白い繭 3
ミラは唇を噛んだ。
止めたい。
彼を診たい。
でも、ここで止まれば、黒い反応がまた水へ戻る。
エリオットが踏みとどまっている。
なら、自分も戻す。
「……はい」
ミラは白花の光を繭へ重ねた。
黒い核の周囲に、淡い白が満ちていく。
偽白ではない。
冷たくない、本物の白。
それは強く輝く光ではなかった。
むしろ、静かで、柔らかく、見落としてしまいそうな白だった。
けれど、黒い核はその白を嫌がるように震えた。
セリアが最後の封印具を打ち込む。
「導管、固定。箱の底部、封印補助。水路への干渉、低下」
レオンが周囲を確認する。
「苔の明滅が弱まった」
ロベルトが水路を見た。
「水が……戻っている」
小部屋の水音が変わった。
近づいたり遠ざかったりしていた音が、ゆっくりと一方向へ流れ始める。
迷っていた水が、道を思い出したように。
ミラは最後に、木箱の外側へ手をかざした。
直接触れない。
白石布越しに、白花の光だけを流す。
木箱の黒い線が、いくつか薄くなる。
消えはしない。
けれど、弱まる。
「……これ以上は、無理です」
ミラは息を吐いた。
「核は封じました。でも、壊せません。木箱も完全には無力化できていません。一時封印です」
セリアが頷く。
「ですが、水への干渉はかなり弱まりました。記録します。カーヴェル旧排水路、黒塗り木箱内核または核由来触媒。白花による内側封止、封印布による外部固定。水路干渉低下」
その言葉を聞いて、ロベルトが壁にもたれた。
膝が震えている。
「村の水は……」
「すぐに飲めるようになるわけではありません」
ミラは答えた。
「でも、これ以上悪くなる流れは止められたと思います。地上水を使いながら、少しずつ確認します」
ロベルトは目を閉じた。
「……ありがとうございます」
その声は、掠れていた。
エリオットは、まだ右腕を押さえていた。
ミラはすぐに彼のそばへ行く。
「診せてください」
「あとでいい」
「駄目です」
即答だった。
エリオットは少しだけ目を瞬いた。
ミラは白石布を右腕にかけ、白花を細く灯す。
右腕の奥では、白銀の筋が大きく熱を帯びていた。手のひらから薬指と小指、小指の先まで、感覚の道が伸びている。
けれど、その周囲の黒い封鎖も軋んでいた。
危なかった。
もしあの瞬間、エリオットが右腕で黒を断とうとしていたら。
戻りかけた道が、逆に焼き切れていたかもしれない。
ミラの指先が震えた。
「……踏みとどまってくれて、ありがとうございます」
「約束した」
「はい」
「君が青ざめると思った」
ミラは顔を上げた。
エリオットは少しだけ視線を逸らす。
「だから、使わなかった」
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
心配してくれたから。
約束してくれたから。
それだけではないような気がした。
でも今は、まだその感情を掘り返す余裕はなかった。
「右手、感覚が戻りかけています」
ミラは治療師の声で言った。
「でも、今は絶対に動かさないでください。封鎖が軋んでいます。無理に力を通したら、右腕が傷つきます」
「ああ」
「本当に、絶対です」
「分かっている」
エリオットは静かに頷いた。
その顔には、悔しさがあった。
黒を断てなかった悔しさ。
ミラを完全には守れなかったと思っている悔しさ。
ミラはそれに気づいて、首を横に振った。
「守ってくれました」
エリオットが彼女を見る。
「エリオットさんが止まってくれたから、封印できました」
言葉はまっすぐだった。
エリオットはしばらく何も言えなかった。
その時だった。
小部屋の入口の方で、ぱち、と乾いた音がした。
セリアが即座に振り向く。
レオンが剣を構える。
坑道灯の光が揺れた。
そこに、細い影が立っていた。
濃紺の外套。
整えられた髪。
幼さの残る顔に浮かぶ、異様に熱を帯びた目。
エルネスト・ヴィダルだった。
「……すばらしい」
彼は、小さく息を吐いた。
「白花が水の道を戻し、騎士の右腕が黒を拒む。先生が見たがっていた反応です」
ミラは立ち上がった。
「あなたは」
「その核は、あなた方が持っていてよいものではありません」
エルネストは微笑んだ。
けれど、その目は笑っていない。
「先生の観測対象です。封印したなら、なおさら価値がある」
レオンが一歩前へ出る。
「下がれ」
「嫌です」
エルネストの指先に、黒い術式が灯った。
それは細く、冷たく、どこか偽白の光をまとっている。
「先生はおっしゃいました。可能なら、核も回収しなさいと」
彼の声が、わずかに震えた。
恐怖ではない。
期待だった。
「だから、持ち帰ります」
封印された黒塗りの木箱の奥で、核が再び小さく震えた。




