白布への警告 2
オリヴァーは続きを読んだ。
「水、花、石、封箱の反応は、必ず同時刻で記録すること。封箱の底板に響きがあっても、開閉試験は控えてください。内留め具、外留め具の記録は通常帳簿と分けること」
セリアが淡々と翻訳する。
「水=水場や薬草水。花=白花反応。石=媒介や祠、白石布。封箱=エリオットさんの右腕。底板=手のひら。内留め具と外留め具=薬指、小指。開閉試験=動作確認」
エリオットは静かに目を伏せた。
「手のひらに感覚が戻っても、動かすな。そういう意味ですね」
「そうだと思う」
オリヴァーは、別添えの短い紙を手に取った。
「君宛ての注意書きもある」
エリオットは顔を上げた。
オリヴァーが読み上げる。
「封箱の管理者へ。底板に響きが戻っても、蓋を開ける時期ではありません。留め具の反応が揃うまで、開閉試験は避けること」
エリオットは黙って聞いていた。
「白布の織り手が水を吸いすぎる時、封箱が勝手に開こうとするなら、まず箱そのものを守ってください。壊れた箱では、何も守れません」
ミラは思わずエリオットを見た。
エリオットも、同じようにミラを見ていた。
壊れた箱では、何も守れない。
右腕だけの話ではない。
エリオット自身の話だ。
「……肝に銘じます」
エリオットは静かに言った。
その声には、わずかな悔しさと、それ以上の覚悟があった。
最後に、ミラへの一文が読み上げられた。
「白布は、水を吸いすぎると傷みます。濡れたまま広げず、必ず乾かす時間を取りなさい。周囲に止められた時は、止まること」
ミラは目を瞬いた。
急に、手紙の向こうに兄の顔が見えた気がした。
王都の解析室で、きっと徹夜で資料を読み、何度も否定しようとして、それでも否定できなかった兄。
その兄が、符丁の奥に隠してくれた言葉。
無理をするな。
休みなさい。
止められたら、止まりなさい。
「兄さんらしいです」
ミラは小さく言った。
オリヴァーの表情が少しだけ和らいだ。
「そうだね。かなり心配している」
「でも、ちゃんと研究者として書いてくれてます」
「だからライヘルは苦しんでいるだろうね」
オリヴァーは静かに言った。
「兄としては否定したかったはずだ。でも、研究者として嘘は書かなかった」
ミラは手紙を見つめた。
怖い。
けれど、それ以上に胸の奥が温かかった。
自分の知らない場所で、兄が戦ってくれている。
父が支えてくれている。
エリオットが隣にいる。
セリアも、レオンも、今は同じ机を囲んでいる。
一人ではない。
そのことを、ミラは改めて感じた。
セリアは手紙の内容を整理し、祭り当日の注意事項へ落とし込んだ。
「まず、白い灯りへの接近は慎重に。特に、水に浮くもの、冷たい光を出すもの、流れがないもの」
イザークがすぐに言った。
「銀環堂の灯籠には識別印を入れる。うちが関わった灯りは、内側に小さな青い輪を刻む。それ以外の白い灯りは、まず確認対象にする」
「治療院の涼み処にも伝えます」
ミラが言うと、セリアは頷いた。
「ただし、祭りの客を不安にさせすぎないこと。表向きは“模造品対策”でいいでしょう」
「偽の銀環堂製品が出回ると危険、ということにするわけか」
レオンが言う。
「はい。嘘ではありません」
「便利な言い方だ」
エリオットは地図を広げた。
「ミラは祭り当日、治療院の涼み処と銀環堂の屋台の間だけを移動する。運河沿いへ行く時は、必ず全員で」
「全員だと目立ちませんか?」
ミラが尋ねる。
「目立つ方がいい時もある」
レオンが答えた。
「人混みでは、孤立させないことが優先だ」
オリヴァーも頷く。
「祭りを楽しむのはいい。ただ、これは息抜きであって無防備になる日じゃない」
「はい」
ミラは素直に頷いた。
楽しみだった祭りに、警戒が重なる。
少し残念ではある。
でも、楽しむことと備えることは両立できる。
薬袋事件で、それを学んだばかりだ。
話し合いが終わる頃には、外は夕暮れになっていた。
運河に沈む陽が、祭り用の飾り布を淡く染めている。
ミラは銀環堂の外へ出て、しばらくその景色を眺めた。
エリオットが隣に立つ。
「怖くなったか」
「少し」
ミラは正直に答えた。
「でも、知っている方が怖くないです。知らなかったら、白いものを全部信じてしまったかもしれない」
「ライヘルさんの手紙が間に合った」
「はい」
ミラは胸元の白花に触れた。
「兄さんに、ちゃんと返事を書かなきゃ」
「何と?」
「無理はしません。止められたら止まります。……たぶん」
エリオットがわずかに眉を上げる。
「最後が弱い」
「努力します」
「それなら俺も止める努力をする」
「エリオットさんも、右手を使わない努力をしてください」
「する」
「本当に?」
「本当に」
言ってから、二人は少しだけ笑った。
重い手紙の後でも、こうして笑える。
それが、ミラには不思議で、ありがたかった。
その夜遅く、エルダントの外れで、一人の男が小さな灯籠を手にしていた。
エルネスト・ヴィダル。
灯籠の中には、白く光る薄い樹脂片が仕込まれている。
見た目は涼しげな白。
水に浮かべれば、夏の夜にふさわしい灯りに見えるだろう。
だが、その白には温度がなかった。
流れもない。
乾いている。
エルネストは灯籠を持ち上げ、細く笑った。
「今度は、選んでもらう」
白花の治療師が、白を見分けられるか。
傷ついた騎士が、人混みの中で右手を抑えられるか。
技術者が、すべての灯りを見張れるか。
護衛が、水辺と人混みを同時に守れるか。
祭りは、観測に向いている。
人が多い。
光が多い。
音が多い。
そして、誰もが少しだけ油断する。
エルネストは、灯籠の火を消した。
闇の中で、偽りの白だけが、冷たく残った。




