道を失わないために 3
その後、ミラは患者を直接診たいと言った。
当然、エリオットとセリアとニーナに止められた。
「白花は使いません」
「寝台から出るのもまだ駄目です」
セリアが即答する。
「では、ここで聞き取りをします」
その提案で、どうにか妥協が成立した。
ニーナが患者の家を回り、症状を聞き取ってくる。ミラは寝台の上でそれを確認し、薬草茶の量や休ませ方を指示する。白花は使わない。患者に触れない。必要な判断だけをする。
最初は、もどかしかった。
自分の手で診たい。
呼吸の道を見たい。
薬の道を確かめたい。
けれど、ニーナが戻ってくるたびに、村が少しずつ動いていることが分かった。
「ニルスは、咳の間隔が空いています」
「リタさんは、手足の冷えはありますが、眠れたそうです」
「マルコさんは、地上水に替えてから悪夢を見ていません」
ミラが白花を使わなくても、村は止まっていなかった。
誰かが水を運び、誰かが薬草を分け、誰かが患者を寝かせ、誰かが記録を取っている。
自分が一人で戻さなくても、道は繋げられる。
そのことを、ミラは少しずつ体で覚えていった。
夜になり、診療小屋が静まる頃、ミラはエリオットの右腕の記録を読んだ。
「……右手、動いたんですね」
エリオットは気まずそうに目を逸らした。
「君が倒れたから」
「私を支えるために」
「そうだ」
ミラは記録を見つめた。
小指先端まで触覚あり。
短時間の自発的運動。
用途は攻撃ではなく、身体支持。
白銀反応の残滓。
使用後、痛み強。
胸が詰まる。
「痛かったですよね」
「痛かった」
エリオットは正直に答えた。
「でも、落としたくなかった」
ミラは、記録用紙を握る手に力を込めた。
泣きそうになるのを、どうにか堪える。
「ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
「いいえ」
ミラは首を横に振った。
「守ってくれました」
エリオットは答えなかった。
ただ、右腕を白石布の上からそっと押さえた。
その布には、まだ淡い白銀の残滓が残っている。
ミラはそれを見て、ふと気づいた。
「……黒い残滓が少ない」
セリアが顔を上げる。
「気づきましたか」
「はい。私の白花の周りにも、黒いものがあまり残っていません」
「エリオットさんの右腕から漏れている剣性反応が、黒系残滓を遠ざけている可能性があります」
ミラはエリオットを見る。
「エリオットさんが、守ってくれていたんですね」
「俺は何もしていない」
「そばにいてくれました」
その言葉に、エリオットは黙った。
何かを言おうとして、言葉を飲み込む。
ミラはまだ、自分の気持ちに名前をつけていない。
けれど、彼がそばにいると、白花が休める。
自分の胸も、少しだけ落ち着く。
そのことだけは、はっきり分かった。
翌日から、ミラの療養期間が始まった。
といっても、彼女は完全に何もしないわけではなかった。
白花は使わない。診療小屋から出ない。旧排水路へは行かない。
その条件の中で、記録を読み、ニーナの聞き取りに助言し、セリアの分類表を確認し、ロベルトの証言を整理した。
ロベルトは、商会本部からの通達、黒塗りの箱の搬入、作業員の特徴、封鎖命令の時期をすべて書き出した。
レオンは、騎士団系一団の足跡と装備の特徴を記録した。
セリアは、ミラの白花の変化を記録した。
白花使用時の方針変化。
全体展開から一点誘導へ。
黒系反応への直接接触を避ける傾向。
封印具・記録・仲間への役割分担意識の増加。
「セリアさん、それも王都へ送るんですか」
「必要なら」
「少し恥ずかしいです」
「重要です」
セリアはいつもの調子で言った。
ミラは小さく笑った。
まだ、体は重い。
白花の奥は眠りたがっている。
旧排水路のことを考えると、今でも胸がざわつく。
けれど、すぐに走り出す必要はない。
道を戻すために、まず自分の道を失わないこと。
夢で見た言葉が、胸の奥に残っている。
カーヴェル坑下村に、ひとまずの静けさが戻り始めた頃。
北西へ向かう街道では、別の馬車が雨上がりの道を進んでいた。
オリヴァーは、幌の隙間からリンドルへ続く山並みを見ていた。
荷台の奥には、封印箱がある。
エルダントの反応写し。
偽白灯籠の外枠片。
そして、リンドルへ戻ったら真っ先に確認しなければならないもの。
グレイルの荷に紛れていた、前に封じた核。
「師匠」
ロアンが、荷台の奥から声をかけた。
「先触れ、そろそろリンドルに届いている頃ですよね」
「ああ」
オリヴァーは頷いた。
「三者組合は動き始めているはずだ」
「グレイル村の正式調査も?」
「その準備も頼んである」
ダリオが御者台から振り返った。
「戻ったら忙しくなりますね」
「忙しい方がいい」
オリヴァーは静かに言った。
「後手に回るより、ずっといい」
空気は雨上がりで湿っていた。
遠くにリンドルの町へ続く街道標が見える。
オリヴァーは、胸の奥に重い予感を抱えていた。
ミラたちは南で前へ進んでいる。
なら、自分は後ろを守る。
リンドルの地下に封印した核。
グレイル村の続報。
そして、セヴラン側がそれを狙う可能性。
帰る道は、もうただの帰路ではなかった。
後方の戦いが、始まろうとしていた。




