工房便の小包 3
買い物の合間に、ミラは町の人々へ黒い幌の荷馬車についてさりげなく尋ねた。
聞き方は慎重にした。
「昨日、旧道から来た荷馬車があったと聞きました。積み荷に触れて体調を崩した方がいないか確認しているんです」
薬種屋は首を傾げた。
「黒い幌のやつかい? 見たよ。夜に入ってきたから目立ってた」
「積み荷を扱った人は?」
「倉庫街の連中じゃないかね。けど、ああいう荷はあまり表に出ない」
布屋の女主人も覚えていた。
「黒布で包んだ箱を運んでたね。ずいぶん重そうだった。鉱石かと思ったけど、鉱石にしては扱いが丁寧だったよ」
「丁寧?」
「揺らすな、傾けるなって御者が怒鳴ってた。中身が割れ物なのか、危ないものなのか」
エリオットの表情が少し険しくなる。
倉庫街に近い金物屋では、さらに具体的な話が出た。
「あの荷馬車なら、裏の三番倉庫に入ってたな。全部じゃない。一箱だけ下ろして、残りはまた積んだまま」
「どこへ行ったか分かりますか?」
ミラが尋ねると、金物屋の男は肩をすくめた。
「そこまでは。ただ、王都方面の北街道じゃない。西の鉱山道へ向かったと聞いた」
「鉱山道?」
「昔の採掘場がある方だ。今は大して使われてないが、抜け道にはなる」
ミラは記録帳に書き留めた。
旧道からリンドルへ。
三番倉庫で一箱下ろす。
その後、西の鉱山道へ。
エリオットが小声で言った。
「王都へ直行していない」
「中継しているのかもしれません」
「あるいは、王都へ繋がる別の経路か」
「はい」
その時、エリオットの視線が倉庫街の方へ向いた。
「どうしました?」
「見られている気がした」
ミラはすぐに振り返りそうになったが、エリオットが低く止めた。
「振り返るな」
ミラは止まった。
胸の奥が冷える。
「誰ですか」
「分からない。倉庫の角に男が一人。こちらを見ていた。今は引っ込んだ」
「黒い幌の荷馬車の関係者でしょうか」
「断定はできない」
「追いますか?」
「追わない」
エリオットはすぐに答えた。
その返事に、ミラは少しだけ驚いた。
エリオットは苦い顔で続ける。
「追いたい。だが、今は無理だ。俺は戦えない。君を危険に晒す」
「はい」
「だから記録する」
ミラは頷いた。
「はい。記録しましょう」
彼は本当に変わってきている。
怒りや焦りをなかったことにせず、数えたうえで止まる。
それは、剣を握ることとは違う形の強さだった。
昼過ぎ、二人は布屋に戻り、仕上がった改良帯を受け取った。
試しに装着してみると、右腕の揺れはかなり抑えられた。肩だけでなく背中に重さが分散されるため、移動中の負担も減りそうだ。
ミラは細かく確認する。
「痛みは?」
「ない。締め付けは少しあるが、悪くない」
「呼吸は苦しくありませんか」
「大丈夫だ」
「肩は?」
「前より楽だ」
「では、これを使いましょう」
エリオットは鏡に映った自分を見た。
外套を羽織れば、改良帯はほとんど見えない。
右腕を支える布も、以前より目立たない。
「……ありがたい」
小さく呟いた。
ミラは少しだけ目を瞬いた。
「布屋さんに?」
「君にも」
エリオットは鏡を見たまま言った。
「こういうものが必要だと、俺は思いつかなかった」
「旅を続けるためです」
「ああ」
「できることを増やすためでもあります」
エリオットは視線を下げ、右手の指をわずかに動かした。
親指。
人差し指。
小さな動き。
けれど確かな動き。
「できることを増やすため」
彼はその言葉を繰り返した。
「そうだな」
宿へ戻る頃には、夕暮れが近づいていた。
ミラは買ったものを机に並べ、分類していく。
包帯。
布。
薬草。
小瓶。
魔力結晶。
追加の封印札。
封印箱の固定用の革紐。
そして、エリオットの改良帯。
エリオットは椅子に座り、右腕を休ませていた。
「痛みは?」
ミラがいつものように尋ねる。
「二。熱は少し。人が多かったからかもしれない」
「では、今日はもう外出しません」
「ああ」
「黒い幌の荷馬車の情報を整理します」
ミラは帳面を開いた。
エリオットも身を少し乗り出す。
「旧道からリンドルへ。三番倉庫で一箱下ろす。西の鉱山道へ抜ける。積み荷は黒布で包まれた重い箱。扱いは慎重。倉庫街で私たちを見ていた人物あり」
「車輪に瘴気の反応」
「はい。それも」
「荷馬車そのものは、もうない」
「おそらく。残っていたとしても、直接調べるのは危険です」
「分かっている」
エリオットは、少し悔しそうにしながらも頷いた。
ミラはその横顔を見て、静かに言った。
「今日、追わなかったのは正しい判断でした」
「そう言われると、少し救われる」
「本当です」
「俺はまだ、追いたい」
「はい」
「だが、追えない」
「今は」
エリオットがミラを見る。
ミラは帳面に視線を落としたまま続けた。
「今は、です。記録を残して、準備をして、必要な人に伝える。そうすれば、いつか追えるかもしれません」
エリオットはしばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「君は、希望を急がせないな」
ミラは少し驚いて顔を上げた。
「そうでしょうか」
「ああ。すぐに治るとは言わない。すぐ追えるとも言わない。だが、いつかできるように準備する」
彼は右腕を見下ろした。
「その方が、信じられる」
ミラの胸が静かに震えた。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だ」
「まだ早いです」
「今の礼だ」
少し前にも聞いた言葉だった。
ミラは返事に困り、帳面へ視線を戻した。
「では、記録しておきます」
「何を」
「今の言葉を」
「それは治療記録ではない」
「心の治療記録です」
エリオットは小さく息を吐いた。
「本当に範囲が広い」
けれど、もう嫌そうではなかった。
その夜遅く、リンドルの町の西門から、一台の小さな職人組合の馬車が出ていった。
荷台には金具、工具、封印灯の部品、歯車、小さな木箱が積まれている。
その中の一つに、オリヴァー・コックス工房宛ての小包があった。
中には手紙。
そして、微量の黒い標本。
誰もそれを特別なものとは思わない。
馬車は軋む音を立てながら、王都へ向かう道を進んでいく。
同じ頃、リンドルの倉庫街の影で、一人の男が宿屋の方角を見ていた。
黒い幌の荷馬車を扱っていた商人の下働きだった。
男は昼間、倉庫の角で見た二人の旅人を思い出す。
若い治療師。
右腕を庇う大柄な男。
男は舌打ちし、暗がりへ消えた。
「妙なのに嗅ぎつかれたかもしれねえ」
その呟きは、夜の町の音に紛れて消えた。
ミラとエリオットはまだ知らない。
彼らが記録した黒い痕跡もまた、誰かに記録され始めていることを。




