残すもの、持っていくもの 1
新しい村での四日目の朝、ミラは診療所代わりの空き家の机に、三つのものを並べていた。
一つ目は、黒い欠片を封じた布包み。
二つ目は、浄化を終えた灰色の小石。
三つ目は、昨夜遅くまで書き続けた記録帳だった。
黒い欠片は、林道で見つかったものだ。
強い核を持つものはひとつ。
弱い瘴気を帯びた欠片は六つ。
ミラとエリオットは、村長とロウ老人の協力を得て、旧炭焼き道の入口周辺を調べた。結果、欠片は倒木の周辺から旧道の浅い轍に沿って散らばっており、林の奥から自然に湧いたものではなく、荷からこぼれ落ちた可能性が高いと分かった。
村そのものが瘴気に侵されているわけではない。
だが、危険なものが村の近くを通ったのは確かだった。
ミラは封じ布の上から、強い核を持つ黒い石に手をかざした。
白花のペンダントが、胸元でわずかに温かくなる。
「……まだ反応しますね」
向かいに座っていたエリオットが、右手首の護符を左手で押さえた。
「こちらもだ。弱まってはいるが、奥に残っている」
「やっぱり、核本体はこの村で浄化しきるのは危険です」
「ああ」
エリオットは静かに頷いた。
昨夜、二人はもう一度だけ弱い欠片の浄化を試した。
結果、瘴気の薄い欠片はミラ一人の治癒魔法と泉の水、白花で処理できた。黒かった石は灰色に戻り、魔力結晶にも反応しなくなった。
しかし、強い核を持つ石は違う。
表面の瘴気は剥がせても、中心の黒い核は沈んだままだ。無理に壊せば、瘴気が漏れ出すかもしれない。
そして、エリオットの右腕にも負担が出る。
だから、ミラは決めた。
「核本体は、私たちが持っていきます。次の町で封印容器を探しましょう。ライヘル兄さんには、この浄化済みの欠片と、ごく微量の粉末だけを送る方向で考えます」
「核を送らないのは賛成だ」
エリオットはすぐに言った。
「途中で奪われたら危険だ。それに、君の兄に届く前に誰かが調べる可能性もある」
「はい。兄からの手紙を見る限り、王都の通常便もあまり信用しない方がよさそうです」
「君の父親の工房経由なら?」
「可能性はあります。でも、それも次の町で便を確認してからですね。何より、どこまで書くかを考えないと」
ミラは記録帳の別紙を開いた。
そこには、ライヘルへ送るための短い報告案が書かれていた。
――黒熱症状を起こす触媒片を回収。
――患者Eの右腕反応と近似。
――標本Aは危険につき携行。標本Bのみ送付予定。
――通常便ではなく、私的経路を希望。
エリオットは横からそれを見て、眉を寄せた。
「患者E」
「エリオットさんのことです」
「それは分かる」
「名前をそのまま書くより安全かと」
「……なるほど」
納得したような、不服そうなような顔だった。
ミラは少しだけ笑った。
「嫌ですか?」
「いや。安全のためなら仕方ない。ただ、妙な気分だ」
「私も、自分の兄へ暗号のような手紙を書くのは妙な気分です」
「君の兄なら分かるのか」
「分かると思います。以前から、症例報告では患者名を伏せる書き方を教わっていましたから」
エリオットは静かに目を伏せた。
「いい兄だな」
「はい」
ミラは素直に頷いた。
「心配性ですけど」
「それは仕方ない」
「エリオットさんも心配性ですよ」
「俺は騎士として当然の範囲だ」
「そうですか」
「そうだ」
短いやり取りだったが、空気は柔らかかった。
その時、外から扉が叩かれた。
「治療師さん、入ってもいいかい?」
村長の妻の声だ。
ミラが扉を開けると、彼女は大きな籠を抱えて立っていた。
「おはよう。昨日診てもらった子の熱、すっかり下がったよ」
「本当ですか」
「ああ。今朝は粥を少し食べられた。母親が泣いて喜んでいたよ」
ミラは胸を撫で下ろした。
「よかった……」
「で、これはその家から。卵と豆、それから焼き菓子」
「またいただくわけには」
「無理だね。受け取らないと、あの子の母親が今度は別の意味で泣くよ」
そう言われると断れない。
ミラはありがたく受け取った。
村長の妻は室内をちらりと見て、机の上の封じ布に気づいた。表情が少し引き締まる。
「それが、例の黒いものかい」
「はい。危険なものは封じています。弱い欠片は処理できましたが、強いものはこの村では無理に壊さない方がいいと判断しました」
「持っていくのかい?」
「はい。安全な容器に入れ替える必要がありますが」
「危なくないのかい?」
「危ないです。だから、普通の荷物とは分けます。封印用の布と白花、浄化作用のある泉の水を使って、触れないようにします」
村長の妻は心配そうにミラを見た。
「治療師さんは、何でも背負いすぎる顔をしているね」
ミラは少し言葉に詰まった。
エリオットが静かに言った。
「今回は、俺も持つ」
ミラと村長の妻が同時に彼を見る。
エリオットは右腕ではなく、左手を見下ろした。
「もちろん、直接は持たない。だが、移動中の管理は俺も見る。ミラ一人に持たせるものではない」
「エリオットさん、でも」
「君は治療道具も薬も持つ。黒い石まで一人で管理する必要はない」
声は穏やかだが、譲る気はなさそうだった。
村長の妻はにやりと笑った。
「それがいい。荷物は分けて持つものだよ」
「治療上、安全な形であれば」
ミラが言うと、エリオットは頷いた。
「ああ。君が決めてくれ」
ミラは少しだけ考え、やがて頷いた。
「では、次の町で封印容器を買うまでは、私の鞄の中で保管します。容器を手に入れたら、エリオットさんが持つ荷物の中に固定する形を考えます。ただし、右腕に負担がかからない重さにします」
「分かった」
「それと、反応が強くなったらすぐ私に渡してください」
「分かっている」
村長の妻は二人を見比べて、満足そうに頷いた。
「うん。いいね。二人で持つなら安心だ」
ミラはなぜか少し頬が熱くなった。
「危険物の管理です」
「はいはい。そういうことにしておくよ」




