古い記録は守らない 2
その動きに最初に気づいたのは、ヘルムートだった。
オスカー・ヘルムートは、報告書に目を通しながら、短く問い返した。
「マティアス・レイドが、外部の使者に反応した?」
「はい。直接接触はありません。ただ、南棟廊下で一度視線が合い、その後レイド卿が足を止めました」
報告に来た騎士は、声を落とした。
「相手はセーヴァルト侯爵家の出入り業者に紛れていた者と思われます。ただし、正式な使者名簿にはありません」
ヘルムート副官は筆を置いた。
「名簿にない出入りか」
「はい」
その時、ユアンが部屋に入ってきた。
「何か動きが?」
「レイドの周囲に、侯爵筋らしき影があります」
ユアンの表情が険しくなる。
「オルブライト副団長ではなく?」
「別筋です」
ヘルムート副官は、机の上に昨日の報告も並べた。
マティアスがノルベルトへ接触した。
その後、自室へ戻った。
オルブライト副団長へ報告した。
夜、自室前で不審な足音。
翌朝、外部の使者らしき人物に反応。
線がつながる。
「誰かが、レイドに揺さぶりをかけています」
ユアンは低く言った。
「レイドが何か持っていると見ている?」
「おそらく」
「手帳か」
ヘルムート副官は小さく頷いた。
「彼が保険を持っている可能性は高い。侯爵側も、それに気づき始めたのでしょう」
「厄介ですね」
「ええ」
ヘルムート副官は淡々と言った。
「ですが、悪いことばかりではありません」
ユアンは片眉を上げる。
「というと?」
「レイドは今、三方から見られている。オルブライト副団長、侯爵側、そして我々。彼はどこにも完全には寄れない。そういう人間は、逃げ道を探します」
「こちらへ?」
「可能性はあります。ただし、彼はまだ自分が助かる道を選ぶでしょう。正義感で動く男ではありません」
「でしょうね」
ユアンは苦く笑った。
「なら、こちらは逃げ道に見せかけた通路を用意する」
「はい」
ヘルムート副官は一枚の紙を取り出した。
「ノルベルトの保護を正式化します。表向きは体調不良による一時配置替え。これをレイドにそれとなく知らせる」
「彼は焦る」
「ええ。ノルベルトがこちらに証言したと考えるでしょう」
「そして手帳を動かす」
「そこを見ます」
ユアンはゆっくり頷いた。
「ヘルムート副官、あなたは本当に敵に回したくない人ですね」
「味方にも同じことを言われます」
午後、マティアスはノルベルトが第二記録室から外されたことを知った。
理由は体調不良。
だが、そんなものは建前だ。
ノルベルトは、レーヴェン団長側に保護された。
つまり、話した。
どこまで話した。
中央白石板のことか。
初記録紙のことか。
自分が紙を持ち去ったことか。
それとも、訓練場の外で上位者と話していたことまでか。
マティアスは廊下の柱の陰で、拳を握った。
動かなければならない。
だが、どこへ。
オルブライト副団長に報告すれば、なぜ今さら動揺していると問われる。
侯爵側に接触すれば、手帳の存在を認めることになる。
レーヴェン団長側へ行けば、自分が二年前に関与したと認めるに等しい。
袋小路だった。
だが、袋小路の中でも、まだ選べるものはある。
マティアスは夕刻、自室へ戻ると、封筒を取り出した。
手帳から抜いた一枚。
もっとも危険な紙。
これだけは、自室に置けない。
その夜、マティアスは宿舎を出た。
遠征報告の追加提出という名目で、南棟の記録保管室へ向かう。手には本当に報告書を持っていた。嘘の中に本当を混ぜるのは、彼がこの二年で覚えたやり方だった。
だが、途中で進路を変えた。
騎士団本部の古い礼拝室。
今はほとんど使われていない小部屋で、遠征前の簡易祈願や遺品の一時保管に使われることがある。
壁際には、古い寄進箱が置かれている。
マティアスは周囲を確認した。
誰もいない。
彼は寄進箱の裏へ手を伸ばし、小さな隙間に封筒を差し込んだ。
完全に隠したわけではない。
探せば見つかる。
だが、知らなければ見ない。
もし自分が捕まれば、この場所を誰かに知らせる手段を考えればいい。
そう思った瞬間、背後の廊下で床板が鳴った。
マティアスは振り返った。
誰もいない。
だが、空気が動いている。
見られたか。
彼は心臓が喉まで上がるのを感じながら、何事もなかったように礼拝室を出た。




