祭りのあとに残るもの 2
昼過ぎ、エルダント治療院では夏灯祭後の片付けと診療記録の整理が行われていた。
ハーヴェイ院長は、祭り中に診た患者の記録を確認しながら、ミラを院長室へ呼んだ。
中にはメリッサもいる。
机の上には、数枚の正式な書類が置かれていた。
「ミラさん。少し話がある」
「はい」
ミラは姿勢を正した。
ハーヴェイは眼鏡を直し、書類を一枚手に取る。
「薬袋事件と、昨日の模造灯籠の件。治療院として、あなたの対応を正式に記録した」
「正式に、ですか」
「ええ。あなたは当院の管理下で補助治療師として診療に入り、患者への処置、薬草水の調整、危険媒介の発見に貢献した。白花反応についても、必要最低限かつ記録付きで使用している」
メリッサが穏やかに続けた。
「通達はまだ撤回されていないわ。でも、治療院としてはあなたを危険人物とは見なさない。むしろ、適切な管理と記録のもとで、非常に有用な治療師だと判断している」
ミラの胸が詰まった。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらよ」
メリッサは小さく笑う。
「昨日、あの子を助けてくれてありがとう」
ハーヴェイは二枚目の書類を差し出した。
「これは、エルダント治療院から南方薬師組合への身元証明書兼紹介状だ」
「南方薬師組合……」
「南街道沿いの村や、南河港フェルゼ、その先の中流港街ルーウェンまで、薬師組合の連絡網がある。役所の通達があっても、治療院の正式な紹介状があれば、少なくとも門前払いはされにくい」
ミラは書類を両手で受け取った。
そこには、丁寧な文字でこう記されていた。
ミラ・コックス。
旅治療師。
エルダント治療院管理下にて補助診療実績あり。
薬効遅延媒介の発見および患者処置に貢献。
白系治療反応については、記録者同席のもと慎重に使用すること。
単独判断ではなく、現地治療院・薬師組合との連携を推奨。
「単独判断ではなく……」
ミラが読み上げると、ハーヴェイは頷いた。
「あなたを縛るためではない。守るためだ」
「はい」
「通達を盾にする者がいても、この証明書があれば、“治療院の記録がある者”として話を始められる」
メリッサが別の小さな封を差し出した。
「これは私から。南方薬師組合の薬草担当へ。坑道下の村や南街道沿いの咳熱について、薬師側の情報を見せてもらいやすくなると思う」
ミラはもう一度、深く頭を下げた。
「大切に使います」
「使うだけじゃなくて、休む時も見せなさい」
メリッサが言う。
「“この治療師は休ませる必要がある”とも書いておいたから」
「えっ」
「ライヘルさんほどではないけれど、私たちもあなたが無理をしがちなことは分かっているわ」
ミラは言葉に詰まった。
ハーヴェイが静かに笑う。
「良い治療師は、自分の体も管理するものだ」
「……はい」
夕方、銀環堂の作業室には、次の旅路に関する地図が広げられていた。
エルダントから南へ。
南街道の宿場。
坑道下の村。
さらに南へ進めば、南河港フェルゼ。
そこから水路と陸路で中流港街ルーウェン、そして王都へ繋がる。
オリヴァーは数通の紹介状を書いていた。
「これは南河港フェルゼのリヴィア・カシュ宛てだ」
ミラが覗き込む。
「《潮鈴堂》の?」
「正式にはそうだね。でも港では“カシュの工房”と言った方が通じる。リヴィアは封印箱と水濡れ対策に強い。水路で物証を送るなら、彼女の助けが必要になる」
セリアが興味深そうに言った。
「港荷用の封印具ですか」
「君とは気が合うと思うよ」
「それは相手の精度によります」
イザークが横から笑う。
「リヴィア相手にそれを言ったら、たぶん気に入られるぞ」
オリヴァーはさらに別の書類を出した。
「これは荷運び組合向けの保証状。危険媒介の可能性がある荷は、街道上で開封しないこと。封印室か治療院、魔道具工房で確認すること」
レオンが頷く。
「門で止められた時に使えるな」
「そうだ。役人に開けろと言われても、責任者名と開封理由を記録させる。セリアさんなら得意だろう」
「はい。署名欄も用意しましょう」
セリアが即答した。
エリオットは地図の南側を見ていた。
「坑道下の村の情報は、まだ噂が中心ですね」
メリッサからもらった薬師組合宛ての封を、ミラがそっと地図の横へ置く。
「咳と熱。薬草が効きにくい。土の匂い。古い水が出たという話。管轄が曖昧で、外から人を入れにくい」
「サリアとは違うが、似ている部分もある」
エリオットが言う。
「はい。水だけじゃなくて、土の流れが歪められているのかもしれません」
オリヴァーは娘を見た。
「すぐに飛び込む必要はない。まず情報を集める。エルダントでできる限り準備してからだ」
「分かっています」
ミラは頷いた。
「南方薬師組合への紹介状もあります。治療院の記録も、銀環堂の封印記録もあります。前より、ちゃんと準備できます」
その言葉に、オリヴァーは少しだけ目を細めた。
「そうだね」
頼もしくもあり、寂しくもある。
ミラはもう、ただ守られるだけの娘ではない。
夜、青灯亭の部屋で、ミラはライヘルへの返事を書いた。
符丁で書くのは難しい。
けれど、セリアに教わりながら、少しずつ言葉を選んだ。
――白布の織り手より。
――白く見える糸の中に、冷たく乾いたものを確認しました。取らず、周囲の水を戻しました。白布は濡れすぎないうちに畳みました。
――封箱の底板に強い響きあり。開閉試験なし。底板中心に、黒鉄を押し返すような白銀の筋を確認しました。
――水、花、石、封箱の記録は同時刻で別紙にまとめます。
そこまで書いて、ミラは筆を止めた。
少し迷って、最後に一文を足す。
――止められた時は、止まりました。
それを見たエリオットが、静かに頷いた。
「大事な報告だ」
「兄さん、少し安心してくれるでしょうか」
「たぶん。少しだけ」
「少しだけですか」
「兄だから」
ミラは小さく笑った。
そうかもしれない。
その頃、エルダントの外れでは、エルネストが報告書を書いていた。
夏灯祭。
偽白灯籠。
白花反応。
水流復帰。
そして、白花以外の介入反応。
筆先が、熱に浮かされたように走る。
――偽白が白花対象へ接近した際、別種の外向き反応を確認。
――反応源は、退役騎士エリオット・バーンスタンの右腕と推定。
――黒系誘導波に対し、硬質な拒絶反応あり。
――白花とは別系統。剣性反応の可能性。
剣性反応。
その言葉を書いた時、エルネストは興奮で指先が震えた。
先生に報告できる。
白花だけではない。
傷ついた騎士にも反応がある。
きっと、先生は興味深いと言う。
きっと、この観測には価値がある。
エルネストは封をし、王都へ向かう連絡便へ乗せる準備をした。
彼はまだ知らない。
その報告が、セヴランの好奇心だけでなく、警戒心をも大きく動かすことを。
そして、二年前に封じたはずの剣が戻り始めていると知った時、セヴランがもう、白花の娘と傷ついた騎士をただの観測対象としては見なくなることを。




