喉に残る印章 1
王都騎士団本部の奥にある小会議室は、普段ほとんど使われない。
大きな窓はなく、壁は厚い。外の廊下の声も届きにくい。会議机と数脚の椅子、そして記録用の小机が置かれているだけの、ひどく簡素な部屋だった。
だからこそ、今回の再聴取には都合がよかった。
アルベルト団長は上座に座り、隣にヘルムート副官が控えている。ユアンは机の横に立ち、数枚の記録紙を整えた。
そして、向かいの椅子に座らされたヴィクトルは、居心地悪そうに肩をすくめていた。
「……ずいぶん物々しいですね」
軽口めいた声だった。
だが、その目は落ち着かない。
アルベルトは表情を変えなかった。
「二年前の事故について、改めて確認する」
「前にも話しましたよ。俺が見たのは、ほんの一瞬です。勘違いかもしれない」
ユアンが静かに言った。
「前回は“勘違いかもしれない”と言った。だが、結界が黒く沈んだという点だけは、何度聞いても変わらない」
ヴィクトルは唇を引き結んだ。
「……そこは、まあ。見えたものは見えたので」
ヘルムート副官が筆を走らせる。
「では確認する。事故直前、訓練場の結界は通常の揺らぎとは異なる変化を見せた。あなたには、黒く沈んだように見えた」
「はい」
「場所は」
ヴィクトルは少し迷った。
「訓練場の端……ではなくて、中央寄りです。白石板のあるあたり」
ユアンの目がわずかに細くなる。
中央白石板。
ライヘルが旧結界具に残る痕跡を探すと言っていた場所だ。
「誰かが結界具に触れていたか」
ヴィクトルの視線が揺れた。
「そこまでは……」
「見ていない?」
「見ていない、というか、見えなかった」
「なぜ」
「人が多かったんですよ。訓練の後で、記録係も、補助騎士も、何人か動いていたし」
ユアンは証言書を一枚めくった。
「前回、あなたは“事故後に記録係が妙に早く交代した気がする”と言った」
「ええ」
「今回はどうだ。気がする、か。覚えている、か」
ヴィクトルは顔をしかめた。
「……覚えています」
ヘルムートの筆先が止まった。
アルベルトも、静かにヴィクトルを見る。
「誰が交代を命じた」
ヴィクトルの喉が、ひゅっと鳴った。
それまで軽く揺れていた肩が、ぴたりと止まる。
「それは……」
言葉が途切れた。
ユアンは一歩近づく。
「誰が命じた」
「……あ、の」
ヴィクトルの額に汗が浮いた。
唇は動いている。だが声にならない。
ただの沈黙ではなかった。
言いたくないのではない。
言えない。
ヘルムート副官が低く言った。
「団長」
アルベルトは頷いた。
「続けろ。だが無理に名前を言わせるな」
ユアンは質問を変えた。
「その人物は、騎士団所属か」
ヴィクトルは一瞬だけ目を見開いた。
それから、苦しげに頷いた。
「事故後に記録係を動かせる立場にあったか」
頷く。
「あなたに、口外するなと告げた人物か」
ヴィクトルの喉がまた詰まった。
それでも、彼は頷いた。
アルベルトの表情が、わずかに険しさを増す。
ユアンはさらに問うた。
「その人物は、あなたに印章を渡した者か」
ヴィクトルは椅子の肘掛けを掴んだ。
顔色が悪い。
だが、ゆっくりと頷いた。
「印章を受け取った時、何を言われた」
「……言え、ない」
かすれた声が漏れた。
「言いたくない、ではなく?」
ヴィクトルは歯を食いしばる。
「言えないんです」
その声には、初めて本当の恐怖が混ざっていた。
「印章は回収された。もう手元にはない。それなのに、まだ……喉が詰まる」
ヘルムート副官は筆を止め、ヴィクトルの首元を見た。
「魔術的残滓か」
ユアンは頷いた。
「ライヘルたちを呼ぶべきです」




