落とさなかったもの 2
診療小屋へ戻ると、ニーナが真っ先に駆け寄ってきた。
「ミラさん!」
彼女の顔色が変わる。
「どうしたんですか。怪我を?」
「力を使いすぎた」
セリアが答える。
「寝かせる場所を。水は地上水。薬草はエルダント持参のものだけ。カーヴェル産は使わないでください」
「はい!」
ニーナはすぐに動いた。
診療小屋の奥に簡易寝台が整えられる。清潔な布、温めた湯、白石布。村人たちも異変に気づいて集まりかけたが、レオンが入口で止めた。
「今は入るな。患者の確認は後で行う」
「でも、ミラさんが」
「だからだ」
レオンの声には、普段より強い圧があった。
「彼女を休ませろ」
村人たちは戸惑いながらも下がった。
ミラは寝台に横たえられた。
ニーナが額を拭き、セリアが胸元に光る白花の反応を見る。白花は完全に消えてはいない。だが、花弁を閉じるように、淡い光を内側へしまい込んでいた。
「白花が休眠に近い状態です」
セリアが言った。
「無理に起こしてはいけません。最低でも一日は眠らせます」
「一日……」
エリオットの声が沈む。
「それで済むかは分かりません」
セリアは包み隠さず言った。
「グレイル村、サリア、エルダント、そしてカーヴェル。ミラさんはずっと力を使い続けています。今回は核封印に、黒系術式への対抗、あの黒い……いえ、騎士団系一団への抵抗まで重なった。体が強制的に止めたんです」
エリオットは黙った。
診療小屋の外では、村人たちの不安そうな声が聞こえる。
患者たちもいる。
水の確認も必要だ。
それでも、ミラはもう動けない。
動かしてはいけない。
「患者は私が見ます」
ニーナが言った。
声は震えていたが、目はまっすぐだった。
「ミラさんがしていた分類を続けます。水の札も確認します。分からないところはセリアさんに聞きます」
「お願いします」
セリアは頷いた。
「私は、エリオットさんの右腕を見ます」
エリオットは反射的に首を横に振りかけた。
「俺は――」
「ミラさんが起きた時に判断できる材料が必要です」
セリアはきっぱり言った。
「治療はできません。けれど、記録は取れます。白石布の変色、熱、痛み、指先の感覚、剣性反応の残滓。全部残します」
エリオットはミラを見た。
彼女は眠っている。
いつもなら、無理をしてでも自分の右腕を診ようとするはずだった。
今はそれができない。
なら、記録を残すしかない。
「……分かった」
エリオットは低く答えた。
診療小屋の隣室で、セリアは白石布を広げた。
エリオットは椅子に座り、右腕を机の上へ置く。補助具を外す時、指先に鋭い痛みが走った。
痛みがある。
それ自体は、悪いことではない。
以前なら、痛みどころか感覚すら遠かった。
だが今は、痛みが強すぎる。
セリアが古い白石布を外すと、布の内側に淡い灰色と、細い白銀の筋が残っていた。
「剣性反応の残滓……でしょうね」
彼女は記録板に書き込む。
「右手掌から薬指、小指方向へ白銀反応。前腕部に熱。肘付近で黒い封鎖の軋みあり。痛みは?」
「手のひらから肘まで。強いのは手首の内側と小指の先だ」
「小指の感覚は?」
「ある」
エリオットは目を伏せた。
「ミラを支えた時、服の布地が分かった」
セリアの筆が、一瞬止まった。
それから、また動く。
「小指先端まで触覚あり。ただし使用後に強い痛み。短時間の自発的運動あり。用途は攻撃ではなく、身体支持」
「……記録に残すのか」
「残します」
セリアは白石布を新しいものに替えた。
「これは大事です。黒を断つためではなく、人を支えるために動いた。ミラさんが見れば、きっとそう判断します」
エリオットは答えなかった。
人を支えるため。
そう言われると、胸の奥が苦しくなる。
彼は守れなかったものばかりを見ていた。
木箱を奪われた。
騎士団らしき三人を止められなかった。
謎の青年から外殻片も奪われた。
だが、ミラを落とさずに済んだ。
それを、どう受け止めればいいのか分からなかった。
「右腕は、しばらく使わないでください」
セリアが言った。
「言われなくても使わない」
「漏れるのも駄目です」
ミラと同じことを言われ、エリオットは苦い顔をした。
「難しいことを言う」
「ミラさんもそう言いましたか」
「ああ」
「なら、私は二度目の記録として残します。本人、制御困難を自覚」
「そこまで書くのか」
「書きます」
セリアは新しい白石布を巻き終え、鎮静用の封印布を上から重ねた。
「熱が上がればすぐ呼んでください。隠したら、ミラさんに報告します」
それは脅しだった。
かなり効果的な。
エリオットは深く息を吐く。
「分かった」




