父の工房に届いたもの 2
ライヘル・コックスが工房に駆け込んできたのは、それから一刻も経たない頃だった。
王立魔術院の研究員服の上に外套を羽織り、息を少し乱している。いつもの冷静さは保っていたが、顔には明らかに緊張があった。
「父さん、ミラから何が届いたんですか」
「まず座りなさい」
「座っている場合ですか」
「座れないほど悪い話かどうか、これから判断する」
ライヘルは一瞬言葉を詰まらせた。
それから、深く息を吐いて椅子に座る。
オリヴァーは手紙を差し出した。
「読んで」
ライヘルはすぐに読み始めた。
最初は眉をひそめる程度だった。
だが、中ほどまで進むと、その表情が明らかに変わった。
「患者E……」
小さく呟く。
オリヴァーはそれを聞き逃さなかった。
「心当たりがあるんだね」
ライヘルは答えなかった。
だが沈黙が答えだった。
「随分と特殊な患者のようだ。おそらくだが、エリオット・バーンスタン」
ライヘルが顔を上げた。
「どうして」
「ミラが今、誰を診ているか。君も何か隠していた。ついでに、右腕反応と書いてある。二年前に右腕を負傷した元騎士で、ミラが旅先で関わりそうな患者はそう多くない」
「父さん」
「私は政治には疎いが、子どもたちの顔色くらいは読める」
オリヴァーの声は穏やかだった。
しかし、目は真剣だった。
「何が起きている」
ライヘルはしばらく黙った。
ミラに、内々にと言われている。
エリオットは研究対象ではなく患者だ。
情報を広げてはいけない。
だが、父はもう手紙を読んだ。
標本も見ている。
ここで曖昧にすれば、かえって危険だ。
ライヘルは低く言った。
「まだ断定はできません。ですが、エリオット・バーンスタンの負傷記録には不自然な欠落があります。試し石の反応記録には封印指定がかかっていました。瘴気分析の記録も抜き取られている」
オリヴァーの表情が険しくなる。
「騎士団の事故ではなかった可能性があるのか」
「はい」
「ミラは、それに関わっている?」
「エリオットを診ています。そして、おそらく彼の右腕を動かし始めている」
オリヴァーは目を閉じた。
深く息を吸う。
「……あの子は」
その声は、父親のものだった。
「困っている人を見つけると、放っておけない」
「はい」
「昔からそうだった」
「知っています」
「だから怖い」
ライヘルは何も言えなかった。
その怖さは、彼にもよく分かった。
オリヴァーは目を開け、机の上の小瓶を見た。
「標本を見た。まだ封は開けていない」
「開けないでください」
「もちろん。だが透過盤で確認した。これは自然に瘴気を吸った石じゃない」
「……」
「人為的な加工痕がある。瘴気を留めるための器として調整されている。ひどく雑ではない。むしろ、薄い標本なのに形が保たれている」
ライヘルの顔が硬くなる。
「エリオットの負傷記録から抜き取られていた瘴気分析と関係があるかもしれません」
「同じ系統か」
「可能性があります。ミラも、患者Eの右腕反応と近似と書いています」
オリヴァーは椅子に座り直した。
「ライヘル。これを魔術院へ持ち込むのは危険だ」
「分かっています」
「君はもう監視されているのか?」
ライヘルの顔がわずかに動いた。
オリヴァーは見逃さなかった。
「そうか」
「父さん」
「答えなくていい。答えなくても分かる」
オリヴァーは静かに言った。
「この標本は、しばらく工房で預かる。少なくとも、魔術院の通常検査室には入れない方がいい」
「ですが、分析には設備が」
「工房にもできることはある。魔術院の大掛かりな設備ほどではないが、封入術式の加工痕を見るなら、私の領分だ」
その言葉に、ライヘルは少しだけ驚いた。
オリヴァーは普段、王都の権力や研究競争とは距離を置いている。
だからこそ、ライヘルは父を巻き込みたくなかった。
だが、忘れていた。
父はただの穏やかな魔術師ではない。
魔道具を作り、直し、長く使える形に整える技術魔術師だ。
小さな加工の癖を見る目は、研究室の若手よりずっと鋭い。
「父さん、危険です」
「危険だから、工房で扱うんだよ」
「でも」
「ライヘル」
オリヴァーは、息子の言葉を静かに遮った。
「ミラがこれを送ってきた。君に読ませろと書いて。なら、これは家族の問題でもある」
「家族だけの問題ではありません」
「分かっている。だからなおさら、私も手伝う」
ライヘルは唇を引き結んだ。
「父さんを巻き込みたくなかった」
「それは君の優しさだね」
オリヴァーは柔らかく言った。
「でも、子どもに危険なものを一人で抱えさせる親はいないよ」
その言葉に、ライヘルは目を伏せた。
少しの間、工房の小部屋には沈黙が落ちた。
今週一週間は更新強化ウィークと題して、平日も一日三本ずつ更新していきます。
物語がどんどん進んでいきますので更新楽しみにしていてください!
更新時間:7:00/14:00/19:30




