指が動いたと伝える日 4
エリオットの手紙は、村長に預けることになった。
ただし、王都騎士団の便は使わない。
ミラがライヘルからの手紙を届けてくれた古書商のことを話すと、村長は頷いた。
「あの方は明日の朝、隣町へ向かうそうだ。そこから王都へ行く商隊に繋げられる。騎士団の便よりは時間がかかるが、目立たないだろう」
「それで頼む」
エリオットは短く言った。
村長は手紙を受け取り、少しだけ表情を和らげた。
「ご両親へか」
「ああ」
「そうか。きっと安心なさる」
「心配もする」
「親とはそういうものだよ」
村長の言葉に、エリオットは何も返さなかった。
けれど、その横顔は少しだけ柔らかかった。
その夜、エリオットは祖父母の家に戻り、荷物をもう一度確認した。
着替え。
外套。
短い杖。
包帯。
母からの護符。
祖父が使っていた古い小刀。
そして、壁に立てかけた木剣。
木剣には触れなかった。
ただ、見た。
以前なら、その木剣を見るたびに胸の奥が潰れるようだった。
握れない。
振れない。
もう戻れない。
そればかりが頭を占めた。
だが今は違う。
まだ握れない。
けれど、指は動いた。
杯を支えた。
軽い棒を持てた。
道を歩けた。
まだ剣には遠い。
だが、遠いだけだ。
道はある。
エリオットは左手で灯りを消す前に、右手をゆっくり見下ろした。
包帯の下で、手首の護符がかすかに温かい。
白花と剣の紋。
自分が何者なのか、まだ分からない。
守護騎士などという伝承も、正直なところ実感はない。
ただ、ミラが言った。
諦めないなら、自分も諦めないと。
エリオットは右手の指を、ほんの少しだけ曲げた。
痛みは二。
熱はない。
明日、ミラにそう報告しよう。
そう思った時、自分が自然に明日の診察を考えていることに気づいた。
そして、少しだけ笑った。
一方、ミラは診療所で最後の荷造りをしていた。
エダからもらった泉の水を布で包み、白花の袋を鞄の奥へ入れる。
ライヘルからの手紙は、治療記録の帳面に挟んだ。
エリオットの手紙の文面も、胸の中に残っている。
まだ剣を握れるわけではありません。
けれど、指が動きました。
ミラは自分の手を見下ろした。
この手は、王都では足りないと言われた手だ。
もっと大きな術式を使える者がいる。
もっと多くの患者を一度に診られる者がいる。
もっと華やかで、もっと評価される治療師がいる。
けれど、この手でエリオットの指は動いた。
その事実が、静かに胸の奥へ沈んでいく。
誇るというには、まだ怖い。
自信と呼ぶには、まだ頼りない。
それでも、ミラは思った。
私は、ここにいてよかった。
この村に来て、エリオットに出会って、よかった。
胸元の白花のペンダントが、ほのかに温もる。
ミラは窓の外を見た。
遠く、エリオットの家の灯りが消える。
明日も、歩行確認。
右腕の熱。
荷物の重さ。
村長との出立相談。
エダへの挨拶。
次の逗留先への道順確認。
やることは山ほどある。
けれど、もう迷いは少なかった。
村を出る。
エリオットと共に。
治療を続けるために。
彼自身の過去を知るために。
そして、王都に隠された何かへ近づくために。
ミラは帳面を閉じ、灯りを落とした。
暗くなった部屋の中で、白花のペンダントだけが、ほんの一瞬、淡く光った。




