坑道下の白い村 1
坑道門の内側は、夏の昼とは思えないほど冷えていた。
外の陽射しは背後で細く途切れ、石の壁に据えられた坑道灯だけが、淡い橙色の輪を作っている。天井は低く、ところどころ古い支柱が軋むように立っていた。足元には水気があり、踏むたびに靴底が湿った音を立てる。
ミラは、白石布で包んだ鞄の紐を握り直した。
坑道の壁には、白い苔が薄く広がっていた。
見た目だけなら、美しかった。
星明かりを含んだような、淡い白。
けれど、その白は温かくない。
ミラの胸元の白花のペンダントは、坑道へ入った瞬間から、ずっと冷たく震えていた。
「白いのに……違う」
思わず呟くと、隣のエリオットが視線を向けた。
「偽白か」
「はい。エルダントの灯籠より薄いです。でも、ずっと広い」
セリアがすぐに記録する。
「点ではなく面。坑道壁全体に薄く広がっている可能性あり」
ロベルトが後ろで苦々しく顔を歪めた。
「坑道苔は昔からこの辺りにあります。珍しいものではない」
「昔から全部がこうでしたか」
セリアの問いに、ロベルトは返答に詰まった。
代わりに答えたのは、先導していたニーナだった。
「違います」
若い薬草師は、抱えていた少年ニルスを背負い直しながら、壁の苔を見た。
「昔の白い苔は、もっと柔らかい白でした。手を近づけると、少しだけ湿った温かさがあって……薬にすると、熱を穏やかに下げてくれたんです。でも最近のは、触ると冷たい。煎じると、喉の奥が冷えて、効き目が途中で止まる」
ミラは頷いた。
リュナールで聞いた話と同じだった。
薬が効かないのではない。
薬の道が、途中で曲げられている。
坑道はしばらく下り坂だった。
途中で二度、狭い横穴が見えた。どちらも木板で塞がれていて、「旧採掘区画・立入禁止」と書かれている。だが、その板の隙間からも白い苔が覗いていた。
エリオットは、補助具に収めた右手を軽く押さえた。
「強くなっている」
ミラがすぐに振り向く。
「痛みは?」
「痛みではない。熱だ。奥から引かれる」
「無理に探ろうとしないでください」
「ああ」
返事は短かったが、迷いはなかった。
エリオットは右手を使わない。
けれど、反応は隠さない。
感知したことを、きちんと伝える。
それが今の彼の役目だと、本人も分かっている。
ミラはそれを見て、少しだけ胸が落ち着いた。
彼が無理をしないでいてくれることが、こんなに安心する。
そう思った自分に、ミラはまだ名前をつけなかった。
坑道を抜けると、急に視界が開けた。
そこには、地下の広い空洞があった。
天井は高く、岩盤の隙間から細い採光筒がいくつか通されている。上から差す光は弱いが、それを補うように、村のあちこちに坑道灯が吊られていた。
石と木で組まれた小さな家々。
水路沿いの洗い場。
湿った石棚に並ぶ坑道苔。
薬草を干す棚。
古い鉱石の選別場。
子どもたちが遊ぶためだったらしい小さな広場。
生活の気配はあった。
けれど、明るさはなかった。
家の軒先に座る老人が咳をしている。
洗い場の女たちは、ミラたちを見ると不安そうに手を止めた。
子どもたちは広場に出ておらず、戸口の陰からこちらを見ている。
水路の水は澄んでいる。
だが、底の石だけが薄く灰色に沈んで見えた。
「……きれいなのに」
ミラは小さく言った。
「正しくない」
エリオットが続ける。
その言葉に、ミラは頷いた。
汚れている、というより。
流れが、横へ逸らされている。
村全体が、ほんの少しずつ本来の道から外されているようだった。
ニーナは、村の奥にある小さな診療小屋へミラたちを案内した。
中には二人が横たわっていた。さきほど緊急鐘で知らせがあった患者だ。一人は水汲み場で倒れた若い男。もう一人は洗い場で働いていた中年の女性だった。
どちらも高熱ではない。
しかし顔色は悪く、手足が冷えている。呼吸は浅く、喉の奥に水が絡むような音がある。
「まず一人ずつ見ます」
ミラは白石布を敷いた。
セリアがすぐに道具を並べる。
「水、薬草、患者の魔力路。分けて確認します。村全体は見ないでください」
「はい」
ミラは深呼吸した。
村全体に白花を広げたい衝動があった。
けれど、それをすれば自分が飲まれる。
今は一人。
目の前の患者一人の流れを見る。
若い男の手に白石布をかけ、その上からそっと触れる。
熱の道。
水の道。
薬の道。
それらは完全に壊れてはいなかった。
ただ、体の奥へ向かう途中で、冷たい白い膜に触れて横へ滑る。薬草の成分も、水も、届くべき場所へ届かない。
「……戻します」
ミラは囁いた。
引き剥がさない。
押し破らない。
元の道を思い出させる。
白花の光が、細く、ゆっくり流れた。
若い男の呼吸が少し深くなる。指先にわずかに赤みが戻った。
ニーナが息を呑む。
「効いてる……」
「一時的です」
ミラは額の汗を拭った。
「でも、戻せます。少なくとも、この人の中にある曲げられた道は」
「原因を止めなければ、また戻るということですね」
セリアが確認する。
「はい」
ミラは水場の方を見た。
「たぶん、水です。でも、水そのものだけじゃありません。水が通る前に、どこかで曲げられている」
エリオットの右手が、また熱を持った。
「奥だ」
彼は低く言った。
「水場の向こう、もっと下」




