白い苔の荷 1
宿場町リュナールの朝は、荷車の車輪の音から始まった。
石畳の上を軋みながら入ってきた南からの荷馬車は、夜明けの薄い光の中で土埃をまとっていた。馬の首筋には汗が乾いて白く浮き、荷台に積まれた木箱には、同じ印が焼きつけられている。
山と坑道を模した、簡素な焼印。
カーヴェルの荷だった。
木箱が一つ、荷台から下ろされた瞬間、エリオットの右手が補助具の中で熱を持った。
「……来た」
低く呟いた声に、ミラはすぐ振り返った。
「右手ですか?」
「ああ。昨日の苔より、少し強い」
痛みではない、とエリオットは続けた。けれど、その眉間にはうっすら皺が寄っている。
レオンはすでに荷馬車の御者へ近づいていた。
「その荷はどこから?」
「カーヴェルの地上荷置き場だよ。坑道苔と薬草、それから鉱石混じりの土。薬草商へ卸す分だ」
「封は誰が?」
「鉱山商会の代理人だ。こっちは運んだだけで、中身までは知らん」
セリアが、白石布と反応針を取り出す。
「確認させてください。薬材の品質異常が疑われています」
御者は顔をしかめた。
「品質異常? 冗談じゃない、こっちは急ぎの荷だぞ」
ミラはエルダント治療院の身元証明書を差し出した。
「エルダント治療院から南方薬師組合へ向かう途中です。昨日、カーヴェル産の坑道苔に薬効へ影響する反応が出ました。確認が取れるまで、薬材として流通させるのは危険です」
「危険って……瘴気か?」
御者の声が少し大きくなる。
周囲の荷運び人たちがこちらを見た。
レオンが一歩前へ出る。
「騒ぐな。まだ品質確認の段階だ。瘴気と決まったわけではない」
その落ち着いた声に、ざわめきが少し収まった。
セリアが続ける。
「表向きの扱いは“薬材の品質異常”。使用した場合、薬効低下、冷え、悪夢、体調不良が出る可能性があります。荷を止めるには十分です」
御者はしばらく迷っていたが、薬草商の店主が駆けつけてくると、渋々頷いた。
「分かった。だが、勝手に荷を開けたとなれば商会がうるさい」
「開封記録を残します」
セリアは即座に言った。
「立会人、荷主印、開封理由、確認者名。すべて記載します。責任を曖昧にしない方が、後であなたも守られます」
御者は目を瞬いた。
「……あんた、若いのにやけに手慣れてるな」
「必要なので」
いつもの返答だった。
木箱は、宿場の荷置き場の端へ移された。
直接地面に置かず、石板の上に乗せる。セリアが白石布を敷き、ミラはその脇で白花の感覚を細く澄ませた。エリオットは少し離れて立ち、右手の反応を確認する。レオンは周囲の人の流れを見ていた。
「開けます」
セリアが留め具を外した。
蓋が持ち上がった瞬間、冷たい匂いが漏れた。
湿った土のようで、乾いた石のようでもある。中には、昨日見たものより量の多い白い坑道苔が詰められていた。苔は淡く美しい白をしている。だが、光を受けても柔らかく温まらない。
ミラの胸元の白花のペンダントが、ひやりと冷えた。
「同じです」
ミラは囁いた。
「白いのに、流れがありません」
セリアが反応針を近づける。
針は白く曇った。
そして、灰色に沈む。
「偽白傾向。昨日より濃いです」
薬草商の店主が青ざめた。
「これを、昨日まで薬材として扱っていたのか……」
「すべてが同じ濃度ではないと思います」
ミラは言った。
「でも、今は混ぜない方がいいです。他の薬草まで影響を受けるかもしれません」
「他の荷にも?」
御者がぎくりとする。
エリオットが木箱の列を見た。
「左から二つ目と奥の小箱が強い。手前の土袋は薄い」
セリアがすぐ記録する。
「右手による方向感知。強反応箱、二点。中反応、一点。土袋、薄反応」
ミラは心配そうにエリオットを見た。
「痛みは?」
「軽い。熱だけだ」
「無理に見ようとしないでください」
「分かっている」
エリオットは少し間を置いてから、付け足した。
「君が青ざめる前に止める」
ミラは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……今は、私が聞いています」
「そうだったな」
レオンがわずかに視線を逸らした。セリアは何事もなかったように筆を動かしている。
荷の確認は午前中いっぱいかかった。
カーヴェル産の坑道苔、乾燥薬草、鉱石混じりの土、水瓶。いずれも程度の差はあれ、冷たい白の反応を帯びていた。
強いものは坑道苔。
次に水瓶。
薬草は薄いが、効きが鈍る可能性がある。
土袋は反応こそ弱いものの、白石布に触れるとわずかに灰色が残った。
セリアは荷に貼るための一時保留札を作った。
――カーヴェル産薬材、品質異常確認中。
――南方薬師組合の確認が取れるまで薬材として使用不可。
――素手接触不可。白石布または厚布越しに扱うこと。
――他産地の薬材と混載不可。乾燥箱ではなく石箱保管。
薬草商の店主は、それを読みながら苦い顔をした。
「これを貼れば、商会から苦情が来るな」
「貼らなければ、患者が出ます」
ミラが静かに言った。
その声は柔らかかったが、揺れなかった。
店主はしばらく彼女を見つめ、それから大きく息を吐いた。
「……分かった。薬草を扱う者が、薬で人を悪くしちゃ本末転倒だ。ここで止める」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ。知らずに売っていたら、あとで取り返しがつかなくなっていた」
御者も渋い顔で頷いた。
「俺も、これ以上は運ばん。だが、すでに昨日の朝、三箱は出ているぞ」
レオンがすぐ尋ねた。
「行き先は?」
「一箱はエルダント方面。もう一箱はフェルゼへ向かう便。残りは南街道沿いの小村へ売られたはずだ」
ミラの表情が強張る。
「もう、他の場所へ……」
「全部は戻せない」
レオンが言った。
「だが、主要な行き先が分かれば警告は出せる」
セリアも頷く。
「エルダントには銀環堂と治療院へ。フェルゼにはリヴィア・カシュ宛ての紹介状に緊急添え状を付けます。南街道沿いの小村には、荷運び人を通じて使用保留を伝えるしかありません」
ミラは深く息を吸った。
焦ってカーヴェルへ走りたい気持ちが、胸の奥で暴れる。
けれど、エリオットが静かに言った。
「ここで止められる分を止める。広がった荷を戻す道を作る。それからカーヴェルへ行く」
ミラは彼を見た。
「患者さんが、もう出ているかもしれません」
「だからこそ、君が倒れない手順で行く」
その言葉に、ミラは口を閉じた。
エリオットは正しい。
悔しいくらいに。




