切られた証人 2
治療院を出たところで、ライヘルは足を止めた。
王都の空は曇っている。
白い治療院の建物が、背後に冷たく立っていた。
「僕たちが触れたからです」
ライヘルは低く言った。
「ニコラは、前回、何かを知っている様子だった。あの時、すぐ保護していれば」
「ライヘル」
「糸口を潰された。違う、潰されたのは糸口だけじゃない。人です。彼は証人候補だった前に、治療院の助手で、被害者です」
声が震えていた。
怒りで。
後悔で。
自分の判断の遅さへの、どうしようもない悔しさで。
オルガは、少しの間だけ黙っていた。
それから、静かに言う。
「後悔するのは後」
ライヘルは顔を上げる。
「今は、次を守る」
その言葉は短かった。
けれど、ライヘルを踏みとどまらせるには十分だった。
「……ええ」
彼は深く息を吐いた。
「騎士団に伝えます。これは過去の記録探しではありません。今も、相手は動いている」
その日の夕方、レーヴェン団長の小会議室に、ライヘルとオルガが入った。
室内にはレーヴェン団長、ヘルムート副官、ユアンがいた。
机の上には、ヴィクトルの再聴取記録、旧結界具の解析結果、ノルベルトの保護記録、そしてマティアス関連の監視報告が並んでいる。
ライヘルは挨拶もそこそこに、本題へ入った。
「治療院側の証人候補に、記憶阻害がかけられました」
室内の空気が変わった。
アルベルトが目を細める。
「証人候補とは」
「ニコラ・エーベル。二年前の検査室見習いです。黒い封箱、夜間搬入、マルグリット・ヴェインに関わる記憶を持っていた可能性がありました」
ヘルムート副官が記録を取る。
「今は?」
「特定語句に触れると、魔力路が乱れます。記憶そのものは消えていない。ですが、そこへ向かう道が曲げられている。無理に剥がせば、記憶路を壊す危険があります」
ユアンの顔が険しくなった。
「セヴラン系か」
オルガが頷く。
「ほぼ間違いない。証言だけじゃなく、証人の信用まで削る術式だよ。普通の医師や治療師には、ただ混乱しているようにしか見えない」
アルベルトは低く言った。
「つまり、我々が踏み込めば、相手も証人に手を出す」
「はい」
ライヘルは全員を見た。
「ヴィクトル、ノルベルト、マティアス。誰であっても、直接問い詰める前に保護と記録保全を優先してください」
ヘルムート副官が筆を止めた。
「符丁を決めましょう。異常があれば、通常報告ではなく、即時に分かるものを」
「治療院側では、記憶阻害を“白紙化”とは呼びません」
オルガが言う。
「“白紙”だと消された印象になる。でも今回は消えていない。道が滑る。だから……“横滑り”でどう?」
ユアンが頷いた。
「証人が急に曖昧になった、同じ語句で詰まる、魔力路の異常が疑われる。その場合は“横滑り”と記す」
ヘルムート副官が即座に記録した。
「証人保護の符丁として採用します」
アルベルトは静かに言った。
「これ以降、証人への接触は必ず二段階にする。まず記録保全。次に保護。聴取は最後だ」
「承知しました」
ユアンが答える。
ライヘルは少しだけ目を伏せた。
「ニコラのような被害者を、これ以上出したくありません」
アルベルトは彼を見た。
「コックス研究員」
「はい」
「警告に感謝する。だが、お前一人の責ではない」
ライヘルは唇を引き結んだ。
「それでも、僕は気づいていた」
「なら、その悔いを次に使え」
アルベルトの声は厳しかった。
慰めではない。
命令に近い。
「次の証人を守れ」
ライヘルはゆっくり頷いた。
「はい」
会議が終わる頃、ヘルムート副官は新たな指示をまとめていた。
ヴィクトルの監視強化。
ノルベルトの所在秘匿。
マティアスへの直接接触禁止。
過去記録の写しを二重化。
治療院関係者への不用意な聴取停止。
異常時符丁――横滑り。
ユアンは窓の外を見た。
「相手は、記録だけでなく人の記憶まで触ってくる」
「だから記録を増やす」
ヘルムート副官が言った。
「人が曲げられるなら、紙と証拠を分けて残す。紙が消されるなら、人を守る。両方同時には渡さない」
アルベルトは静かに頷いた。
「戦い方を変える」
その言葉は、王都側の調査全体に向けられていた。
夜、ライヘルは魔術院の解析室に戻った。
机の上には、ミラから届いた符丁の返事が置かれている。
――白布は濡れすぎないうちに畳みました。
――止められた時は、止まりました。
――封箱の底板に、黒鉄を押し返す白銀の筋を確認。
ライヘルはそれを読み返し、目を閉じた。
ミラは進んでいる。
エリオットの右腕も進んでいる。
王都では、証人が潰された。
時間は、どちらの味方でもない。
ライヘルは新しい紙を取り出した。
騎士団宛てではない。
エルダントへ、そしてこれから南へ向かうはずの妹たちへ送るための、短い警告文だった。
――白布の織り手へ。
――白く見えるものだけでなく、曖昧にされた記憶にも注意を。
――人が急に思い出せなくなった時、それは忘却ではなく、道を曲げられた可能性があります。
そこまで書いて、筆が止まる。
本当は、もっと書きたかった。
気をつけろ。
無理をするな。
誰も失うな。
けれど符丁の手紙に、感情を乗せすぎてはいけない。
ライヘルは深く息を吐き、最後に一文だけ加えた。
――証人を見つけたら、まず守りなさい。
その文字は、いつもより少しだけ強かった。




