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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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西の鉱山道へ 2

 リンドルの町役場は、広場に面した石造りの建物だった。

 旅治療師が次の依頼を確認するには、町役場か薬種屋、あるいは宿屋の主人に聞くのが早い。

 ミラが名乗ると、受付の中年女性はすぐに帳簿を開いた。

「ミラ・コックスさんですね。ああ、次の依頼がいくつか残っていますよ」

「近隣の村ですか?」

「ええ。東の小村が一件。南の農村が二件。あと……西の鉱山道の手前、グレイル村からも相談が来ています」

 ミラとエリオットは、ほぼ同時に顔を上げた。

「グレイル村?」

「昔の採掘場に近い村です。今は鉱山自体はほとんど閉じていますが、石切りや炭焼きで暮らしている人がいます」

「症状は?」

「咳と微熱が続く者が増えているそうです。特に坑道跡の近くで作業した人に多いとか。薬草ではあまりよくならないと」

 ミラの指が、帳面の端を強く押さえた。

 咳。

 微熱。

 坑道跡。

 西の鉱山道。

 黒い幌の荷馬車が向かった方角と重なる。

 ただの鉱山病かもしれない。

 古い坑道の埃や湿気が原因かもしれない。

 けれど、今の二人には、もうそれだけでは済ませられなかった。

「その依頼はいつ来ましたか」

「三日前です」

「黒い幌の荷馬車が町へ来た時期と近いですね」

 ミラが小さく呟くと、受付の女性が首を傾げた。

「何か?」

「いえ。確認です。グレイル村へ行く道は安全ですか?」

「昼間なら大丈夫です。ただ、古い鉱山道は道が悪いので、荷馬車だと揺れます。右腕に怪我をされているなら、少し注意が必要ですね」

 受付の女性はエリオットの腕を見て言った。

 エリオットは少しだけ目を伏せた。

 ミラはすぐに答える。

「移動は状態を見ながら判断します。グレイル村へ行く乗合馬車はありますか?」

「毎日はありません。明日の朝、石材を運ぶ馬車が出ます。途中までなら乗せてもらえるはずです」

「では、その便を確認します」

 ミラは依頼の写しを受け取った。

 紙には、グレイル村長の名と、簡単な症状、滞在希望日数が書かれている。

 希望滞在は三日から五日。

 ミラはそれを見て、静かに息を吸った。

「行きましょう」

 エリオットが言った。

 ミラは彼を見る。

「追跡ではありません」

「ああ」

「治療依頼です」

「分かっている」

「黒い馬車のことは、情報として頭に置くだけです。危険だと思ったら引き返します」

「分かった」

 エリオットは少し間を置いて、もう一度言った。

「分かっている。だから、行こう」

 その声は、焦りだけではなかった。

 自分が何かを見つけられるかもしれない。

 そして、誰かを助けられるかもしれない。

 その両方が混じっていた。

     

 町役場を出た後、二人は薬種屋と食料品店を回った。

 グレイル村は鉱山道の手前にあるため、薬草が不足している可能性が高い。ミラは咳止めに使う薬草、喉の炎症を抑える葉、肺に負担をかけない蒸気薬の材料を買い足した。

 エリオットは荷物を見て眉を寄せる。

「重くなる」

「必要なものです」

「俺が持つ」

「左手と背負い袋で持てる範囲ならお願いします。ただし、封印箱とは別にしてください」

「分かった」

 エリオットは以前よりも、荷物の持ち方をよく考えるようになっていた。

 右腕を使わない。

 左肩だけに負担をかけない。

 杖と荷物の重さのバランスを見る。

 ミラが何度も注意してきたことを、彼は少しずつ自分で判断し始めている。

 それが嬉しい。

 だが、ミラは同時に、少し怖くもあった。

 エリオットが回復している。

 守護騎士の力も、少しずつ反応している。

 黒い核は、その力に呼応する。

 そして、黒い幌の荷馬車の痕跡は、西へ続いている。

 前へ進めば進むほど、何かに近づいている気がした。

 何か危険なものに。

「ミラ」

 エリオットの声で、彼女は我に返った。

「はい」

「顔色が悪い」

「……考え事をしていました」

「休むか」

「大丈夫です」

 そう言った瞬間、エリオットの眉が動いた。

 ミラはすぐに言い直す。

「いえ、少し休みます」

 エリオットは驚いたように目を瞬いた。

「珍しいな」

「兄に、私自身の睡眠と食事も記録対象に入れろと言われそうな気がして」

「家族なら実際に言いそうだな」

「はい」

 二人は広場の端のベンチに座った。

 エリオットは左手で水筒を差し出す。

「飲め」

「ありがとうございます」

「治療師も水分を取るべきだ」

「言い方が私みたいです」

「君に言われ続けたからな」

 ミラは少し笑った。

 エリオットは、広場の人混みへ視線を向ける。

 その表情が、ふっと硬くなった。

「どうしました?」

「また、見られている気がする」

 ミラは水筒を持つ手を止めた。

「昨日の倉庫街の男ですか」

「分からない。視線だけだ。今は消えた」

「動かないでください」

「ああ」

 エリオットは、以前なら立ち上がっていたかもしれない。

 今はそうしない。

 ミラも振り返らなかった。

 広場の向こうでは、商人が荷を積み、子どもがパンを抱えて走り、旅人が宿を探している。

 その中に、誰かがいるのかもしれない。

 ただの思い過ごしかもしれない。

 だが、二人はもうそれを軽く扱えなかった。

「宿へ戻りましょう」

 ミラは静かに言った。

「買い物は?」

「必要なものは揃いました。あとは明日の馬車の確認だけです。宿の主人に頼めるかもしれません」

「分かった」

 エリオットは立ち上がる時、自然に周囲を見た。

 騎士だった頃の目。

 人の流れ。

 逃げ道。

 怪しい動き。

 荷馬車の位置。

 そして、ミラの立つ場所。

 彼は何も言わなかったが、歩く位置を少し変えた。

 ミラの右後ろ。

 何かあれば、左手で彼女を庇える位置。

 ミラはそれに気づいた。

 胸の奥が、ほんの少しだけ揺れる。

「エリオットさん」

「何だ」

「右腕は使わないでくださいね」

「……分かっている」

「庇うなら左手と身体で。無理なら逃げます」

「君は本当に、そこまで見るんだな」

「治療師なので」

「便利な言葉だ」

 そう返す声は、少しだけ柔らかかった。

  

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