分けるための偽り 3
治療院へ、急ぎの知らせが届いたのは昼過ぎだった。
レオンからの伝言だ。
残りの薬袋を持つ旅人を確認。
本人はまだ使用していない可能性が高い。
治療院へ連れて行く。
ミラは深く息を吐いた。
よかった。
まだ間に合うかもしれない。
しかし、その直後に銀環堂からも知らせが来た。
黒紙素材を持ち込んだ客は存在しなかった。
代わりに、店先へ黒紙に似たただの染色紙が置かれていた。
反応なし。囮の可能性。
セリアはその報告を読み、短く言った。
「やはり分断目的です」
エリオットは手紙を封じた袋を見た。
「三つとも、こちらを動かすためのものだった」
「ただし、安宿街には本物の薬袋が残っていました」
ミラが言う。
「完全な偽情報ではなかった」
セリアは頷いた。
「そこが厄介です。全部が嘘なら無視できます。でも本物を一つ混ぜれば、こちらは確認せざるを得ない」
院長が重い顔で言った。
「患者を使って、こちらの動きを測っている」
ミラの手がぎゅっと握られる。
怒りは、また胸の奥に灯った。
けれど今は、それを暴れさせない。
灯したまま、前を見る。
「その患者さんが来たら、手順通りに診ます」
エリオットが頷く。
「俺も記録する」
「右手は?」
「使わない」
「本当に?」
「本当に」
セリアが横で小さく筆を動かした。
「定型文、発生」
「セリアさん」
「記録はしません。今は」
ミラは困ったように息を吐いた。
夕方近く、レオンとダリオが旅人を連れて戻ってきた。
旅人は三十代ほどの男で、咳をしていたが熱はない。薬袋は上着の内側に入っていた。
セリアが確認する。
針先が白く曇り、灰色へ沈む。
「同型です」
ミラは旅人を診た。
薬はまだ飲んでいない。
喉は少し荒れているが、普通の薬草茶で戻る範囲だ。
「大丈夫です。飲む前でよかった」
旅人は青ざめた顔で何度も頭を下げた。
「安いからって、買うんじゃなかった……」
「あなたが悪いわけではありません」
ミラは静かに言った。
「でも、これからは出所の分からない薬は飲まないでください」
「はい」
その処置が終わった時、治療院の待合室には安堵が広がっていた。
残りの薬袋が見つかった。
少なくとも、これ以上同じ薬で悪化する患者は出ない。
ミラたちは誰一人、単独行動をしなかった。
指定された場所にも行かなかった。
偽情報に飛びつかなかった。
それでも、患者は救えた。
夜、青灯亭の小会議室で、今日の件がまとめられた。
セリアは三つの情報を改めて並べる。
「薬売りの目撃情報。半分は偽、半分は本物。銀環堂の素材情報。偽。エリオットさん宛ての事故情報。媒介つき偽情報」
レオンが腕を組む。
「相手は、こちらの役割を読もうとしている。だが、まだ理解が浅い」
「ミラさんは患者へ飛び出す。エリオットさんは事故情報に食いつく。私は素材情報へ走る。レオンさんは追跡対象を追う。そう見ていたのでしょう」
セリアの声は冷静だった。
「失礼ですね」
ミラがぽつりと言うと、全員の視線が集まった。
彼女は少しだけ頬を赤くしながらも、続けた。
「だって、私たちが何も考えていないみたいに見られていたんですよね」
エリオットが静かに頷く。
「そうだな」
「それは……ちょっと腹が立ちます」
セリアが一瞬だけ目を瞬いた。
レオンは低く笑った。
「いい怒りだ」
ミラは小さく息を吐いた。
「でも、怒ったまま動きません」
「それもいい判断です」
セリアが言った。
エリオットは、机の上に置かれた偽の手紙を見つめていた。
二年前の事故。
偽情報とはいえ、その言葉は心の奥を抉った。
だが、彼はもう一人ではなかった。
自分だけで確かめに行く必要はない。
ミラに隠して動く必要もない。
仲間と共有し、罠として扱うことができる。
それは、悔しさとは別の場所で、彼を支えていた。
「旧南門の廃倉庫は、明日確認しましょう」
エリオットが言った。
「相手の指定時間ではなく、こちらの時間で。証人をつけて」
レオンが頷く。
「俺とダリオが先に見る。必要ならセリアさん。ミラさんは治療院」
「はい」
ミラは素直に頷いた。
行きたい、とは言わなかった。
それもまた、新しい連携だった。
エルダントの外れで、エルネスト・ヴィダルは報告を読み、長い沈黙の後に紙を握り潰した。
分かれなかった。
誰も、思った通りに動かなかった。
薬売りの目撃情報でレオンは追跡に走らず、薬袋を探した。
黒紙素材の情報でセリアは銀環堂へ行かなかった。
事故の手紙でエリオットは動かなかった。
ミラは治療院に残り、患者を待った。
それなのに、薬袋は回収された。
患者は救われた。
情報は記録された。
エルネストは爪が食い込むほど拳を握った。
「なぜだ……」
白花の治療師は、患者を見れば飛び出すはずだった。
傷ついた騎士は、過去を餌にすれば動くはずだった。
技術者は素材を見れば飛びつくはずだった。
護衛は追跡対象を見れば追うはずだった。
なのに、動かなかった。
全員が、互いを見ていた。
互いに止め、互いに補い、互いの役割を変えた。
それがエルネストには理解できなかった。
研究対象が、勝手に条件を変えていく。
観測しようとするたび、別の形へ組み替わる。
「……なら、もっと強い条件が必要だ」
彼は低く呟いた。
紙片の上に、黒い線を引く。
もっと強い揺さぶり。
もっと選びようのない状況。
そう考える彼の目は、もう観測者のものではなかった。
苛立ちに濁った、未熟な弟子の目だった。




