↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
340/343

落とさなかったもの 3

 夕方になる頃、村には少しずつ情報が回り始めていた。

 旧排水路の奥にあった木箱は、騎士団を名乗る一団に持ち去られた。

 けれど、その前にミラが封印し、水への干渉は弱まった。

 水場はまだ使えない。

 地上水の運搬は継続。

 患者の症状は、すぐ悪化してはいない。

 ニーナは診療小屋で患者を回り続けた。

「水はこの札のものだけです。薬草茶は、今日の分はこちら。喉が冷える感じがしたらすぐ呼んでください」

 彼女は何度も同じ説明を繰り返した。

 声は枯れかけていたが、止まらなかった。

 レオンはロベルトと共に旧排水路の入口を確認した。騎士団系一団が残した足跡、金具の擦れ、木箱を運び出した痕。ロベルトはその全てを青ざめた顔で見ていた。

「あれは……本当に騎士団だったのですか」

「少なくとも、騎士団の名を使える者たちだ」

 レオンは答えた。

「普通の地方騎士団ではない」

「私の記録に、そう書いてよいのですか」

「書け。見たままを」

 ロベルトは震える手で記録を取った。

 逃げることは、もうできなかった。

     

 夜、エリオットはミラの寝台のそばに座っていた。

 セリアには休めと言われた。

 ニーナにも言われた。

 レオンにも、邪魔にならない範囲で寝ろと言われた。

 だが、離れられなかった。

 ミラはまだ眠っている。

 時折、眉を寄せる。

 指先が小さく動く。

 胸元の白花が、弱く、内側で光る。

 夢を見ているのかもしれない。

 エリオットは、布をかけ直した。

 右腕は使わない。

 左手で、そっと。

「君は、また戻ろうとするだろうな」

 小さく呟く。

 目覚めれば、きっと旧排水路へ行くと言う。

 水脈を確認する。

 土壌を戻す。

 患者を診る。

 エリオットの右腕も診る。

 自分の体のことは、最後にする。

「行かせない」

 エリオットは低く言った。

「今度は、止める」

 それが彼女の望むことではなくても。

 守るとは、時に進ませないことだ。

 そう思わなければ、彼女はまた倒れる。

 寝台の上で、ミラの指先がわずかに動いた。

 エリオットは息を止める。

 けれど、彼女は目を覚まさなかった。

 代わりに、胸元の白花がほんの少しだけ光る。

     

 ミラは夢を見ていた。

 水の音がする。

 けれど、カーヴェルの旧排水路の水音ではない。

 もっと遠く、もっと古い場所の水音。

 白い花が咲いている。

 そのそばに、一人の娘が立っている。

 娘は、疲れた顔をしていた。

 けれど、一人ではなかった。

 その隣には剣を持つ騎士がいた。

 後ろには水を運ぶ人々がいた。

 傷ついた者を支える者がいた。

 封印具を置く者がいた。

 祈る者がいた。

 娘は、すべてを一人で浄化しているのではなかった。

 水の道を戻す。

 黒の根を示す。

 剣が断つべき場所を見つける。

 それが、彼女の役目だった。

 剣は、黒を断つ。

 人々は、水を運ぶ。

 誰かが傷ついた者を休ませる。

 誰かが土地が戻るまで待つ。

 白花の娘は、一人で伝説になったのではない。

 守られ、支えられ、止められながら、それでも手を伸ばした。

 ミラは夢の中で、その光景を見ていた。

 そして、誰かの声を聞いた気がした。

 ――道を戻す者が、道を失ってはいけない。

 水音が、静かに遠ざかっていく。

     

 エリオットは、ミラの胸元の白花が一度だけ淡く光るのを見た。

 その光は、カーヴェルの偽白とは違う。

 温かく、静かで、眠りを守るような白だった。

 エリオットは椅子に座ったまま、深く息を吐いた。

 右腕はまだ痛む。

 木箱は奪われた。

 敵は王都へ向かうだろう。

 未名乗りの青年も、反応片を持って去った。

 だが、今は追えない。

 ミラを起こしてはいけない。

 村を放り出してはいけない。

 できることを、一つずつ。

 彼女がいつもしてきたように。

「今は休め、ミラ」

 エリオットは囁いた。

「ここは、俺たちが繋ぐ」

 坑道下の村に、夜が沈む。

 水場の札はまだ揺れている。

 患者の咳も、完全には消えていない。

 旧排水路の奥には、木箱の消えた痕が残っている。

 それでも、村の水音は、昨日よりほんの少しだけまっすぐだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。