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落ちこぼれ治療師は傷ついた騎士の剣を取り戻す  作者: 月森しおり
第一章 旅の治療師と傷ついた騎士
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診療所の夜 2

 その日の夕方、ミラはさっそく診療を始めた。

 熱を出していた子どもは、幸い重症ではなかった。喉の腫れと軽い熱。薬草茶と休息で様子を見ることになった。

 足を痛めた老人は、畑で転んだ時に足首をひねっていた。こちらは固定が必要だった。

 エリオットは、ミラに言われた通り、集会所から空き家まで患者を案内する役を担った。

 もちろん右腕は使わない。

 左手で扉を開ける。

 椅子の位置を整える。

 足の悪い老人が座る時に、身体の横に立って支えられる位置を取る。

 子どもが怖がらないよう、少し離れて立つ。

 それは騎士として身についた所作だった。

 誰かを急かさない。

 相手の退路を塞がない。

 不安が強い者の前では、声を低く落とす。

 ミラは診療をしながら、それに気づいていた。

 エリオットは、自分では「手伝い」と思っているのかもしれない。

 けれど、彼がそこにいるだけで患者の動きが整う。

 足を痛めた老人が椅子に腰掛ける時、エリオットは自然に左側へ立った。

「こちらに体重を預けてください」

「すまんねえ、若いの」

「いえ」

 短い返事。

 けれど、老人は安心したように肩の力を抜いた。

 ミラは包帯を巻きながら、ふと思った。

 この人は、剣がなくても騎士なのだ。

 王都の騎士団に所属しているかどうかではない。

 誰かを守るために、どこに立てばいいかを知っている。

 誰かが怖がらないように、どう声をかければいいかを知っている。

 それは、簡単に失われるものではなかった。

「ミラ」

 エリオットの声で、ミラは我に返った。

「はい」

「包帯」

「あ、ありがとうございます」

 差し出された包帯を受け取る。

 彼は左手だけで、必要なものを渡してくれたらしい。

「右腕は使っていませんよね」

「使っていない」

「痛みは?」

「二」

「熱は?」

「少し」

「後で診ますね」

「ああ」

 老人が二人を見て、にやりと笑った。

「治療師さんにしっかり管理されてるんだな」

 エリオットは無言になった。

 ミラは真面目に頷く。

「はい。継続観察中です」

「そうかそうか。いいことだ」

 老人は楽しげに笑った。

 エリオットは少しだけ顔を背けた。

 

 診療が一段落する頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 村長の妻が持ってきてくれた夕食を、二人は空き家の手前の部屋で取ることになった。

 豆と野菜の煮込み。硬めのパン。ゆで卵。干し肉を少し入れたスープ。

 質素だが、温かい食事だった。

 ミラは食事をしながら、明日以降の予定を確認した。

「この村には、基本五日滞在します。患者さんの状態次第で、最大七日です」

「五日」

「はい。その間に村の診療を進めつつ、エリオットさんの腕が旅に耐えられるかも確認します」

「ここで長く留まらない方がいいんだな」

「兄の手紙を見る限り、そうした方がいいと思います」

 エリオットは静かに頷いた。

「王都の家族には、ここからは書かない方がいいか」

「前の村から手紙を出しています。まだ届いていない可能性もありますし、続けて出すと行き先の痕跡が増えます」

「そうだな」

 少し寂しそうな声だった。

 ミラはスプーンを置く。

「出立前に、短い無事報告を出すかどうか考えましょう。今すぐでなくてもいいと思います」

「ああ」

「ライヘル兄さんにも、今は詳しい返事は書かないつもりです。治療記録はまとめていますが、安全な便があるか分かりません」

「君の兄は、こちらを心配しているだろうな」

「おそらく」

「父親も?」

「父は……たぶん兄さんほど細かくは言いません。でも、心配はすると思います」

 ミラは少し笑った。

「父は魔道具の工房に関わる人なので、直接助けに来るというより、必要な道具を送ろうとするかもしれません」

「いい父親だ」

「はい」

 ミラは素直に頷いた。

「私のことを、落ちこぼれ扱いしなかった人です」

 エリオットの目が動いた。

 けれど、すぐには何も言わなかった。

 ミラは自分で口にしてから、少しだけ恥ずかしくなった。

「すみません。変な話を」

「変ではない」

 エリオットは低く言った。

「君が自分をそう呼ぶのは、あまり好きではない」

 ミラは瞬きをした。

「落ちこぼれ、ですか?」

「ああ」

「でも、王都では実際に」

「王都の評価だろう」

 エリオットの声は静かだった。

「俺は、君の治療で指が動くようになった。馬車で腕が痛めば、君はすぐ気づく。旅先で熱を出した子どもがいれば診る。足を痛めた老人には、痛まないよう包帯を巻く」

 彼はミラを見た。

「それを落ちこぼれとは思えない」

 ミラは言葉を失った。

 胸の奥が、不意に熱くなる。

 父が言ってくれた言葉とは違う。

 兄が認めてくれた研究者としての目線とも違う。

 エリオットは、ミラの治療を受けている患者として、そう言っている。

 それが、なぜかとても重かった。

「……ありがとうございます」

 ミラは小さく答えた。

 エリオットは少しだけ視線を逸らした。

「事実を言っただけだ」

「そういうところ、騎士みたいですね」

「元騎士だ」

「今も、だと思います」

 今度はエリオットが黙った。

 ミラは自分が言った言葉に少し驚いた。

 けれど、取り消す気にはならなかった。

「今日、患者さんを案内している時に思いました。エリオットさんは、どこに立てば相手が安心するか知っています。そういうのは、右腕が使えるかどうかとは別のものだと思います」

 エリオットは、手元の杯を見ていた。

 右手はまだ添えるだけ。

 重さを支えるのは左手だ。

「剣は握れない」

「はい」

「守れなかったこともある」

「はい」

「それでも、騎士だと思うのか」

 ミラは静かに頷いた。

「少なくとも、私はそう思いました」

 エリオットは何も言わなかった。

 だが、手首の護符がほんのわずかに温かく光った。

 

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