後方の封印 2
魔道具屋の地下へ続く階段は、以前より重く感じられた。
石壁には新しい反応糸が張られている。白石の小片を結び込んだ細い糸が、階段の両側で淡く光っていた。誰かが無理に通れば、すぐに分かる仕組みだ。
地下室の扉には、封印具が二重にかけられていた。
店主が鍵を回す。
一つ目。
二つ目。
それから、魔道具師組合の老職人が押した追加封印を解除する。
扉が開くと、冷たい空気が流れ出した。
オリヴァーは息を止め、慎重に中へ入る。
部屋の中央には、石箱があった。
その中に、グレイルの荷に紛れていた核が封じられている。
白石布。
封印環。
反応針。
魔道具師組合の封印札。
オリヴァー自身が施した補助封。
すべては、見たところ保たれていた。
けれど。
「……揺れているな」
オリヴァーが呟く。
ロアンが隣で息を潜める。
「封印が崩れているんですか」
「崩れてはいない」
オリヴァーは石箱へ手をかざした。
「内側から暴れているのでもない。外から、位置をなぞられたような揺れだ」
「探られたってことですか」
「おそらく」
ダリオが低く舌打ちした。
「気味が悪いな」
店主が棚から反応針の記録を出した。
「一昨日の深夜。針先が灰色へ沈み、すぐ戻った。時間は短い。だが、地下だけでなく、裏口の反応糸も一度鳴った」
「裏口?」
オリヴァーが振り向く。
「誰かが?」
「姿は見ていない。だが、工房裏の魔力線に触れた痕があった」
ロアンの顔が険しくなる。
「師匠、地下に直接入ろうとしたんじゃなくて、外から封印の位置を探ったんじゃ」
「その可能性が高い」
オリヴァーは石箱を見つめた。
核は静かだった。
だが、静かすぎる。
グレイル村へ運ばれるはずだった核。
ミラたちが拾い、封じ、リンドルへ持ち帰ったもの。
セヴラン側が位置を知っている可能性があるもの。
ここにある限り、リンドルは安全ではない。
だが、動かせばもっと危険だ。
「実物は動かさない」
オリヴァーは言った。
「三重封印にする。王都へ送るのは反応写しだけだ。反応写しも一つでは送らない。複数作って、一つは囮にする」
ロアンが頷く。
「師匠、封印布を足しますか」
「足す。ただし核に近づけすぎるな。外側の封印環を広げる。地下室全体を一つの箱にする」
ダリオが目を丸くする。
「地下室ごと封じるんですか」
「そうだ」
オリヴァーは静かに言った。
「核を箱に入れているだけでは足りない。今度は、店ごと守る」
その夜、魔道具屋は早く店を閉めた。
表向きには、旅から戻った職人たちの荷整理のため。
実際には、地下封印を強化するためだった。
魔道具師組合の職人たちは、地下室の壁に封印環を刻んだ。
魔術組合の魔術師たちは、外部干渉を拾う反応陣を設置した。
薬草師組合は、地下に置く鎮静香と、万が一反応が漏れた時の避難薬を用意した。
ロアンはオリヴァーの指示で、白石布を切り分けていた。
「師匠、これで足りますか」
「足りない。もう一束」
「はい」
すぐに返事をして動くロアンを見ながら、オリヴァーは少しだけ目を細めた。
頼もしくなった。
けれど、今は感慨に浸る余裕はない。
地下の核が、細く震えた。
封印環の光が一瞬だけ揺れる。
魔術師が顔を上げた。
「外からではありません。内側が、何かに共鳴しています」
「方角は」
「南東……いや、南です」
オリヴァーの手が止まった。
南。
ミラたちが向かった方角。
カーヴェル。
「……向こうで何かあったな」
ロアンが小さく言った。
オリヴァーは返事をしなかった。
胸の奥が冷える。
ミラが危ないのか。
エリオットの右腕が反応したのか。
それとも、カーヴェルの核が動いたのか。
分からない。
分からないが、繋がっている。
「記録しろ」
オリヴァーは言った。
「南方向への共鳴。時刻。反応の強さ。封印への影響」
「はい」
ロアンがすぐに記録板を取った。
オリヴァーは石箱へ向き直る。
「こちらは守る」
低く、はっきりと言った。
「向こうで何が起きていても、こちらまで抜かれれば終わりだ」
その頃、魔道具屋の裏通りに、一人の男が立っていた。
旅の行商人のような格好をしている。肩には布包み。帽子を深くかぶり、雨上がりの水溜まりを避けるように壁際へ寄っていた。
男は魔道具屋の裏口を見ていた。
窓は閉じている。
扉には新しい反応糸が張られている。
地下へ続く魔力線は、さきほどよりずっと硬く閉じられていた。
男は舌打ちも、ため息もしなかった。
ただ、指先で小さな黒い紙片を折る。
紙片の白い線が、一瞬だけ灰色に曇った。
それから、男は静かに路地を離れた。
魔道具屋の裏口に張られた反応糸が、ほんのわずかに震える。
地下で作業していたオリヴァーが、顔を上げた。
「……来たか」
ロアンが振り向く。
「師匠?」
「裏だ」
オリヴァーは封印具を手に取った。
「こちらを見ている者がいる」
地下室の空気が、一気に張り詰めた。
カーヴェルの前線で奪われた核。
リンドルの地下に残された核。
グレイル村へ向かう正式調査。
すべてが、同じ糸で引かれ始めていた。
オリヴァーは階段の方を見た。
「ロアン、店の表を閉じろ。ダリオ、裏口へ。だが追うな。痕跡だけ拾え」
「はい、師匠!」
「分かった」
封印環の光が、地下室の壁を淡く照らす。
リンドルの夜は、静かだった。
けれどその静けさの下で、後方の戦いはもう始まっていた。




