曇る反応針 2
その日の昼過ぎ、ライヘルは王立魔術院の古文書庫にいた。
オルガ・フェンネルはいつも通り資料管理室の机についていたが、机の上には普段より多くの目録が積まれていた。
「顔色が悪いね、コックス君」
「管理官も眠っていない顔です」
「年長者に余計なことを言うものじゃないよ」
いつもの調子だった。
だが、彼女の目は鋭い。
「工房の標本に反応が出ました」
ライヘルが低く言うと、オルガは手を止めた。
「漏れたのかい」
「いいえ。封印庫の外への漏出はありません。ただ、反応針が薄く曇りました」
「共鳴?」
「父もそう見ています」
「厄介だね」
オルガは椅子にもたれた。
「標本そのものを持ち込まなかった判断は正しい。魔術院内で共鳴反応が出れば、誰の目に触れるか分からない」
「セヴラン・ノックスの件は?」
「追加で調べたよ」
オルガは一枚の薄い紙を取り出した。
「セヴランは二年前、押収品分類記録だけでなく、治療不能症例の封印指定にも関わっている」
「エリオットの右腕ですか」
「名は伏せられていた。けれど、日付と症状が一致する。右上肢魔力路損傷、瘴気残留、騎士団所属者、治療不能判定」
ライヘルの拳が膝の上で握られる。
「やはり、つながりますね」
「つながる。だが、まだ証明には足りない」
「分かっています」
「それから」
オルガは目録の端を指で叩いた。
「押収品七点のうち、少なくとも一つは“治療院検査室”へ回された形跡がある」
「治療院?」
「王都治療院だよ。ミラさんが入れなかった、あの」
ライヘルの目が細くなった。
「なぜ治療院に瘴気封入触媒が」
「建前は、被害者治療のための症例研究。実際は分からない」
「誰が受け取ったんですか」
「受領者欄は削られている。ただ、検査室主任の署名欄に押印痕がある」
「読めますか」
「完全には。けれど、頭文字はMに見える」
「M……」
ライヘルは考え込む。
治療院側。
優秀な治療師。
禁術派に患者情報を流せる立場。
かつて話に上がった、マルグリット・ヴェインの名が脳裏をよぎる。
「まだ名を出すのは早い」
オルガが釘を刺した。
ライヘルは顔を上げる。
「分かっています」
「君は分かっていても、顔に出る」
「努力します」
「努力は信用ならないと言っただろう」
ライヘルは少しだけ苦い顔をした。
オルガはそれを見て、わずかに口元を緩めたが、すぐ真顔に戻る。
「コックス君。ここから先は、資料を探すだけでは済まない。人の名前が出始める」
「はい」
「名前は刃物だ。抜く時を間違えると、こちらが切られる」
低い声だった。
ライヘルは静かに頷いた。
「慎重に進めます」
「そうしなさい」
同じ頃、ユアン・クロフォードは騎士団の古い馬具庫にいた。
騎士団の正式記録室ではない。
遠征用の鞍や予備の馬具、古い荷車の修理記録が置かれている、地味な場所だ。
だが、こういう場所にこそ残る記録がある。
正式な戦闘報告書は消される。
任務記録は改ざんされる。
だが、馬の飼料数、荷車の車輪修理、夜間出入りの馬房記録までは、上層部が見落とすことがある。
ユアンは古い帳簿をめくっていた。
二年前。
南西辺境討伐任務。
エリオットが負傷した時期。
そこに、気になる記載があった。
――夜間搬入。黒塗り木箱七。
――荷車二台。
――馬房使用、臨時。
――担当補助、ヴィクトル・グレイン。
ユアンの表情が変わった。
「……ヴィクトル」
その名は、エリオットの同期たちの間でも評判がよくなかった。
実力はある。
だが、上に媚びる。
危険な任務では必ず安全な位置にいる。
エリオットの負傷後、不自然なほど早く昇進した。
ユアンは帳簿の写しを取ろうとしたが、足音に気づいて手を止めた。
誰かが近づいてくる。
彼は帳簿を閉じ、棚に戻すふりをした。
扉が開き、若い騎士が顔を出す。
「あれ、クロフォード卿。こんなところで何を?」
「古い遠征馬具の確認だ。最近、遠征装備の管理がずさんだと聞いたのでな」
「そうでしたか」
若い騎士は特に疑っていないようだった。
ユアンは自然な声で続ける。
「この馬具庫は湿気が多い。古い革が傷んでいる。管理担当に伝えておいてくれ」
「はい」
騎士が去る。
ユアンはしばらく待ち、足音が遠ざかったのを確認してから、再び帳簿を開いた。
黒塗り木箱七。
押収品七点と数が合う。
ユアンは、該当箇所を素早く写し取った。
「ライヘルに伝える必要があるな」
低く呟く。
だが、その名も、方法も、慎重に選ばなければならない。
騎士団の中にも、耳はある。




