。
それだけで、張り詰めていた空気が少し和らいだ。
前話の後書きにも書かせていただきましたが、今週も更新強化週で一日三回更新します!
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