封印箱を探して 4
店を出る頃には、空はすっかり夕方の色になっていた。
封印箱はミラの鞄に入れた。
ただし、鞄の底に固定し、さらに白花を挟んである。
エリオットが何度も鞄を見た。
「重くないか」
「大丈夫です」
「持とう」
「右腕に負担がかからないよう、今は私が持ちます。宿へ戻ったら、分け方を考えましょう」
「分かった」
その時、エリオットがふと足を止めた。
視線は広場の向こう、荷馬車置き場へ向いている。
「どうしました?」
「あの車輪」
ミラもそちらを見た。
荷馬車が何台か停まっている。そのうちの一台の車輪の縁に、黒ずんだ汚れのようなものが付着していた。
ただの泥にも見える。
だが、エリオットの護符がわずかに温かくなった。
「……似た気配がする」
ミラの背筋が伸びる。
「黒い欠片と?」
「ああ。ただ、かなり薄い。もう乾いている」
二人は近づきすぎない距離で、その荷馬車を見た。
黒い幌。
荷台は空。
馬は繋がれていない。
近くにいた厩番の少年に、エリオットが声をかけた。
「あの馬車は誰のものだ」
「え? ああ、あれは昨日の夜に来た商人のだよ。今朝、荷を下ろしてどこかへ行った。馬車だけ置いてる」
「何を積んでいた」
「さあ。重そうな箱。鉱石か何かじゃないかな。黒い布で包んでた」
ミラとエリオットは視線を交わした。
「どこから来たか分かりますか?」
ミラが尋ねると、少年は首を傾げた。
「南の旧道から来たって聞いたよ。普通は北街道を使うのに変だなって親方が言ってた」
旧道。
林の炭焼き道と繋がる方角。
ミラは鞄の中の封印箱を意識した。
「その商人は、どこへ?」
「倉庫街の方。夜には戻るって言ってた」
エリオットの表情が険しくなる。
「追うのは危険です」
ミラが先に言った。
エリオットは少しだけ目を伏せた。
「分かっている」
「今は記録します。馬車に触らず、場所と特徴だけ」
「ああ」
彼は深く息を吐いた。
進みたい気持ちを、また抑えたのだ。
ミラは帳面を取り出し、簡潔に書いた。
――リンドル町、荷馬車置き場。黒幌の荷馬車。車輪に微弱な瘴気反応。南の旧道から来たとの証言。積み荷は黒布で包まれた重い箱。商人は倉庫街へ。
書き終えて、ミラは言った。
「これも兄さんに知らせるべき情報です」
「だが、手紙にそのまま書けば危ない」
「はい。符号化します」
「君の兄は大変だな」
「兄なら解読してくれます」
ミラは少しだけ笑った。
しかし、その顔には緊張もあった。
黒い欠片は、偶然では済まなかった。
村の旧道。
黒い幌の荷馬車。
重い箱。
そして、微弱な瘴気反応。
追うべきものの輪郭が、少しずつ見え始めている。
宿へ戻ると、ミラはすぐにエリオットの右腕を診た。
「痛みは?」
「二。少し熱い」
「町中を歩きましたからね。今日はもう外出しません」
「黒い幌の馬車は」
「追いません」
「分かっている」
「本当に?」
「……追いたいとは思っている」
正直な答えだった。
ミラは少しだけ表情を和らげた。
「そう言えるなら大丈夫です」
「どういう意味だ」
「無理をする人は、追いたいと思っていることも隠します」
エリオットは黙った。
そして、苦笑に近い息を吐く。
「君には隠せないな」
「治療師なので」
「便利な言葉だ」
ミラは封印箱を机の上に置いた。
新しい箱に入れたことで、黒い核の気配はかなり弱まっている。
ペンダントも護符も、今は穏やかだ。
それでも、存在感は消えない。
危険な証拠。
それを、二人は持つことにした。
ミラは便箋を取り出した。
「今夜、父と兄に向けた手紙を書きます」
「俺のことは?」
「名前は出しません。患者Eと書きます」
「やはり妙だ」
「慣れてください」
「努力する」
エリオットは椅子に座り、右腕を休ませながら、ミラが筆を取るのを見ていた。
彼女の手は迷いなく動く。
けれど、時々止まる。
どこまで書くべきか、何を伏せるべきか、考えているのだろう。
エリオットはその横顔を見ながら、静かに思った。
自分の腕のことは、もう自分一人の傷ではない。
ミラの手。
ライヘルの調査。
オリヴァーという父の工房。
村の子ども。
黒い荷馬車。
いくつものものが繋がり始めている。
それが怖くないと言えば嘘になる。
だが、今は逃げたいとは思わなかった。
ミラは手紙の一行目を書いた。
――父さんへ。兄さんにも必ず読ませてください。
エリオットは何も言わず、ただ静かに見守った。
窓の外では、リンドルの町の灯りが揺れている。
黒い幌の荷馬車は、まだこの町のどこかにある。
だが今夜、二人は追わない。
追うために必要なのは、剣ではなく、記録と準備だ。
ミラは筆を進める。
その隣で、エリオットは右手首の護符にそっと左手を添えた。
痛みは二。
熱は少し。
怒りはある。
焦りもある。
けれど、彼はもうそれを隠さずに数えられる。
旅は、少しずつ彼を変えていた。




