宿場町の夜 2
午後になると、風景が少しずつ変わった。
畑が増え、道幅が広がり、人や馬車とすれ違うことも多くなる。
遠くに、木の柵と低い屋根が並ぶ宿場町が見えた。
次の村へ向かう旅人や商人が集まる小さな町だ。
王都ほどの華やかさはないが、村とは違う賑わいがある。
荷馬車が町の入口に近づくと、エリオットの表情が少し硬くなった。
ミラはすぐに気づいた。
「人が多いですね」
「ああ」
「不安ですか」
「……少し」
正直な答えだった。
ミラは少し驚いたが、表情には出さなかった。
「右腕を見られるのが嫌ですか」
「それもある」
「他には?」
「騎士だった頃の知人に会う可能性は低い。だが、町に入るとどうしても思い出す」
「王都を?」
「王都を」
エリオットは町の門を見つめた。
「人の視線。噂。訓練場の音。治療院の白い壁。……そういうものを」
ミラは黙って聞いた。
宿場町の入口で荷馬車は少し揺れた。
エリオットの右手首の護符が、淡く光る。
「今日は無理をしないで、すぐ宿を取りましょう」
「まだ日がある」
「休むのも治療です」
「またそれか」
「何度でも言います」
エリオットは小さく息を吐いた。
「分かった」
そう答えた声は、以前よりずっと素直だった。
宿場町へ入ると、ハンスは馴染みの宿へ案内してくれた。
石と木でできた二階建ての宿。
看板には、麦穂と馬の絵が描かれている。
「ここなら飯も悪くないし、馬車置き場もある。ミラさん、エリオット、今日はここで休むといい」
「ありがとうございます」
ミラが礼を言うと、ハンスは照れくさそうに手を振った。
「村の皆に頼まれてるからな。二人をちゃんと宿まで届けろって」
「皆さんには本当にお世話になってばかりです」
「今さらだろう」
ハンスは笑い、荷を下ろし始めた。
宿の女将が出てきて、ハンスと挨拶を交わす。
ふくよかで、よく通る声の女性だった。
「ハンスさん、今日は早いね。そちらは?」
「うちの村に来てくれてた治療師さんと、患者だ」
「治療師さん?」
女将の目がぱっと明るくなった。
ミラは嫌な予感がした。
「すみません、今日は移動直後でして――」
「ああいや、無理にとは言わないよ。ただ、うちの亭主が昨日から手首を痛めてねえ。鍋を落としかけてから、腫れているんだ」
やっぱり。
ミラは少しだけ苦笑した。
旅治療師をしていると、こういうことはよくある。
休むつもりで宿に入っても、誰かが痛みを抱えている。
熱を出している。
傷を隠している。
そして、ミラはそれを見て見ぬふりできない。
エリオットが隣から低く言った。
「まずは部屋で休むべきだ」
「分かっています」
「君が?」
「……分かっています」
ミラは女将に向き直った。
「荷物を置いて、同行者の腕を確認した後でよければ診ます。急を要する腫れですか?」
「熱はないと思うよ。痛がってはいるけど」
「では少し後で」
「助かるよ、治療師さん」
女将はほっとしたように笑った。
エリオットはミラを見る。
「君は、どこへ行ってもそうなんだな」
「そう、とは?」
「患者を見つける」
「見つけているわけではありません。いるんです」
「同じことだ」
エリオットは少しだけ呆れたように言った。
けれど、その声は柔らかい。
ミラは気づかなかったが、エリオットはその時、少し不思議な気持ちになっていた。
ミラは自分だけの治療師ではない。
村でもそうだった。
子どもの熱を診て、老人の腰を診て、畑仕事で傷ついた手を診た。
そして宿場町に来ても、同じだ。
彼女はどこにいても治療師で、誰かに必要とされる。
それは当然のことなのに、胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
ミラが誰かを診ることを嫌だと思ったわけではない。
そんな資格はない。
ただ、ふと思ったのだ。
この人は旅の人だ。
必要とされる場所へ行く。
痛みのある人のところへ行く。
だから、自分だけが彼女を引き止めることはできない。
そう思った瞬間、胸の奥に小さな影が落ちた。




