表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
PR
56/192

工房便の小包 3

 買い物の合間に、ミラは町の人々へ黒い幌の荷馬車についてさりげなく尋ねた。

 聞き方は慎重にした。

「昨日、旧道から来た荷馬車があったと聞きました。積み荷に触れて体調を崩した方がいないか確認しているんです」

 薬種屋は首を傾げた。

「黒い幌のやつかい? 見たよ。夜に入ってきたから目立ってた」

「積み荷を扱った人は?」

「倉庫街の連中じゃないかね。けど、ああいう荷はあまり表に出ない」

 布屋の女主人も覚えていた。

「黒布で包んだ箱を運んでたね。ずいぶん重そうだった。鉱石かと思ったけど、鉱石にしては扱いが丁寧だったよ」

「丁寧?」

「揺らすな、傾けるなって御者が怒鳴ってた。中身が割れ物なのか、危ないものなのか」

 エリオットの表情が少し険しくなる。

 倉庫街に近い金物屋では、さらに具体的な話が出た。

「あの荷馬車なら、裏の三番倉庫に入ってたな。全部じゃない。一箱だけ下ろして、残りはまた積んだまま」

「どこへ行ったか分かりますか?」

 ミラが尋ねると、金物屋の男は肩をすくめた。

「そこまでは。ただ、王都方面の北街道じゃない。西の鉱山道へ向かったと聞いた」

「鉱山道?」

「昔の採掘場がある方だ。今は大して使われてないが、抜け道にはなる」

 ミラは記録帳に書き留めた。

 旧道からリンドルへ。

 三番倉庫で一箱下ろす。

 その後、西の鉱山道へ。

 エリオットが小声で言った。

「王都へ直行していない」

「中継しているのかもしれません」

「あるいは、王都へ繋がる別の経路か」

「はい」

 その時、エリオットの視線が倉庫街の方へ向いた。

「どうしました?」

「見られている気がした」

 ミラはすぐに振り返りそうになったが、エリオットが低く止めた。

「振り返るな」

 ミラは止まった。

 胸の奥が冷える。

「誰ですか」

「分からない。倉庫の角に男が一人。こちらを見ていた。今は引っ込んだ」

「黒い幌の荷馬車の関係者でしょうか」

「断定はできない」

「追いますか?」

「追わない」

 エリオットはすぐに答えた。

 その返事に、ミラは少しだけ驚いた。

 エリオットは苦い顔で続ける。

「追いたい。だが、今は無理だ。俺は戦えない。君を危険に晒す」

「はい」

「だから記録する」

 ミラは頷いた。

「はい。記録しましょう」

 彼は本当に変わってきている。

 怒りや焦りをなかったことにせず、数えたうえで止まる。

 それは、剣を握ることとは違う形の強さだった。

   

 昼過ぎ、二人は布屋に戻り、仕上がった改良帯を受け取った。

 試しに装着してみると、右腕の揺れはかなり抑えられた。肩だけでなく背中に重さが分散されるため、移動中の負担も減りそうだ。

 ミラは細かく確認する。

「痛みは?」

「ない。締め付けは少しあるが、悪くない」

「呼吸は苦しくありませんか」

「大丈夫だ」

「肩は?」

「前より楽だ」

「では、これを使いましょう」

 エリオットは鏡に映った自分を見た。

 外套を羽織れば、改良帯はほとんど見えない。

 右腕を支える布も、以前より目立たない。

「……ありがたい」

 小さく呟いた。

 ミラは少しだけ目を瞬いた。

「布屋さんに?」

「君にも」

 エリオットは鏡を見たまま言った。

「こういうものが必要だと、俺は思いつかなかった」

「旅を続けるためです」

「ああ」

「できることを増やすためでもあります」

 エリオットは視線を下げ、右手の指をわずかに動かした。

 親指。

 人差し指。

 小さな動き。

 けれど確かな動き。

「できることを増やすため」

 彼はその言葉を繰り返した。

「そうだな」

    

 宿へ戻る頃には、夕暮れが近づいていた。

 ミラは買ったものを机に並べ、分類していく。

 包帯。

 布。

 薬草。

 小瓶。

 魔力結晶。

 追加の封印札。

 封印箱の固定用の革紐。

 そして、エリオットの改良帯。

 エリオットは椅子に座り、右腕を休ませていた。

「痛みは?」

 ミラがいつものように尋ねる。

「二。熱は少し。人が多かったからかもしれない」

「では、今日はもう外出しません」

「ああ」

「黒い幌の荷馬車の情報を整理します」

 ミラは帳面を開いた。

 エリオットも身を少し乗り出す。

「旧道からリンドルへ。三番倉庫で一箱下ろす。西の鉱山道へ抜ける。積み荷は黒布で包まれた重い箱。扱いは慎重。倉庫街で私たちを見ていた人物あり」

「車輪に瘴気の反応」

「はい。それも」

「荷馬車そのものは、もうない」

「おそらく。残っていたとしても、直接調べるのは危険です」

「分かっている」

 エリオットは、少し悔しそうにしながらも頷いた。

 ミラはその横顔を見て、静かに言った。

「今日、追わなかったのは正しい判断でした」

「そう言われると、少し救われる」

「本当です」

「俺はまだ、追いたい」

「はい」

「だが、追えない」

「今は」

 エリオットがミラを見る。

 ミラは帳面に視線を落としたまま続けた。

「今は、です。記録を残して、準備をして、必要な人に伝える。そうすれば、いつか追えるかもしれません」

 エリオットはしばらく黙っていた。

 やがて、低く言う。

「君は、希望を急がせないな」

 ミラは少し驚いて顔を上げた。

「そうでしょうか」

「ああ。すぐに治るとは言わない。すぐ追えるとも言わない。だが、いつかできるように準備する」

 彼は右腕を見下ろした。

「その方が、信じられる」

 ミラの胸が静かに震えた。

「……ありがとうございます」

「礼を言うのは俺の方だ」

「まだ早いです」

「今の礼だ」

 少し前にも聞いた言葉だった。

 ミラは返事に困り、帳面へ視線を戻した。

「では、記録しておきます」

「何を」

「今の言葉を」

「それは治療記録ではない」

「心の治療記録です」

 エリオットは小さく息を吐いた。

「本当に範囲が広い」

 けれど、もう嫌そうではなかった。

    

 その夜遅く、リンドルの町の西門から、一台の小さな職人組合の馬車が出ていった。

 荷台には金具、工具、封印灯の部品、歯車、小さな木箱が積まれている。

 その中の一つに、オリヴァー・コックス工房宛ての小包があった。

 中には手紙。

 そして、微量の黒い標本。

 誰もそれを特別なものとは思わない。

 馬車は軋む音を立てながら、王都へ向かう道を進んでいく。

 同じ頃、リンドルの倉庫街の影で、一人の男が宿屋の方角を見ていた。

 黒い幌の荷馬車を扱っていた商人の下働きだった。

 男は昼間、倉庫の角で見た二人の旅人を思い出す。

 若い治療師。

 右腕を庇う大柄な男。

 男は舌打ちし、暗がりへ消えた。

「妙なのに嗅ぎつかれたかもしれねえ」

 その呟きは、夜の町の音に紛れて消えた。

 ミラとエリオットはまだ知らない。

 彼らが記録した黒い痕跡もまた、誰かに記録され始めていることを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ