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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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診療所の夜 3

 食事の後、ミラはエリオットの右腕を診た。

 夕方の診療を手伝った影響で、手首に少し熱が出ていた。だが強くはない。

「痛みは?」

「二。動いた時に三」

「熱は軽度。今日はこれ以上動かさないでください」

「ああ」

「夜間に痛みが強くなったら呼んでください」

「……それなんだが」

 エリオットは少し言いづらそうに眉を寄せた。

「夜中に、君の部屋の戸を叩くわけにはいかない」

 ミラは首を傾げた。

「でも、痛みが強くなったら呼んでください」

「だから、そういう問題では」

「患者さんが痛みを我慢する方が問題です」

 あまりにも真顔だった。

 エリオットは深く息を吐く。

「君は本当に、治療師としては正しい」

「治療師ですので」

「だが、俺は男で、君は女性だ」

「部屋の戸を開けたまま診ます。必要なら村長の奥さんを呼びます」

「そういう対策がすぐ出るんだな」

「はい」

 ミラは真剣に頷いた。

「夜間の対応は大事ですから」

 エリオットはしばらく彼女を見ていた。

 そして、ほんの少しだけ困ったように笑った。

「分かった。痛みが強くなれば呼ぶ」

「必ずです」

「必ず」

「では、約束です」

「ああ」

 約束。

 その言葉は、最近二人の間で少しずつ増えている。

 無理をしないこと。

 痛みを隠さないこと。

 旅を続けるために、止まるべき時は止まること。

 どれも治療の約束だ。

 けれど、エリオットはふと、その約束を破りたくないと思った。

 ミラに叱られるからではない。

 彼女に心配をかけたくないからでもある。

 それがいつからなのか、まだ彼自身にも分からなかった。

 

 夜、ミラは奥の小部屋で帳面を開いた。

 手前の部屋では、エリオットが寝る支度をしている気配がする。床板が小さく鳴り、椅子が動く音がした。

 同じ屋根の下。

 そのことを、ミラは特に深く意識していなかった。

 正確には、治療師として必要な距離だと判断していた。

 夜間に腕の熱が上がるかもしれない。

 瘴気が暴れるかもしれない。

 護符が反応するかもしれない。

 その時、すぐ診られることが大切だった。

 ただ、エリオットが自分の評判を気にしてくれたことは、少し胸に残っていた。

 彼は、そういう人なのだ。

 自分がどう思われるかより、相手が傷つかないかを先に考える。

 それはきっと、騎士として身についた振る舞いでもあり、彼自身の性格でもある。

 ミラは今日の記録を書き込んだ。

 ――新しい逗留先到着。滞在予定五日、最大七日。

 ――同一建物内で夜間観察。部屋は分離。村長夫妻了承済み。

 ――夕方診療時、エリオットさんが患者誘導を補助。右腕使用なし。痛み二〜三、熱感軽度。

 ――本人、女性への配慮・世間体を強く気にする傾向。騎士としての礼節によるものと思われる。

 ――患者としての自覚は進んでいるが、同時に“役に立ちたい”意識も見られる。

 そこまで書いて、ミラは筆を止めた。

 最後の一文を見つめる。

 役に立ちたい。

 それは治療とは直接関係ないようで、きっと大いに関係がある。

 エリオットが自分を「何もできない人間」だと思わなくなること。

 できることを少しずつ増やしていくこと。

 それもまた、彼が剣を取り戻す道に繋がっている。

 ミラは帳面を閉じた。

 手前の部屋から、エリオットの低い声が聞こえた。

「ミラ」

「はい?」

「灯りは、そちらで消せるか」

「はい。大丈夫です」

「……何かあれば呼べ」

 ミラは少し瞬きをした。

 普通なら、それは治療師が患者に言う言葉だ。

 けれどエリオットは、ごく自然にそう言った。

 女性を一人で奥の部屋に寝かせることへの、騎士としての気遣いなのだろう。

 ミラは小さく笑った。

「ありがとうございます。エリオットさんも、痛みがあれば呼んでください」

「ああ」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 短い挨拶が、薄い壁越しに交わされる。

 恋ではない。

 まだ、そんな名前はどこにもない。

 ただ、同じ屋根の下で、互いの無事を確かめ合う夜だった。

 外では、知らない村の夜風が窓を揺らしている。

 ミラは白花のペンダントを握り、静かに目を閉じた。

 旅はまだ始まったばかりだ。

 けれど、二人は少しずつ、同じ道を歩くための距離を覚え始めていた。

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