青灯亭の作戦会議 1
《青灯亭》は、運河沿いの静かな宿だった。
表通りの華やかな宿とは違い、入口は控えめで、看板の青い灯だけが夕暮れの石畳に淡く揺れている。旅芸人や貴族客が好む宿ではない。工房関係者、護送人、荷運びの監督、夜間作業の職人たちが使う、実務の匂いが濃い宿だった。
だからこそ、ミラたちにはありがたかった。
主人は必要以上に尋ねず、ただ奥の小部屋と荷置き場、そして小さな会議室の鍵を渡してくれた。
「銀環堂の紹介なら、事情は聞かない。ただし、火と騒ぎは出さないでくれ」
それだけだった。
夕食を終えた後、ミラたちは宿の小会議室に集まった。
窓は内側から閉められ、カーテンも下ろされている。ダリオが外と廊下を確認し、ロアンが机の上に記録帳を広げた。
オリヴァーは、銀環堂で聞いたことを改めて整理した。
「エルダントには、私たちの名前が先に入っていた。役所だけじゃない。街門、治療院、宿、荷運び組合、魔道具屋、治安隊にも通達が回っている」
ミラは膝の上で手を握った。
「こんなに広く……」
「うん。だから、しばらくは行動が見られる。治療師として勝手に患者を診ることはできない」
「治療院も、ですか」
「今はね」
オリヴァーの返事は穏やかだったが、現実的だった。
「ただし、治療院そのものにも異常がある。消毒水の曇り、包帯の灰色染み、薬効低下。院長は、治療師ではなく魔道具職人への設備確認として銀環堂へ依頼を出している」
エリオットが言った。
「つまり、明日は治療院に入れるとしても、ミラは治療師としてではなく、職人補助として入る」
「そうだ」
「患者には触れない。水、布、薬草、棚、治療台の反応を見る」
ミラは頷いた。
「分かりました」
オリヴァーは、机の中央に三つの円を描いた。
一つ目に「禁術派」。
二つ目に「騎士団に近い筋」。
三つ目に「政治側」。
「今の圧力は、この三つが重なっている」
ロアンが書き写す。
「禁術派は、黒い媒介を使う。グレイル、レーン、サリア。そしてエルダント治療院の異常も、その系統かもしれない」
次に、オリヴァーは二つ目の円を指した。
「エリオット君の右腕を見ている者たち。個人名は分からない。けれど、剣を知る密偵がついている。右腕の回復を探っているのは間違いない」
エリオットは静かに頷いた。
「明日以降も、外では右手を使いません」
「それがいい」
ダリオが低く言った。
「ここで油断するな。街に入ったから安全、ではない。むしろ、目が増えた」
オリヴァーは三つ目の円に触れる。
「政治側は、通達で私たちを危険人物に見せようとしている。ミラの白い力を“危険な術式”として記録したがっている。だから、こちらは噂ではなく、記録で返す」
ミラは顔を上げた。
「記録で、返す」
「そうだ。何が起きたか。誰が見たか。何に触れたか。何に触れていないか。どの反応が変わったか。全部を残す」
エリオットも言う。
「サリアで役人が言い逃れできなかったのは、村人の証言と記録があったからです。エルダントでは、治療院と魔道具職人を証人にする」
ミラは胸元の白花のペンダントに触れた。
サリアでは、村人たちが白い花の反応を見た。
エルダントでは、治療院の専門家たちが見ることになるかもしれない。
それは少し怖かった。
けれど、必要なことでもある。
「明日は、黒いものを見つけても掴みません」
ミラは言った。
「水や布の流れを見るだけにします。父さんとイザークさん、セリアさんの指示に従います」
「よし」
オリヴァーは頷いた。
「それから、護衛と助手の件だ」
ロアンが筆を止める。
「技術助手は、セリアさんが候補になりそうですね」
「うん。彼女は反応写しと封印具の扱いに慣れている。正式に同行を頼むかは、まだ決めない。明日の治療院での動きを見てからだ」
「護衛は?」
ダリオが問う。
「イザークが候補に声をかける。魔道具護送の経験がある男だそうだ。騎士団本流とは距離がある。口が堅く、金で簡単に売らない」
「会って見極める」
ダリオは短く言った。
「俺とエリオットで話す。剣を知る目か、荷を守る目か、金だけの目か。見れば分かる」
エリオットは頷いた。
「お願いします」
ミラは少しだけ寂しそうに二人を見た。
「ダリオさんも、エルダントで離れるんですよね」
「たぶんな」
ダリオは淡々と答える。
「俺はオリヴァー側の護衛だ。リンドルへ戻る荷もある。だが、代わりが信用できるかは見てから決める」
ぶっきらぼうな言い方だったが、そこには気遣いがあった。
ミラは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は、無事に次の街へ着いてからにしろ」




