父の工房に届いたもの 1
リンドルの街からミラの手紙が出されて数日後。
王都の東区にあるオリヴァー・コックスの工房は、朝から金属と油と魔力結晶の匂いに満ちていた。
王宮御用達の華やかな工房ではない。
大貴族が飾りの魔道具を注文するような場所でもない。
ここに並んでいるのは、農村で使われる簡易浄水器、旅人用の魔力灯、薬草を一定の温度で乾かす小型乾燥器、安価だが丈夫な保温石、壊れかけた結界柵の部品など。
生活に近い魔道具ばかりだった。
工房の主、オリヴァー・コックスは、作業台の前で古い魔力灯を分解していた。
年齢は五十に差しかかる頃。
茶色の髪には白いものが混じり、目元には細かな皺がある。整った顔立ちではあるが、貴族的な華やかさはない。柔らかい目と、長年道具を扱ってきた指先の傷が、彼という人間をよく表していた。
「ここの回路が焦げているな……」
オリヴァーは小さく呟き、細い工具で魔力線を持ち上げた。
弟子の少年が横から覗き込む。
「直りますか?」
「直る。けれど、焦げたところだけ繋ぎ直してもまた壊れるよ。これは使い方が荒いんじゃなくて、魔力の流し方が合っていない」
「じゃあ、持ち主の魔力量が強いんですか?」
「強いというより、波がある。たぶん年配の方が、孫と一緒に使っているんだろうね。大人と子どもで魔力の流し方が違う。調整しておけば、どちらでも使える」
少年は感心したように頷いた。
オリヴァーは少し笑う。
「魔道具は、人に合わせるものだ。人が道具に合わせすぎると、いつか無理が出る」
そう言って、ふと手を止めた。
娘のことを思い出したのだ。
ミラ・コックス。
王都の魔術学校では、平凡と評価された娘。
派手な魔術も、大規模な術式も得意ではなかった。
けれど、幼い頃からミラは人の痛みによく気づく子だった。
転んだ弟子の膝。
頭痛を隠す近所の老婆。
疲れを見せないようにしていた兄ライヘルの目元。
ミラの魔法は、王都の物差しでは測りにくかった。
だからオリヴァーは、何度も言った。
お前は落ちこぼれなんかじゃない。
王都の物差しが、お前の手を測れなかっただけだ。
その娘は今、旅治療師として地方を巡っている。
便りは時折届く。
どこの村で誰を診た。
薬草が足りない。
宿の食事が思ったより塩辛かった。
兄に送る報告書の書き方が細かすぎる。
そんな手紙だ。
だから、職人便の配達人が「リンドルから、コックス工房宛てです」と小さな荷を差し出した時、オリヴァーは最初、いつもの近況報告だと思った。
「リンドル?」
ただ、その地名には少しだけ覚えがあった。
ミラの兄であるライヘルからミラの近況を聞いたとき、次の便りはリンドルからくるだろうと言われていた。
「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
オリヴァーは手を拭き、作業台の端で小包を受け取った。
宛名は確かに自分宛て。
差出人はミラ。
けれど、封の仕方がいつもと違った。
魔術封ではない。
普通の蝋と糸。
しかも、外側に目立つ印はない。
ただ、工房で使う部品箱のように偽装されている。
オリヴァーの表情が、少しだけ変わった。
「……ミラ?」
娘が、ただの近況報告でこんな送り方をするはずがない。
彼は弟子に言った。
「少し奥で作業する。表の修理受付を見ていてくれるかい」
「はい」
オリヴァーは小包を持って、工房奥の小部屋へ入った。
そこは、繊細な魔道具や封印具を扱うための作業室だった。簡易の結界が張られており、外からの魔力干渉を受けにくい。
机の上を片づけ、手袋をはめる。
それから、慎重に小包を開いた。
中に入っていたのは、手紙と小さな木箱。
手紙の一行目を見た瞬間、オリヴァーの顔から穏やかな色が消えた。
――父さんへ。兄さんにも必ず読ませてください。
それだけで、ただごとではないと分かった。
オリヴァーは椅子に座り、手紙を読み進めた。
黒熱症状。
触媒片。
患者E。
右腕反応との近似。
標本Aは危険につき携行。
標本Bのみ送付。
読み終える頃には、彼の眉間に深い皺が刻まれていた。
「ミラ……何に関わっているんだ」
声は低かった。
父としては、すぐにでも娘を呼び戻したかった。
旅先でおそらく危険なものに触れている。
しかも、わざわざ患者名を伏せて、症例報告の形で送ってきている。
だが同時に、技術魔術師としての彼は分かっていた。
ミラがここまで慎重に書くなら、呼び戻せば済む話ではない。
彼女はもう、何かを見つけてしまっている。
そして、おそらくライヘルも関わっている。
オリヴァーは木箱を見た。
中には、小さな金属筒が入っている。
封は丁寧だった。
ミラの封印糸。
リンドルの魔道具屋の補強封。
白石粉。
そして、外側にほんのわずかだが、嫌な魔力の滲みがある。
オリヴァーは顔をしかめた。
「これは……」
自然に汚染されたものではない。
開ける前から分かる。
魔力が、留まるように整えられている。
瘴気は本来、荒い。流れ、濁り、散る。
だが、この小瓶に残る気配は違う。
誰かが瘴気を器に押し込み、そこに留まるよう加工している。
オリヴァーは封を開けなかった。
代わりに、透過盤を取り出す。
古いが信頼できる工房道具だ。封を破らず、中に含まれる魔力の傾向を見ることができる。
小瓶を透過盤の中央に置き、魔力を細く流す。
盤面に、黒い筋が浮かび上がった。
細い。
弱い。
だが、不自然なほど形が保たれている。
オリヴァーの目が鋭くなる。
「自然物じゃない」
彼は低く呟いた。
「誰かが、瘴気を定着させている」
その瞬間、父親としての心配より先に、危機感が勝った。
これは工房で扱う壊れた魔力灯ではない。
娘が旅先で拾ってよいものではない。
オリヴァーはすぐに立ち上がった。
ライヘルを呼ばなければならない。




