鉱山道の灰色 2
昼前、荷馬車は小さな泉のそばで休憩を取った。
泉といっても、前の村の祠にあったような清らかなものではない。岩の間から細く水が湧き、旅人が馬へ水を飲ませるために使う場所だった。
周囲には灰色の岩が多く、草もまばらだ。
ミラはそこでエリオットの右腕を確認した。
「痛みは?」
「二。跳ねた時に三」
「熱は手首に少し。肘までは上がっていません」
「改良帯のおかげだな」
「はい。父に見せたら、改良案を出しそうです」
「君の父親は魔道具職人だったな」
「はい。こういう補助具を見ると、たぶん細かいところを気にします」
ミラは少し笑った。
「肩紐の位置が悪いとか、固定具に遊びがあるとか」
「会ったことはないが、想像できる」
「私の父は、派手な魔術はあまり使いません。でも、道具を見る目はとても確かです」
エリオットは静かに聞いていた。
「君が落ちこぼれではないと言った人か」
ミラは少しだけ目を瞬いた。
以前、自分がそう話したことを、彼は覚えていたらしい。
「はい」
「いい父親だ」
「はい」
ミラは素直に頷いた。
その時、鞄の中で封印箱がかすかに震えた。
音はほとんどない。
だが、ミラの手に微かな振動が伝わった。
エリオットの護符が淡く光る。
「今のは」
「箱です」
ミラはすぐに鞄を開けた。
ただし、封印箱そのものは開けない。外側の札と布を確認する。
封印札は破れていない。
白花の布も黒ずんでいない。
だが、箱の角に貼った札の一枚が、ほんのわずかに灰色へ曇っていた。
「封印が弱まったわけではありません。でも、反応しています」
「この場所に?」
エリオットが周囲を見回す。
灰色の岩。
乾いた草。
泉。
古い道。
彼の表情が険しくなる。
「泉の向こう。あの岩の影」
ミラはそちらを見た。
大きな岩の根元に、黒い粉のようなものがわずかに残っている。
ただの鉱山砂にも見える。
だが、魔力結晶を近づけると、黒い筋が薄く走った。
「……同じ系統です」
ミラは低く言った。
御者が顔を青くする。
「グレイルの村の咳ってのに何か関係してるのか?」
「まだ分かりません」
ミラはすぐに答えた。
「ただ、この粉には触らないでください。馬も近づけない方がいいです」
エリオットが静かに立ち上がった。
「道沿いに落ちている」
「やはり、荷からこぼれたのでしょうか」
「おそらく。薄いが、方向がある。西へ続いている」
ミラは封じ布を取り出し、黒い粉を少量だけ回収した。
全部は無理だ。
道に散った粉を一つ一つ拾うことはできない。
それでも、記録する必要がある。
――鉱山道途中、泉付近。黒粉微量。封印箱反応。西方向へ痕跡継続の可能性。
書き終えると、エリオットが低く言った。
「グレイルへ行けば、もっとあるかもしれない」
「はい」
「引き返すか」
その問いに、ミラはしばらく答えなかった。
治療師としては、咳や微熱の患者がいる村へ行くべきだ。
けれど、黒い粉が道中にある以上、危険は確実に近づいている。
エリオットの腕も、封印箱も、まだ安定しているとは言い難い。
ミラは深く息を吸った。
「グレイル村までは行きます」
「いいのか」
「患者さんがいる可能性が高いです。ただし、村で強い反応があれば、滞在期間を考えます。無理に原因地へは行きません」
「分かった」
「エリオットさんも、右腕の反応が強くなったらすぐ言ってください」
「言う」
「黒い気配を感じても、一人で近づかないでください」
「分かっている」
「本当に」
「本当に」
返答は落ち着いていた。
ミラは頷く。
それでも、不安は消えなかった。




