旅立ちの朝 2
村の広場には、荷馬車が用意されていた。
隣町へ荷を運ぶ農夫の馬車で、荷台には麻袋や木箱が積まれている。その端に、ミラとエリオットが座れるだけの場所が空けられていた。
村長が馬の首を撫でながら言った。
「隣町まではこの馬車で行ける。そこから次の逗留先の村までは、乗合馬車か、途中まで歩きになるだろう」
「ありがとうございます」
ミラが頭を下げると、村長は穏やかに笑った。
「礼を言うのはこちらだよ。急な延長までしてもらって、本当に助かった」
「まだ診きれていない方もいます。薬の使い方は紙にまとめてありますので」
「うん。エダにも確認してもらう」
「熱が長く続く人が出たら、次の村へ使いを出してください。できる限り戻るか、近くの治療師を紹介します」
「分かった」
ミラは何度も確認する。
村長は苦笑した。
「ミラさんは本当に最後まで治療師だね」
「仕事ですから」
「そういうところが、皆に好かれたんだよ」
ミラは返事に困り、少しだけ視線を落とした。
広場には、村人たちが少しずつ集まってきていた。
診療を受けた子どもが母親の後ろから手を振っている。腰痛を診た老人が杖をついて立っている。若者たちは荷物を馬車に積み込むのを手伝い、女性たちはまた何か食べ物を持たせようとしている。
ミラは何度も礼を言いながら、これ以上は本当に持てないと断った。
だが、最終的に焼き菓子の包みがひとつ増えた。
「これは軽いから」
という理屈だった。
エリオットが広場に現れると、村人たちの視線が一斉に向いた。
一瞬、空気が静かになる。
エリオットはそれに気づいたようだったが、以前のように肩を強張らせはしなかった。
左手には短い杖。
右腕は保護布で吊らず、身体の横に自然に添えている。もちろん、無理に使える状態ではない。けれど、もう死んだように垂れているだけの腕ではなかった。
村長が声をかける。
「エリオット」
「ああ」
「無理はするなよ」
「分かっている」
即答だった。
村長は少し驚いた顔をし、それから笑った。
「ミラさんに仕込まれたな」
「治療方針だそうだ」
「なら従った方がいい」
「そうしている」
そのやり取りに、村人たちの間から小さな笑い声がこぼれた。
以前なら、エリオットはその笑いを嫌がったかもしれない。
だが今日は、ただ少しだけ目を伏せただけだった。
その時、エダが広場へやってきた。
杖をつき、いつものように背筋を伸ばしている。手には小さな布袋を持っていた。
「ミラ」
「エダさん」
ミラが駆け寄ると、エダは布袋を差し出した。
「追加の白花だよ。乾燥させてある。泉の水と合わせて使いな」
「ありがとうございます。でも、昨日もいただいたのに」
「旅は思った通りにはいかないものさ。持てる時に持っていきな」
ミラは両手で受け取った。
エダは次にエリオットを見る。
「エリオット」
「エダ」
「あんたは、ちゃんと痛みを言うんだよ」
「……分かっている」
「嘘をついたら、ミラに言いつける」
「もう言われている」
「ならよし」
エダは満足そうに頷いた。
それから、少しだけ表情を改める。
「村を出るのは怖いかい」
エリオットはすぐには答えなかった。
村人たちの気配が、わずかに静まる。
彼は遠く、祠へ続く道の方を見た。
「怖くないとは言えない」
正直な声だった。
「だが、ここに留まっていても分からないことがある」
「そうだね」
「俺の腕のことも、あの討伐のことも、試し石のことも」
試し石、という言葉に、一部の村人は首を傾げた。
けれどエダは何も聞き返さなかった。
エリオットは続ける。
「それに、ミラの治療は続ける必要がある」
ミラはそこで少しだけ瞬きをした。
エリオットは彼女を見た。
「だから行く」
短い言葉だった。
けれど、それだけで十分だった。
エダは静かに笑った。
「逃げるためじゃないんだね」
「ああ」
「なら、行っておいで」
エダは右手を伸ばし、エリオットの護符に触れない程度の距離で止めた。
「女神様が、あんたたちの道を見ている」
護符が淡く光る。
同時に、ミラの胸元のペンダントもほんのり温もった。
ミラとエリオットは、思わず顔を見合わせた。
エダは何も言わない。
ただ、知っていたように目を細めていた。




