父の道具 1
オリヴァーは、その夜、工房の灯りを落とさなかった。
表の作業場では弟子たちが帰り、修理待ちの魔力灯や浄水器が静かに並んでいる。王都の喧騒も、東区の夜が深まるにつれて少しずつ遠ざかっていた。
けれど、工房奥の小部屋だけは違った。
机の上には、ミラが送ってきた小瓶。
その隣には、透過盤と白石粉、鉛銀の薄板、封印糸、古い符号帳。
そして、ミラの手紙。
オリヴァーは何度もその手紙を読み返していた。
――標本Aは危険につき携行。
――患者Eの右腕反応と近似。
――封印箱を入手。携行しながら観察継続。
読み返すたびに、眉間の皺が深くなる。
「携行しながら観察、か……」
オリヴァーは低く呟いた。
娘らしい。
危険だと分かっている。
それでも、捨てられない。
誰かの治療に必要で、何かの真実に繋がるなら、抱えて進んでしまう。
父親としては、今すぐ手紙を書きたい。
危ないから捨てなさい。
すぐに王都へ戻りなさい。
その患者を連れて、信頼できる場所まで逃げなさい。
けれど、それを書いたところでミラは従わない。
ミラは優しいが、頑固だ。
そして、患者を途中で見捨てるような子ではない。
オリヴァーは深く息を吐いた。
「なら、叱るより先に道具だな」
そう言って、彼は作業台へ向き直った。
ライヘルが再び工房へ戻ってきた時、すでに深夜に近かった。
王立魔術院から持ち帰った写しと、オルガから受け取った古い分類番号の控えを手にしている。
「父さん、まだ起きて……何を作っているんですか」
作業台の上を見て、ライヘルは足を止めた。
小さな金属製の筒。
白石を挟み込んだ薄い輪。
幾重にも畳まれた布。
細い針のような魔道具。
そして、小さな革袋。
オリヴァーは細い工具を動かしながら答えた。
「ミラへ送る道具だよ」
「道具?」
「黒い核を持っているなら、手紙だけでは足りない。あの子は封印箱を買ったようだけど、旅先で買えるものには限界がある。補強具を送る」
ライヘルの顔が引き締まる。
「でも、ミラはもうリンドルを出ているかもしれません」
「そうだろうね」
「届くか分かりません」
「分かっている」
オリヴァーは手を止めずに言った。
「だから、リンドルの魔道具屋へ送る。ミラがまだいれば渡してもらう。出立していたら、次の便で追わせる。さらに控えを店に残してもらう」
「行き違いになります」
「なるだろうね」
「それでも?」
オリヴァーはようやく顔を上げた。
「届く手紙を書くんじゃない。届いた時に役立つ手紙を書くんだよ」
ライヘルは黙った。
その言葉には、研究者の急ぎ方とは違う重みがあった。
工房の人間は、壊れた道具を前に「なぜ今壊れた」と怒鳴らない。
次に壊れにくくする方法を考える。
オリヴァーは、そういう魔術師だった。
「何を送るんですか」
ライヘルが尋ねると、オリヴァーは机の上の品を一つずつ示した。
「まず、封印箱用の補強輪。鉛銀に白石を薄く挟んだものだ。箱の外側に巻いて固定する。揺れで封が緩むのを抑えられる」
「旅の馬車移動用ですね」
「そう。次に反応針。瘴気が漏れ始めると、針先が黒く曇る。強い反応なら震える」
「ミラがすぐ気づけますね」
「気づける。けれど、怖がりすぎないように、段階を三つにした。薄曇りなら観察。黒変なら封印補強。針が震えたら即時隔離」
ライヘルは感心したように小さく息を吐いた。
「父さんらしい」
「小言より役に立つだろう」
「小言も書くんでしょう」
「もちろん書く」
オリヴァーは何食わぬ顔で続けた。
「それから、隔離布。内側に白石粉を縫い込んである。黒い核の反応が強くなった時、箱ごと包める。完全封印ではないが、時間稼ぎにはなる」
「どのくらい」
「反応の強さによる。ミラの報告程度の核なら、半日から一日はもつはずだ」
「十分です」
「十分ではないよ。けれど、逃げる時間にはなる」
その言葉に、ライヘルの表情がわずかに曇った。
逃げる時間。
それが必要になるかもしれない物を、今ミラは持っている。
オリヴァーは息子の表情を見て、少しだけ声を柔らかくした。
「最後に、携行袋。外から見れば普通の革袋だが、内側に簡易遮断布を仕込んである。箱をこれに入れれば、多少は外への反応を隠せる」
「隠す?」
「そう。危険を封じるだけじゃない。見つかりにくくする」
ライヘルは眉を寄せた。
「父さん、そこまで考えて」
「ミラが送ってきた標本は、ただ危険なだけじゃない。誰かにとって、隠したいものだ。なら、それを持っているミラたちも見つからない方がいい」
オリヴァーの声は穏やかだった。
けれど、その目は父親のものだった。
「私は、娘に追われる旅をさせたくない」




