工房便の小包 1
翌朝、ミラは夜明け前から机に向かっていた。
宿屋の小さな部屋には、まだ朝の光も届いていない。窓の外では、町の荷馬車置き場へ向かう馬の蹄の音が、ぽつぽつと聞こえ始めている。
机の上には、三つのものが並んでいた。
父オリヴァーへ宛てた手紙。
兄ライヘルにも読ませるための症例報告。
そして、ごく微量の黒い粉末を封じた小瓶。
小瓶の中身は、林道で回収した黒い欠片から削り取ったものだった。核そのものではない。瘴気もかなり薄い。さらにミラが白花と泉の水で浄化し、反応を弱めたうえで封じている。
それでも、扱いを誤れば危険だ。
ミラは小瓶をもう一度確認した。
小瓶の口は蝋で封じ、その上から細い封印糸を巻いてある。外側には何も書かない。ただの薬品標本に見えるように、麻布で包んだ。
黒い核本体は送らない。
あれは危険すぎる。
次の町で手に入れた鉛銀張りの封印箱の中に入れ、今はミラの鞄の奥に固定してある。白花、泉の水を染み込ませた布、封印札で何重にも包んだ状態だ。
それでも、ミラの胸元のペンダントは時折かすかに温もる。
まるで、忘れるなと言うように。
ミラは手紙へ視線を戻した。
――父さんへ。兄さんにも必ず読ませてください。
そう書き始めた文面は、家族への手紙にしてはずいぶん硬い。
けれど、その硬さが必要だった。
黒熱症状。
触媒片。
患者E。
近似反応。
標本A。
標本B。
普通の人が読めば、よく分からない症例報告に見えるはずだ。だが、ライヘルなら読み解ける。
患者Eがエリオットであること。
標本Aが強い核を持つ黒い石であること。
標本Bが同系統の微量片であること。
それが、エリオットの右腕に残る瘴気と似ていること。
ミラは最後の一文をゆっくり書いた。
――通常の魔物瘴気とは異なり、人為的に定着させた痕跡があります。魔術院内で開封する場合は、必ず信頼できる人の立ち会いのもとで行ってください。
そこまで書いて、筆を止める。
少し直接的すぎるかもしれない。
だが、曖昧にしすぎれば危険性が伝わらない。
ミラは迷った末、そのまま残した。
封を閉じる直前、扉が控えめに叩かれた。
「ミラ、起きているか」
エリオットの声だった。
「はい。どうぞ」
扉が開く。
エリオットは、すでに旅装に着替えていた。右腕はいつも通り布で支え、左手には杖。朝の診察を受ける準備も済んでいる。
ミラは思わず微笑んだ。
「今日も準備が早いですね」
「君が来る前に整えておいた方が早い」
「良い習慣です」
「……褒められるのにも少し慣れてきた」
「それも良い傾向です」
エリオットは少しだけ眉を寄せたが、以前のように反論はしなかった。
ミラは椅子を示す。
「まず腕を診ます」
「ああ」
エリオットが座り、右腕を机に置く。
ミラは包帯の上から熱を確認した。
「痛みは?」
「一。動かすと二」
「熱は?」
「ほとんどない。ただ、石の箱に近づくと護符が少し温かい」
「こちらのペンダントも同じです。今朝は安定していますね」
ミラは記録を書き込む。
エリオットの視線が、机の上の手紙へ落ちた。
「書けたのか」
「はい。父宛てです。兄にも読ませるように書いてあります」
「俺の名前は」
「出していません。患者Eです」
「……やはり妙だな」
「あなたを隠したいわけではありません」
ミラは顔を上げ、静かに言った。
「守るためです。あなたの名前が書かれた手紙が途中で誰かに読まれたら、エリオット・バーンスタンが回復し始めていることまで知られるかもしれません」
エリオットは少し目を伏せた。
「分かっている」
「兄なら、患者Eが誰なのか分かります。父には……少し心配をかけると思いますが」
「君の父親も巻き込むことになる」
「父はきっと、巻き込まれたとは言わないと思います」
ミラは少しだけ笑った。
「私たち兄妹が困っていたら、文句を言いながら道具を用意する人です」
「いい父親だ」
「はい」
エリオットはそれ以上言わなかった。
ただ、手紙と小瓶を見て、低く言う。
「無事に届くといい」
「はい」




