それぞれの行き先 1
エルダントを発つ準備は、思っていたよりも静かに進んだ。
夏灯祭の名残は、街のあちこちにまだ残っている。運河沿いの飾り布は半分ほど外され、橋に吊るされていた光玉も銀環堂の職人たちによって一つずつ箱へ戻されていた。
けれど、祭りの浮き立った空気はもう薄い。
銀環堂の奥の作業室には、旅支度のための荷が並べられていた。
ミラたちが持っていくもの。
オリヴァーがリンドルへ持ち帰るもの。
王都へ送るもの。
銀環堂に残しておくもの。
セリアはそれらを黙々と分類していた。
「こちらがミラさんたち用です。薬草、包帯、白石布、反応針、簡易封印布。偽白反応が出た場合は、素手で触れないでください」
「はい」
「こちらはエリオットさんの右腕記録用。熱、痺れ、方向感覚、外向き反応。全部分けて記録します」
エリオットは素直に頷いた。
「分かった」
「動作確認は」
「しない」
「よろしいです」
そのやり取りに、ミラは少しだけ笑った。
少し前まで、セリアは銀環堂の技術助手で、ミラたちにとっては頼もしい協力者だった。けれど今は、正式に同行する仲間として荷をまとめている。
そのことが、不思議で、心強かった。
レオンは作業室の端で地図を確認している。
「エルダントから南街道へ出る。最初の宿場までは半日。そこから先は、街道沿いの村をいくつか経由してカーヴェル方面へ向かう」
「坑道下の村ですね」
ミラが言うと、レオンは頷いた。
「噂では咳と熱、薬草の効きにくさ、古い水の異常。どれも無視するには揃いすぎている」
セリアが別の書類を差し出した。
「エルダント治療院から南方薬師組合への紹介状。メリッサ薬師長から薬草担当への封書。ハーヴェイ院長の身元証明書。これがあれば、少なくとも現地の薬師や治療師には話を聞けるはずです」
ミラはそれを丁寧に受け取った。
ただ旅をするのではない。
今度は、信用をつないでもらって進む。
それがどれほど大きなことか、エルダントで身に染みていた。
作業台の反対側では、オリヴァーが自分の荷を整理していた。
ミラたちと違い、彼の目的地は南ではない。
リンドルだ。
「父さん、本当に一人で戻るんですか?」
ミラが思わず尋ねると、オリヴァーは顔を上げて微笑んだ。
「一人ではないよ。ロアンとダリオが同行してくれる。道中もエルダントからリンドルへの便に合わせる」
「でも……」
「心配なのは分かる」
オリヴァーは手を止め、ミラの方を見た。
「けれど、リンドルには私が戻らなければならない。地下の核の封印状態を確認する必要がある。グレイル村から続報も来ているかもしれない。リンドルの魔道具師組合、魔術組合、薬草師組合にも話を通さないといけない」
ミラは唇を引き結んだ。
グレイル村。
あの村のことを、忘れたことはない。
瘴気の気配。
旧坑道。
拾った核。
今もリンドルの地下に預けられている、あの危険なもの。
「グレイル村は……大丈夫でしょうか」
「核はない。だから急激に悪化する可能性は低い」
オリヴァーは穏やかに言った。
「でも、坑道に置かれた瘴気封入触媒そのものは危険だ。村の水や土、空気への影響は残っているだろう。だから正式な調査と管理が必要になる」
「リンドルの組合が動くんですね」
「ああ。魔道具師組合は封印具と坑道灯を出せる。魔術組合は反応測定ができる。薬草師組合は住民の経過と薬草の変化を見られる。三者が揃えば、王都の許可を待たなくても、最低限の封鎖と浄化支援は始められる」
ミラは少しだけ息を吐いた。
胸の奥にあった重いものが、ほんの少し軽くなる。
「よかった……」
「まだ“よかった”と言える段階ではないよ」
オリヴァーは優しく釘を刺した。
「けれど、放っておかない。そこは約束する」
ミラは静かに頷いた。
オリヴァーの前には、もう一つ重要な荷があった。
リンドル地下の核に関する記録だ。
実物は、まだ動かさない。
そう決めている。
「王都へは、反応写しと封印布の控えだけを送る」
オリヴァーはセリアとイザークへ説明した。
「核そのものを動かせば、必ず狙われる。セヴラン側が位置を観測している可能性もある以上、今は動かす方が危険だ」
イザークは腕を組んで頷いた。
「本物はリンドル地下。王都へ送るのは写し。必要なら囮荷も作る、か」
「ええ。ただし囮を使うなら、リンドル側で安全路を確認してからです」
セリアがすぐに言った。
「囮荷には、薄い反応だけを写してください。強すぎると本物と同じ危険が出ます」
「分かっている」
「あと、封印布の縫い目は二重に。内側に白石粉、外側に水濡れ防止層。港へ運ぶ可能性があるなら、湿気対策も必要です」
オリヴァーは思わず笑った。
「君は本当に頼もしいね」
「必要なことを言っているだけです」
イザークがぼそりと呟く。
「だから残ってほしいんだがなあ」
「店主」
「分かっている。同行の方が今は重要だ」
イザークは肩をすくめた。
けれど、その声には寂しさも混じっていた。
リヴィア・カシュ宛ての紹介状は、オリヴァーが自ら書いた。
南河港フェルゼの魔道具屋。
看板には《潮鈴堂》とあるが、港の者はたいてい「カシュの工房」と呼ぶらしい。
「南へ向かうなら、いずれ水路か港荷に頼ることになる」
オリヴァーは封をしながら言った。
「リヴィアは封印箱と水濡れ対策に強い。危険媒介を運ぶなら、彼女の力が必要になる」
「父さんの知り合いなんですよね」
「ああ。昔、一緒に港荷の封印事故を片づけたことがある」
「借りがあるんですか?」
「少しね」
オリヴァーは苦笑した。
「ただ、彼女は借りより面白い仕事の方を優先する人だ。君たちが持ち込む話は、たぶん十分に面白い」
セリアが真顔で封書を見る。
「それは良い意味ですか」
「職人にとってはね」
レオンが低く言った。
「危険物を“面白い”と言う人間が増えるのは少し不安だな」
「セリアさんも言います」
「言いません」
「近いことは言っている」
エリオットが静かに指摘すると、セリアは少しだけ目を細めた。
「精度が高い仕事には興味があります」
「ほら」
ミラが小さく笑う。
緊張ばかりではなかった。
これから向かう先が危険だと分かっていても、こうして笑える時間がある。
そのことが、ミラにはありがたかった。




