冷たい白の灯籠 1
夏灯祭の日、エルダントの街は朝から浮き立っていた。
運河沿いには白と青の飾り布が渡され、橋の欄干には銀環堂の職人たちが小さな光玉を吊るしていく。昼の光を受けた光玉はまだ眠っているように鈍いが、夜になれば水面に淡い光を落とすのだという。
銀環堂の前には、祭り用の灯籠がずらりと並んでいた。
大半は銀環堂が作ったものだ。内側には小さな青い輪の識別印が刻まれている。だが、祭りでは毎年、家族で飾りを足した灯籠や、個人が祈願用に作った灯籠も流される。
だから、銀環堂製ではない灯籠があること自体は不自然ではない。
問題は、その中に何が混じるかだった。
「銀環堂の灯籠は、この青輪印。個人製のものは、流し場の確認台で一度見せてもらいます」
セリアは作業台の上で灯籠を指し示しながら、ミラたちに説明した。
「確認台で見るのは、封緘部、水濡れ防止、火の扱い、それから反応針。祭りなので全部を厳密には調べられませんが、“冷たい白”だけは見逃しません」
ミラは頷いた。
「白いけれど、温度がないもの。流れがないもの。乾いているもの、ですね」
「はい」
セリアは真顔で言う。
「白いから安全、とは考えないでください」
エリオットは右腕の補助具を確かめながら、低く答えた。
「分かっている」
セリアの視線が彼の右手へ向く。
「エリオットさんは、右腕に反応が出たらすぐ申告してください。たとえ痛みではなくても」
「熱、痺れ、指先の震え。すべて報告する」
「動作確認は?」
「しない」
あまりに即答だったので、ミラが少しだけ笑った。
「今日は早いですね」
「先に言われる前に言った」
「えらいです」
エリオットがわずかに目を逸らす。
セリアが記録板を閉じながら言った。
「今の会話は記録しません」
「そこは、しなくていいです」
ミラは慌てて返した。
銀環堂の奥では、オリヴァーがイザークと共に灯籠の箱を確認している。ロアンは運搬用の木箱を縛り、ダリオは外の人の流れを見ていた。
気を張っている。
けれど、祭りの空気がその緊張を少しだけ柔らかくしていた。
昼過ぎ、治療院の涼み処が開いた。
広場に張られた大きな布の日除けの下に、薬草茶と冷たい果実水が並ぶ。メリッサは薬師見習いたちへ手順を伝え、ハーヴェイ院長は簡易寝台の位置を確認していた。
ミラは薬草茶の香りを確かめる。
「薄荷が強すぎると、子どもには飲みにくいですね」
「なら、こちらは果実蜜を少し足しましょう」
メリッサが瓶を渡してくれる。
ミラが調整した薬草茶は、喉に優しい配合だった。薬袋事件で咳を残した人たちにも飲みやすいようにしたものだ。
最初に来たのは、あの薬袋を持ち込んだ宿の女主人だった。
「これ、うちの客にも勧めていいかい?」
「もちろんです。ただ、熱がある人は治療院へ来てくださいね」
「ああ。薬はもう、知らない相手からは買わないよ」
女主人は苦笑した。
その言葉を聞いて、ミラは少しだけ胸を撫で下ろした。
警戒は続く。
けれど、街の人たちも変わり始めている。
白い術式の治療師を遠巻きに見るのではなく、薬草茶の味を尋ね、涼み処の場所を聞き、子どもの咳の相談をしてくれる。
それは小さな信頼だった。
夕方になると、エルダントの運河沿いはさらに賑わった。
屋台からは焼いた魚の匂いが漂い、冷やした果実水の瓶が桶の中で光っている。子どもたちは小さな手提げ灯を持って走り、大人たちは流す灯籠に願いを書き込んでいた。
ミラは涼み処の休憩時間に、エリオットと少しだけ屋台を見て回ることになった。
もちろん、二人きりではない。
少し離れてレオンが周囲を見ており、セリアは銀環堂の屋台と確認台を行き来している。オリヴァーはイザークに捕まり、灯籠の防水層について職人たちに説明していた。
「父さん、楽しそうですね」
ミラが言うと、エリオットは銀環堂の方を見た。
「職人の顔をしている」
「リンドルに戻る前に、少しでも息抜きになればいいんですけど」
「なっていると思う」
「本当に?」
「たぶん」
エリオットの返答が少し曖昧で、ミラは笑った。
屋台で水蜜菓子を買う時、エリオットは左手で硬貨を出した。右手は補助具の中に収めたまま、一切動かさない。
その徹底ぶりに、ミラは少し安心する。
けれど同時に、胸の奥がきゅっとした。
エリオットの右手は、戻り始めている。
それなのに、人前では何も変わっていないように振る舞わなければならない。
「ミラ?」
「いえ。何でもありません」
ミラは水蜜菓子を一つ差し出した。
「エリオットさんも食べますか?」
「……甘いものは、得意ではない」
「じゃあ半分だけ」
「それは食べる前提では」
「半分なら大丈夫です」
エリオットは少し困った顔をしたが、結局受け取った。
その様子を遠くから見ていたレオンが、何とも言えない顔で視線を外した。




