戻ってきた駒 3
一方、団長室では、ヘルムート副官が新しい報告をアルベルトへ上げていた。
「第五遠征隊が帰還しました」
「マティアス・レイドもか」
「はい」
アルベルトは目を伏せる。
「二年前の名簿で、ヴィクトルが反応した男だな」
「直接名を示したわけではありません。ただ、彼の欄の近くで反応が強まりました。ガレス副団長の名ほどではありませんが」
ヘルムートは静かに言った。
「事故当時、マティアスは訓練場の補助記録と人員整理に関わっています。公式には、事故後の混乱処理に加わっただけです」
「都合のいい位置にいる」
「ええ」
アルベルトは机の上の記録を見た。
旧結界具の移送。
ヴィクトルの再聴取。
印章の残滓。
マティアス・レイドの帰還。
「ガレスは動くか」
「おそらく」
「すでに?」
ヘルムートは一枚の紙を差し出した。
「マティアスは帰還報告後、ガレス副団長の執務室へ呼ばれています。公式な面談記録はまだ出ていません」
アルベルトの目が冷える。
「早いな」
「早すぎます」
ユアン・クロフォードが部屋の隅で腕を組んでいた。
「団長。マティアスを泳がせるべきです」
ヘルムートも頷く。
「同意します。今問い詰めれば、ガレス副団長が警戒を強めます。マティアスが誰と接触するかを見るべきです」
アルベルトはしばらく考えた。
「見張りは」
「表には出しません。記録閲覧申請、保管庫の出入り、当時の記録係との接触だけを拾います」
ユアンが言う。
「私の方で、当時の下級記録係を先に確認しておきます。マティアスが接触する前に、最低限の証言を押さえたい」
「急ぎすぎるな」
アルベルトは釘を刺した。
「今の相手は、自分が追い詰められていると気づき始めている。こちらが焦れば、証拠を消す」
「承知しています」
ユアンは頷いた。
ヘルムートが記録をまとめる。
「では、表向きは遠征帰還者の通常報告処理。裏でマティアスの動きを記録します」
「そうしろ」
アルベルトは低く言った。
「二年前、誰が何をしたのか。焦らず、だが逃がすな」
マティアスはその夜、騎士団宿舎の自室で鎧を磨いていた。
手は動いている。
だが、意識はまったく別の場所にあった。
二年前。
訓練場。
エリオットの剣。
黒く沈んだ結界。
倒れた騎士。
血の気を失った見習いたち。
怒号。
そして、ガレスの声。
――記録係を替えろ。
――結界具の点検記録は、こちらで確認する。
――余計なものは残すな。騎士団の混乱を広げる必要はない。
あの時、マティアスは従った。
疑問はあった。
だが、ガレスはすでに上へ引き上げられていた有力者で、政治筋とも繋がっていた。彼に従えば、自分の立場も上がると思った。
実際、上がった。
遠征隊の副隊長格になった。
重要な任務も任されるようになった。
その結果、今、喉元に刃が近づいている。
「終わったことだろう……」
マティアスは低く呟いた。
だが、自分の声がひどく頼りなく聞こえた。
終わったことなら、旧結界具は動かない。
ヴィクトルは呼ばれない。
魔術院は来ない。
マティアスは立ち上がり、机の引き出しを開けた。
そこには古い手帳があった。
二年前の遠征準備記録。
訓練場の人員配置。
事故当日に、自分が誰をどこへ動かしたかの走り書き。
処分しておくべきだった。
だが、捨てられなかった。
いつか、何かあった時のために。
ガレスが自分を切り捨てようとした時のために。
マティアスは手帳を開き、二年前の日付を見た。
そこに、小さく書かれた名がある。
記録係。
結界補助。
救護班。
そして、ガレスの指示を受けた時刻。
マティアスは手帳を閉じた。
汗が背中を伝う。
これは保険だ。
だが、見つかれば命取りにもなる。
その時、廊下で足音が止まった。
マティアスは素早く手帳を引き出しへ戻した。
扉の向こうから声がする。
「レイド卿。遠征報告書の提出期限について確認です」
下級騎士の声だった。
ただの用件。
しかし、マティアスはもう、何もただの用件には見えなくなっていた。
翌朝、ヘルムート副官の机には、短い報告が届いた。
――マティアス・レイド、深夜に自室で書類整理。
――旧手帳らしきものを確認。
――接触者なし。
――警戒心強し。
ヘルムートはそれを読み、静かに目を細めた。
「手帳か」
ユアンが横から問う。
「動きましたか」
「まだだ。だが、何か持っている」
ヘルムートは報告紙を折りたたんだ。
「ガレス副団長は、使えるものは使うだろう。だが、マティアスも自分の身を守るものを持っている可能性がある」
ユアンは静かに頷く。
「なら、彼はただの駒ではない」
「ええ」
ヘルムートは窓の外を見た。
騎士団の中庭では、遠征帰りの騎士たちが装備を片づけている。
その中に、マティアス・レイドの姿もあった。
「駒は、追い詰められると盤面を乱します」
ヘルムートの声は冷静だった。
「その乱れを、こちらの証拠に変えましょう」
王都騎士団の中で、二年前の隠蔽に関わった者たちが、少しずつ動き始めていた。




