表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
PR
63/193

曇る反応針 1


 オリヴァーは、夜明け前にもう一度、封印庫の前に立った。

 工房の奥は静かだった。

 表の作業場には誰もいない。弟子たちが来るまでには、まだ少し時間がある。

 封印庫の扉は閉じている。

 術式も乱れていない。

 外へ瘴気が漏れた形跡もない。

 それでも、扉の前に置いた反応針の先は、うっすらと曇っていた。

 黒く変わってはいない。

 震えてもいない。

 第一段階。

 観察継続。

 自分でそう決めた基準を、オリヴァーは頭の中で確かめる。

「……まだ漏れてはいない」

 小さく呟き、彼は封印庫の側面に手をかざした。

 熱はない。

 冷気もない。

 ただ、封印庫の内側で何かがほんのわずかに脈打つような気配がある。

 昨夜から何度か同じ反応があった。

 一定の間隔ではない。

 外部からの魔力干渉とも違う。

 まるで、遠く離れたどこかにある同質のものへ、微かに呼びかけているような。

「標本Bだけの反応じゃないな」

 オリヴァーは作業帳を開き、記録した。

 ――封印庫内標本B。

 ――反応針、薄曇り。黒変なし。震動なし。

――封印庫外への漏出なし。

 ――内側で微弱な周期反応あり。外部同系統触媒との共鳴可能性。

 書いてから、彼は眉間を押さえた。

 共鳴。

 もしそうなら、問題は工房内だけでは終わらない。

 ミラが持っている標本A。

 それと、王都に届いた微量標本Bが、同じ術式、同じ瘴気の系統を通じて呼び合っているのだとしたら。

 標本Aを持つミラの近くでも、何らかの異変が起きているかもしれない。

 オリヴァーは深く息を吐いた。

「落ち着け。焦って開ける方が危ない」

 自分に言い聞かせる。

 彼は封印庫の周囲に、昨夜作った追加の隔離布を一枚広げた。さらに白石粉を細く撒き、扉の前に二本目の反応針を置く。

 これで、外へ漏れればすぐ分かる。

 それから、工房の表に出て、弟子用の机に札を置いた。

 ――奥の小部屋には入らないこと。

 ――急ぎの修理以外は午後に回すこと。

 ――ライヘルが来たらすぐ奥へ通すこと。

 書き終えた時、工房の扉が叩かれた。

 早すぎる。

 オリヴァーは一瞬身構えたが、聞こえた声に肩の力を抜いた。

「父さん、僕です」

「ライヘル」

 扉を開けると、ライヘルが立っていた。

 顔色はよくない。

 おそらく、彼もあまり眠っていない。

「昨日の標本、反応が出たんですか」

「薄い反応だ。まだ外には漏れていない」

「見せてください」

「開けないよ」

「分かっています」

 即答だった。

 オリヴァーは少しだけ苦笑し、息子を奥の小部屋へ通した。

     

 封印庫の前に置かれた反応針を見て、ライヘルの表情が険しくなった。

「薄曇り……第一段階ですね」

「ああ。私がミラに送った説明書なら、観察継続の段階だ」

「でも、工房の封印庫でこの反応が出るのはおかしい」

「そうだね。標本B単体なら、ここまで保管すれば沈静化してもいいはずだ」

「つまり」

「どこかにある同系統の核と、微弱に共鳴している可能性がある」

 ライヘルは押し黙った。

 その「どこか」が、ミラの鞄の中かもしれない。

 言葉にしなくても、二人とも同じことを考えていた。

「ミラへ送った道具は?」

「今朝の職人便に乗せた。リンドルの魔道具屋に届くまで、早くて三日」

「その頃には、ミラたちはもう次の場所にいる可能性が高い」

「分かっている」

「追送できますか」

「店主に預ける形にはした。不在なら、次の転送先を聞いて回すように頼んである。けれど、確実ではない」

 ライヘルは唇を引き結んだ。

「現在地が分からないのが痛いですね」

「ミラは旅治療師だ。もともと、居場所が一つに固定される仕事ではない」

「だからこそ、敵にもすぐ見つからない」

「そう考えよう」

 オリヴァーは静かに言った。

 ライヘルは反応針を見つめたまま、低く答える。

「はい」

 少しの沈黙の後、ライヘルは外套の内側から紙束を取り出した。

「昨日、フェンネル管理官が見つけた資料です。本文は抜かれていましたが、貸出影と分類番号が残っていました」

「セヴラン・ノックスの名前があった件だね」

「はい。それに加えて、押収品の移送補助に関する古い控えがありました」

 ライヘルは紙を机に置く。

「二年前、南西辺境討伐任務後、押収品七点。分類名は“瘴気封入触媒”。王立魔術院付属保管庫へ移送予定」

「予定?」

「実際の保管記録がありません」

「途中で消えた」

「はい」

 オリヴァーは目を細めた。

「移送に関わった者は?」

「騎士団側の補助欄に、頭文字だけ残っていました」

 ライヘルは紙の一箇所を指で示した。

 そこには、古い筆跡で短く記されていた。

 ――補助:V.G.

「心当たりの名前は?」

 オリヴァーが聞く。

「まだ断定はできませんが、ヴィクトル・グレインという者が。ただ、ユアンに確認してもらう価値はあります」

「ガレスの名は?」

「出ていません。少なくともこの控えには」

「では、まだ上へ伸ばさない方がいいね」

「はい。ガレスの名前に直接触れるのは危険です」

 オリヴァーは頷いた。

「セヴラン・ノックス、ヴィクトル・グレイン。研究院側と騎士団側にそれぞれ接点がある」

「そしてミラが拾った黒い欠片は、エリオットの右腕の瘴気と近い」

「偶然にしては、線が揃いすぎている」

 ライヘルは、封印庫を見た。

「父さん。この標本Bは、工房に置き続けて大丈夫ですか」

「長期保管は避けたい」

「では」

「ただし、今すぐ別の場所へ動かす方が危険だ。魔術院へ持ち込むのは論外。王宮へ出すのも早すぎる。しばらくはここで抑える」

「父さん自身は」

「私は大丈夫だよ」

「大丈夫という人ほど危ないと、ミラなら言います」

 オリヴァーは一瞬黙った。

 それから、小さく笑った。

「それは手厳しい」

「僕もそう思います」

「では、こうしよう。封印庫の反応は一日三回記録する。薄曇り以上になったら、君とオルガ管理官に知らせる。黒変したら工房を一時閉める。震動したら、標本を第二隔離箱へ移す」

「第二隔離箱があるんですか」

「今から作る」

「父さん」

「だから、午前中の修理は全部午後に回す」

 ライヘルは深く息を吐いた。

 心配そうではあったが、止める言葉はなかった。

 オリヴァーはもう決めている。

 なら、止めるより安全策を増やす方がいい。

「分かりました。僕も手伝います」

「魔術院は?」

「午後に戻ります。先にフェンネル管理官へ伝言を出します」

「ユアン君へは?」

「今日中に連絡します。V.G.の確認と、当時の押収品移送の警備担当を調べてもらいます」

「慎重に」

「はい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ