人の形をしたもの 3
「ミラ、下がれ」
エリオットの声がした。
苦しそうな声だった。
それでも、ミラを引き戻そうとしている。
ミラは首を横に振った。
「封印が」
「君が倒れたら終わりだ」
その言葉に、胸が詰まった。
だが、体は動かなかった。
その間に、二人の騎士が木箱の両側を持ち上げた。
白い繭に包まれた核が、木箱の奥で低く震える。
セリアが叫ぶ。
「待ちなさい! 封印状態を記録します。最低でも移送方向を――」
「不要だ」
先頭の騎士が言った。
セリアは記録板に走り書きする。
「騎士団系一団、正式命令書提示なし。危険物回収名目。三名、所属不明。痛覚反応異常。黒系処置痕の可能性。木箱を封印状態のまま搬出――」
「記録をやめろ」
三人目の騎士が、セリアへ手を伸ばした。
レオンが即座にその手を弾く。
「彼女に触るな」
その騎士の手首にも、黒い線が一瞬浮いた。
エリオットの右手が、また反応する。
熱い。
断て。
ミラを守れ。
仲間を守れ。
だが、使えない。
使えば壊れる。
そして、完全に止められる力はまだない。
エリオットは、これほど自分の右腕を憎んだことはなかった。
戻りかけている。
なのに、届かない。
守りたい。
なのに、守りきれない。
*
木箱が小部屋の入口へ運ばれていく。
白い繭はまだ保っている。
ミラの封印は崩れていない。
それだけが救いだった。
だが、核は奪われる。
カーヴェルの水を曲げていたもの。
ようやく封じたもの。
村の苦しみの元凶。
それが、騎士団を名乗る者たちの手で持ち去られていく。
ロベルトが壁際で震えていた。
「騎士団が……なぜ」
「騎士団全部じゃない」
レオンが低く言った。
「だが、騎士団の中にあれを動かせる者がいる」
セリアは唇を噛み、記録板を抱えた。
「残します。全部。今の動きも、反応も、命令書を出さなかったことも」
ミラは頷こうとした。
けれど、視界が揺れた。
白い苔。
黒塗りの箱。
エリオットの右腕。
患者の咳。
水場の札。
謎の青年。
先生。
セヴラン。
謎の騎士たち。
全部が一度に押し寄せる。
まだ、確認しなければ。
水路への干渉が本当に止まっているか。
木箱が動いたことで封印が乱れていないか。
エリオットの右腕は無事か。
患者たちの症状は。
まだ。
「ミラ?」
エリオットの声が遠く聞こえた。
足元が抜ける。
ミラは、倒れるのだと遅れて気づいた。
その瞬間、エリオットが動いた。
考えるより先だった。
左手では間に合わない。
だから、右腕が出た。
補助具に収めていたはずの右腕が、短く、ぎこちなく、それでも確かに動く。
ミラの肩を支え、倒れ込む体を抱き留める。
痛みが、腕全体を焼いた。
「ぐっ……!」
エリオットは息を詰める。
だが、離さなかった。
黒を断つためではない。
敵を倒すためでもない。
ただ、ミラを落とさないために。
右腕は震えている。
指先の感覚がある。
小指の先まで、彼女の服の布地を感じている。
それが痛みより先に、エリオットの胸を締めつけた。
「ミラ」
返事はない。
彼女は完全に意識を失っていた。
セリアが駆け寄る。
「ミラさん!」
レオンが入口を睨んだまま叫ぶ。
「追うな! まず二人を下がらせる!」
排水路の向こうで、騎士団系の一団の足音が遠ざかっていく。
木箱は奪われた。
核も奪われた。
しかし、封印記録は残った。
外殻片の欠損も、未名乗りの青年の発言も、騎士団系一団の異常も、すべて残った。
そしてエリオットの右腕は、ミラを支えたまま震えていた。
守れなかったものがある。
けれど、落とさずに済んだものもある。
その重さを抱えたまま、エリオットは歯を食いしばった。
「……ミラを、診療小屋へ」
声は掠れていた。
「早く」
セリアが頷き、レオンが退路を開く。
カーヴェルの旧排水路には、木箱の消えた跡と、迷いを失いかけた水音だけが残っていた。




