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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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黒い石の出どころ 2

 翌朝、村はまだ黒い石のことを知らなかった。

 ミラは村長夫妻にだけ、子どもの熱の原因になった可能性がある物を調べる必要があると伝えた。瘴気という言葉は慎重に扱った。村中に不安を広げるわけにはいかない。

 エリオットの右腕は、夜の反動で少し熱を残していた。

「本来なら休ませたいところです」

 ミラは朝の診察でそう言った。

 エリオットは黙っていた。

 反論したいのを堪えている顔だった。

 ミラは続ける。

「ですが、昨日の石が他にもあるなら危険です。短時間だけ調査します」

「分かった」

「ただし、今日のあなたは案内役でも作業役でもありません。瘴気を感じたら教える。それだけです」

「ああ」

「何かを拾うのも、触るのも禁止です」

「分かっている」

「黒い気配が強ければ、すぐ戻ります」

「分かった」

 ミラはそこでようやく頷いた。

 村長が案内役として、昨日の少女を連れてきてくれた。少女は不安そうにしていたが、弟の熱が下がったと聞いて少し元気を取り戻していた。

「あのね、弟が拾ったのは、林の奥じゃないよ。小道の横。倒れた木の近く」

「案内してくれますか? 危ないものがあるかもしれないので、近づきすぎないでくださいね」

 少女はこくりと頷いた。

 村長も同行することになった。

 林へ向かう道は、村の外れから続いている。畑の先に低い木々が並び、古い小道がその間を抜けていた。

 朝の光の中では、そこは特に不気味な場所には見えなかった。

 鳥の声がする。

 草は露を含み、白い小花も咲いている。

 だが、林に近づくにつれ、エリオットの表情が険しくなった。

「どうですか」

 ミラが小声で尋ねる。

「薄い。だが、ある」

「方向は?」

「小道の奥……いや、右側だ。倒れた木の方」

 少女が指差した。

「あそこ。あの木の根元で拾ったの」

 倒れた木は、半分腐りかけていた。根元には落ち葉が溜まり、子どもが遊びで拾い集めたらしい木の実がいくつか残っている。

 ミラは魔力結晶を取り出した。

 近づけると、結晶の中にかすかな黒い筋が走る。

 村長が息を呑んだ。

「これは……」

「触らないでください」

 ミラは静かに言った。

 落ち葉を杖でそっとどけると、土の上に黒ずんだ粉のようなものが散っていた。

 そして、その中に小さな欠片が二つ。

 昨日の黒い石ほど濃くはない。

 だが、同じ質の瘴気を帯びている。

「他にもありました」

 ミラの声が硬くなる。

 エリオットは倒木の奥を見ていた。

「これは、ここで生まれたものじゃない」

「分かるんですか」

「地面全体から出ている感じじゃない。何かがここを通って、落としていったように感じる」

 村長が不安そうに周囲を見回す。

「魔物ですか?」

 エリオットは少し考えた。

「魔物なら、もっと足跡や獣臭が残る。これは……荷物からこぼれたような感じだ」

 ミラは倒木のそばの土を見る。

 確かに、古い車輪の跡のようなものが薄く残っていた。

 雨でかなり消えているが、小道の端に不自然な轍がある。

「この道は馬車が通りますか?」

 ミラが村長に尋ねると、村長は首を横に振った。

「ほとんど通らない。昔は炭焼き小屋へ行く道だったが、今は使っていない」

「では、最近誰かが通った可能性があります」

「誰が……?」

 ミラは答えられなかった。

 禁術派。

 王都。

 封じられた記録。

 嫌な言葉が頭をよぎる。

 だが、断定はできない。

 エリオットが低く言った。

「この欠片は、人の手が関わっている」

 その言葉に、ミラも頷いた。

「私もそう思います。自然に瘴気を吸った石とは違います」

 ミラは封じ布を取り出し、落ちていた欠片と黒い粉を慎重に回収した。周囲には泉の水を薄めたものを撒き、白花の乾燥片を少し置く。

 完全な浄化ではない。

 だが、子どもが触れる危険は減らせる。

「村長さん。この道にはしばらく子どもを近づけないでください。大人も一人では入らないように」

「分かりました」

「今日中に、もう一度周辺を確認します。ただし村の人を多く集めると不安を広げます。信頼できる方を一人か二人だけ」

「分かった」

 ミラはエリオットを見る。

「腕は?」

「痛み二。熱は少し」

「戻りましょう」

「まだ奥を」

「戻ります」

 エリオットは倒木の奥を見た。

 何かを感じているのだろう。

 だが、彼は数秒後に頷いた。

「分かった」

 その返事に、ミラは少し安堵した。

  

 空き家に戻ると、ミラは回収した欠片を机の上で確認した。

 昨日の核ほど強くはない。

 だが同じ系統のものだ。

 エリオットは右腕を冷やしながら、黙ってそれを見ていた。

「この村に、もう少し長くいるべきかもしれません」

 ミラは呟いた。

「子どもがまた拾うかもしれない。林の奥にもっとあるかもしれない。患者も増えるかもしれません」

「だが、長く留まるほど危険も増える」

 エリオットの言葉に、ミラは顔を上げた。

「兄の手紙か」

「はい。長逗留は勧めない、とありました」

「なら、決める必要がある」

 エリオットは静かに言った。

「この村で何を確認すれば出られるのか」

 ミラは息を止めた。

 その言葉は、とても現実的だった。

 ただ不安だから残る。

 ただ危険だから出る。

 どちらでもなく、判断基準を決める。

 ミラは帳面を開いた。

「まず、林の小道周辺に同じ欠片がどれだけあるか確認します」

「ああ」

「昨日の少年以外に、似た症状の人がいないか診ます」

「ああ」

「回収した欠片を封印します。強い核は持ち歩きますが、弱い欠片は可能ならここで浄化します」

「俺の腕が耐えられる範囲で」

「そうです」

 ミラは書きながら考える。

「それで新しい患者が出ず、欠片の範囲が倒木周辺に限られているなら、予定通り五日前後で出ます。もし林の奥に続いている、または瘴気が強い場所があるなら、村長に警戒を頼みつつ、近くの町で人を呼ぶ必要があります」

「俺たちだけで奥まで行くのは危険だな」

「はい」

 ミラはきっぱり頷いた。

「今の私たちでは、深追いできません」

 エリオットは少しだけ悔しそうにしたが、反論しなかった。

 ミラは最後に一行を書いた。

 ――この村に残るか出るかは、瘴気欠片の範囲と患者の有無で判断。

 それを見て、エリオットが言った。

「君は、迷っても書くんだな」

「書かないと、迷いが大きくなるので」

「そうか」

「それに、記録すれば後で見返せます。感情だけで決めないために」

 エリオットはしばらくミラを見ていた。

「君はやっぱり、治療師だ」

「そうですよ」

「その記録に、俺も入っているんだな」

「もちろんです」

 エリオットは小さく笑った。

「なら、俺もちゃんと報告する。痛みは二。熱は引いてきた。疲労は少し」

「上出来です」

「またそれか」

「はい」

 ミラは微笑んだ。

 黒い欠片は、机の上で静かに封じられている。

 その出どころはまだ分からない。

 けれど、この村に落ちていたことは確かだ。

 そして、誰かがここを通った痕跡がある。

 ミラとエリオットの旅は、ただ次の場所へ進むだけでは済まなくなり始めていた。

 治療の旅。

 真実を探す旅。

 そして、黒い瘴気の跡を辿る旅。

 二人はまだ、王都の闇がどれほど近くまで伸びているのか知らない。

 それでも、目の前の小さな欠片を見つめながら、同じことを思っていた。

 これを放っては行けない。

 けれど、ここに留まり続けるわけにもいかない。

 決めるためには、もう少しだけ調べる必要があった。


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