治療院の灰色 1
エルダント治療院は、運河から一本奥へ入った石造りの建物だった。
白い壁に青い屋根。中庭には薬草が植えられ、入口には患者や家族が数人、順番を待っている。
けれど、空気は重かった。
人の出入りはある。治療師も薬師も働いている。だが、どこか落ち着かない。清潔であるはずの治療院に、薄い曇りがかかったような違和感があった。
ミラは、入口で一度足を止めた。
胸元の白花のペンダントが、ほんの少し温かい。
「反応があります」
小さく言うと、すぐ隣のエリオット・バーンスタンが視線だけを向けた。
「強いか」
「いいえ。サリアほどではありません。でも、院内の空気が……少し重いです」
「無理に見ようとするな」
「はい」
前を歩くセリアが、振り返らずに言った。
「今日のミラさんは治療師ではなく、職人補助です。患者に触れない。水と布と薬草を見る。そこからはみ出しそうになったら、私が止めます」
ミラは瞬いた。
「セリアさんが?」
「はい。止める人は多い方がいいでしょう」
淡々とした声だった。
けれど冷たくはない。
年は二十八。ミラよりずっと大人で、エリオットより少し上。革手袋と工具入れがよく似合うその姿には、若さよりも現場慣れした落ち着きがあった。
オリヴァーが小さく笑う。
「頼もしいね」
「頼もしいだけで済めばいいですが」
セリアは治療院の扉を見る。
「曖昧な通達、曖昧な異常、曖昧な責任。私が一番嫌いな組み合わせです」
院長室には、すでに人が揃っていた。
エルダント治療院院長、ハーヴェイ・ロス。白髪交じりの痩せた男性で、疲れた顔をしている。
薬師長のメリッサ・グレイ。四十代ほどの女性で、目の下に濃い隈があった。
銀環堂の店主イザーク・ベルン。
オリヴァー、ミラ、エリオット、セリア。
そして、役所から派遣された監視役が二人。
院長はまず、オリヴァーに頭を下げた。
「来ていただき、感謝します」
「設備確認として伺いました」
オリヴァーは丁寧に返す。
「こちらのミラは、私の補助として反応を確認します。患者には触れません」
監視役がすぐに言った。
「治療行為は認められていない」
セリアが、持っていた記録板にすらすらと書き込む。
「役所監視役、治療行為は認められていないと発言。確認しました」
監視役は眉をひそめた。
「何を書いている」
「記録です。設備確認における発言記録。必要でしょう?」
セリアは顔色ひとつ変えない。
「後から“誰が何を許可し、何を禁じたか分からない”となるのが一番危険です。私はそういう事故を知っています」
その声に、少しだけ硬いものが混じった。
ミラは横顔を見る。
セリアの表情は変わらない。けれど、その言葉には実感があった。
イザークが小さく息を吐く。
「セリアの父親は、昔、封印具の事故に巻き込まれた。原因は危険物そのものではなく、責任の曖昧さだった」
「店主」
「すまん」
イザークはそれ以上言わなかった。
セリアも追及しない。
ただ、記録板を持つ指に少しだけ力が入っていた。
「だから私は、曖昧な許可で危険物を扱いません」
セリアは監視役を見た。
「本日の作業範囲を確認します。消毒水、包帯、薬草棚、治療台、換気口、保管棚。患者への接触なし。治療魔法なし。異物を発見した場合、素手で触れず、院長と監視役の確認後に封じる。よろしいですね」
院長が頷いた。
「その条件でお願いします」
監視役も、渋々頷くしかなかった。
エリオットは、その一部始終を記録帳に書いていた。
右手は補助具の中。
外から見れば、何も変わらない。




