王都に届いた白い報告 2
ライヘルは、引き出しから新しい便箋を取り出した。
表向きは、魔道具部品に関する返信用の紙だ。
読む者が読めば、布と箱と古い水路についての注意書きにしか見えない。
だが、ミラたちには意味が通じる。
彼は筆を取った。
――白布の織り手へ。
書き出してすぐ、ライヘルは手を止めた。
妹へ。
そう書けないことが、ひどく腹立たしかった。
彼は一度目を閉じ、続きを書く。
――先日の水場に関する報告を確認しました。実物が未着のため断定は避けますが、白布が水を吸った時の記録は、旧歌の複数箇所と一致します。
――黒鉄に触れる際は、破砕ではなく織り目の復元を優先してください。黒を引き抜こうとせず、白布が水の通り道を示すだけに留めること。
筆先が止まる。
ライヘルは、サリアの報告に書かれていた「白く光る水」を思い出す。
古い記録には、白い導きだけではなく、偽りの白についての記述もあった。
――白に似た糸あり。冷たきもの、乾きしものは取らぬこと。
彼は一文を足す。
――白く見える糸が、すべて正しいとは限りません。温度と流れを必ず記録してください。
オルガが横から覗き込む。
「それ、ずいぶん具体的だね」
「古い記録にあります。白花の反応を誘う偽装術式の断片です。禁術派が古記録を読んでいるなら、使ってくる可能性があります」
「嫌な予想ほど当たるんだよね」
「本当にやめてください」
ライヘルはさらに書く。
――封箱について。底板に響きが出た場合でも、開閉試験は控えること。内留め具、外留め具の記録は通常帳簿と分け、同時刻の水場・白布反応と照合してください。
意味は明確だった。
エリオットの手のひらに感覚が戻っても、動かすな。
薬指と小指の記録は、通常の治療記録から分けろ。
ミラの白花反応とエリオットの右手反応は、必ず同時刻で記録しろ。
最後に、彼は迷った。
研究者としての文面なら、ここで終わるべきだった。
だが、兄として終われなかった。
――白布は、水を吸いすぎないように。濡れたまま広げれば、布は傷みます。必ず乾かす時間を取ること。
書き終えてから、ライヘルは深く息を吐いた。
オルガが言う。
「妹さん、分かるかな」
「分かります。たぶん」
「エリオット君にも刺さりそうだね。“開閉試験は控えろ”って」
「彼が無茶をしない保証がほしいです」
「妹さんと元騎士君、二人まとめて止める手紙か。兄は大変だ」
ライヘルは封をしながら言った。
「これは解析結果ではありません。警告です。本格的な返答は、エルダントから実物が届いてからになります」
「でも送るんだ」
「送ります」
彼は封筒に白石粉を薄く塗った。
「結果を待っている間に、ミラが無理をしたら意味がない」
同じ頃、王都騎士団の記録保管室では、別の調査が進んでいた。
ユアンは、古い訓練記録を机に広げていた。
二年前。
エリオット・バーンスタンが右腕を失った事故。
当時の訓練場配置。
結界管理記録。
救護班の到着時刻。
事故後に提出された報告書。
そして、ヴィクトルの証言。
ヴィクトルは、事故の直前に妙なものを見たと言っていた。
訓練用結界が一瞬、黒く沈んだ。
その直後、エリオットの剣筋がわずかに逸れた。
事故は、その一瞬の後に起きた。
だが、公式記録には何も残っていない。
「結界異常なし、か」
ユアンは低く呟いた。
隣で記録をめくっていたアルベルトが眉をひそめる。
「こちらの管理簿も同じです。ただ、一箇所だけ筆跡が違う」
「どこだ」
「事故当日の結界点検者名です。上からなぞっている」
ユアンは紙を受け取り、目を細めた。
確かに、違う。
元の文字を消して、その上に別の名前を書いたような跡がある。
「写しは?」
「なぜか欠落しています」
「都合が良すぎるな」
アルベルトは声を落とした。
「ヴィクトルの証言を軽視しろという空気もあります。上層の一部から」
「誰が言っている」
「直接名は出ません。ただ、記録の閲覧申請が一度差し戻されました。理由は“古い事故記録の再調査は不要”」
ユアンは無表情になった。
「不要かどうかは、こちらが決める」
その時、保管室の扉の外で足音が止まった。
誰かが聞いている。
ユアンはアルベルトへ目配せした。
アルベルトは何事もないように書類を閉じる。
ユアンは声を少しだけ大きくした。
「古い訓練場備品の点検記録は明日に回す。今日はここまでだ」
足音が遠ざかる。
完全に消えてから、ユアンは低く言った。
「見られているな」
「ええ」
「なら、写しをもう一つ作る。正規の記録庫には残すな」
アルベルトは頷いた。
「ヴィクトルには?」
「話を聞く。ただし場所を変える」
ユアンは、筆跡の違う記録を見下ろした。
二年前の事故。
それは、本当に事故だったのか。
王都の騎士団の中にも、黒い影はまだ残っている。
その日の夕方、ベルトラン・ゼーヴァルト侯爵の執務室にも報告が届いていた。
サリア水車村の件。
エルダントへ通達が回ったこと。
治療師一行が街門で確認を受けたこと。
そこまでは想定内だった。
だが、続く報告に、ベルトランの表情が冷えた。
――エルダント治療院にて、設備異常が発生。
――銀環堂およびオリヴァー・コックス一行が確認。
――治療院側がミラ・コックスを補助者として受け入れる可能性あり。
ベルトランは紙を机に置いた。
「早いな」
声は静かだった。
だが、側近は身を固くした。
「通達の効果が薄れていますか」
「まだだ。だが、治療院が味方につくのは面倒だ」
サリアでは村人が証人になった。
エルダントでは治療院が証人になりつつある。
白い噂を危険なものとして塗り替える前に、現場の信頼が積み上がっている。
それが腹立たしかった。
「エルダントの役所へ追加の確認を出せ」
「内容は」
「補助治療師として受け入れる場合、すべての治療記録を提出させろ。不審な白い術式の使用有無を明記させる」
「はい」
「それと、退役騎士の身分照会を急がせる」
側近が頷く。
ベルトランは窓の外を見た。
白花の娘。
傷ついた剣。
民が好む物語の形になりつつある。
それは危険だった。
希望は、広がる前に疑いへ変えなければならない。
夜、ライヘルは封じた手紙をリンドル経由の安全便に乗せた。
エルダントの銀環堂気付。
宛名は表向き、魔道具部品の問い合わせ先になっている。
実際には、ミラたちへ届く警告だ。
手紙を運ぶ者が去った後、ライヘルは解析室へ戻った。
机の上には、まだサリアの報告が広がっている。
白花。
水源。
黒い媒介。
右手の共鳴。
彼は古文書の一節をもう一度見た。
――白花の娘、水を掬わず、道を示す。
――傷つきし剣、その手に熱を取り戻す。
「ミラ……」
呼びかけは、誰にも届かない。
ライヘルは目を閉じ、深く息を吐いた。
認めたくない。
けれど、否定できない。
妹はもう、ただの旅治療師ではいられない場所に足を踏み入れている。
ならば自分は、王都でできることをするしかない。
資料を集める。
証拠を揃える。
言葉を選んで警告を送る。
そして必要になった時、王家に眠る聖遺物へ手を伸ばす口実を作る。
ライヘルは新しい紙を引き寄せた。
そこに、こう記す。
――サリア反応、仮照合。
――治癒の女神系古式加護反応の可能性高。
――守護騎士伝承との同時検証を要す。
――王家保管資料への閲覧申請準備。
筆先が止まる。
彼は最後に、小さく付け加えた。
――妹を守るため。
それは研究記録に書くべき言葉ではなかった。
だが、ライヘルは消さなかった。




