指先から始める剣 2
午後の診療が一段落すると、ミラはエダの家を訪ねた。
村外れにある小さな家には、今日も軒先に薬草が吊るされている。風が吹くたび、乾いた葉が微かに鳴った。
扉を叩く前に、中から声がした。
「入りな、ミラ」
ミラは少し驚きながら扉を開けた。
「どうして私だと?」
「今日は来ると思っていたからね」
エダは炉端の椅子に座り、乾いた白花を小皿に分けていた。
「エリオットの腕に、また何か見えたんだろう」
ミラは言葉に詰まった。
エダには不思議なところがある。
何もかも見透かしているようで、けれど必要以上には踏み込まない。
ミラは椅子を借り、向かいに座った。
「白い光が見えました」
「白い光」
「私が治療に使う花のような光ではありません。細くて、鋭くて……刃のような光です」
エダの手が止まった。
ミラは続ける。
「黒い瘴気に抵抗しているように見えました。けれど、魔力路が壊れているから、うまく流れずに痛みになっているのだと思います」
「そうか」
エダは小皿を机に置いた。
その顔から、いつもの軽い笑みが消えている。
「エダさん。治癒の女神の伝承には、治癒の娘のほかにも何か出てきませんか」
「……あるよ」
低い声だった。
「ただ、その話はもうほとんど残っていない。村でも、知っている者はあたしくらいだろうね」
「聞かせてください」
ミラは身を乗り出した。
「それがエリオットさんの治療に関係するかもしれません」
エダはしばらく黙っていた。
やがて、古い棚から小さな木箱を取り出す。箱の中には、色褪せた布と、破れかけた紙片が入っていた。
「治癒の女神には、加護を授かった娘がいた。傷ついた者を本来あるべき姿へ導く“戻し手”の娘だ」
「はい」
「けれど、女神の泉を守っていたのは、その娘だけじゃない」
エダは紙片を広げた。
そこには、白い花の紋と、剣のような線が薄く描かれていた。
「守護騎士」
エダは静かに言った。
その言葉を聞いた瞬間、ミラの胸元のペンダントが微かに温もりを帯びた。
「守護騎士……」
「女神に仕えた騎士だよ。魔物を斬るだけではなく、瘴気や呪い、黒い術の核を断つ力を持っていたと言われている」
ミラは息を呑んだ。
瘴気を断つ。
黒い靄に抵抗する白い刃の光。
エリオットの腕の奥で見たものが、まざまざと蘇る。
「その騎士は、治癒の娘と共にいたんですか」
「伝承ではね。娘が戻す者なら、騎士は断つ者。壊れたものを戻すには、まず絡みついた魔を断たねばならないこともある」
エダは紙片に描かれた紋を指でなぞった。
「白花の娘、傷を戻す。
白刃の騎士、魔を断つ。
二つ揃いて、女神の道は開かれる」
ミラはその言葉を、胸の内で繰り返した。
白花の娘。
白刃の騎士。
二つ揃いて。
「……エリオットさんが、その守護騎士の血筋かもしれない、ということですか」
声が震えた。
エダはすぐには答えなかった。
「どうだろうね」
「でも」
「でも、あの子の家は古くからこの村にある。昔から祠の祭りにも関わっていた家だ。あの子が王都へ行く前、祖父さんはよく言っていたよ。バーンスタンの家の男は、剣を持つと別人のようになる、と。本当かどうかは知らないがね」
「祖父母はもう……」
「亡くなっている。あの子が王都にいた頃にね。だから、あの子は今、祖父母の家だったところで一人暮らしをしている」
ミラは静かに頷いた。
「両親は王都にいるんですね」
「ああ。エリオットが騎士団に入った時、あの子の両親も王都へ移った。父親は馬具や武具に関わる仕事をしていると聞いた。母親は仕立ての仕事だったかね」
エダは少し目を細めた。
「あの子が負傷した時、母親が村に手紙を寄越した。王都の治療師では腕が戻らない、何か守りになるものはないか、と」
「それで、護符を?」
「あたしが渡した。祠に古くから残っていたものだ。治す力があるとは言えなかった。ただ、悪いものを遠ざけるくらいはしてくれるかもしれないと思った」
ミラはエリオットの手首に巻かれている護符を思い出した。
あの護符は、彼の母の願いでもあったのだ。
王都で傷ついた息子を、せめて故郷の女神が守ってくれるように。
「護符は、瘴気の進行を抑えていたのかもしれません」
「そうかい」
「でも、それだけじゃないかもしれません」
ミラは紙片の剣の紋を見つめた。
「エリオットさんの腕の奥にある白い光は、もしかしたら……」
「守護騎士の力、かもしれないね」
エダが言葉を継いだ。
部屋の中が静かになった。
それは希望のようでもあり、重すぎる真実のようでもあった。
「エリオットさんには、まだ言わない方がいいと思います」
ミラはぽつりと言った。
「なぜだい」
「確証がありません。それに、彼は今、右腕を取り戻すことで精いっぱいです。そこへ伝説や血筋の話まで背負わせるのは……」
「優しいね」
「治療師としての判断です」
「そういうことにしておこうか」
エダは少し笑った。
ミラは頬が熱くなるのを感じ、視線を紙片へ戻した。
「この紋、写してもいいですか」
「ああ。持っていってもいいよ」
「いいんですか?」
「あたしが持っていても、もう長くは役に立たない。必要な者が持っていくべきだ」
エダは紙片をミラへ差し出した。
「ただし、気をつけな」
「何にですか」
「伝承は人を助けることもあるが、人を縛ることもある。エリオットを“守護騎士”として見る前に、ちゃんとエリオット本人を見ておやり」
ミラは紙片を受け取り、胸に抱いた。
「はい」
その答えだけは、迷わなかった。




