銀環堂の借り 2
封印室を出ると、店の奥から一人の若い女が顔を出した。
革手袋をはめ、腰には小さな工具入れを下げている。短く結んだ栗色の髪に、鋭い目。年はミラより少し上だろうか。
「店主、封印室の外側は締めました」
「助かる、セリア」
イザークが紹介する。
「セリア・ナクト。うちの技術者だ。反応針、白石布、封印箱の扱いに慣れている」
セリアはミラたちを一通り見て、軽く頭を下げた。
「セリアです。通達で噂の方々ですね」
ミラがびくりとする。
セリアは真顔のまま続けた。
「悪い意味ではありません。通達の文面が雑すぎたので、店主と一緒に首をひねっていました」
「雑……」
「危険だと言うなら、危険の種類を書けという話です。白い術式だの、水利不安だの、読み手に怖がらせるための言葉ばかりで、実務の役に立ちません」
ミラは少しだけ目を瞬いた。
初対面でそこまで言う人は、珍しい。
エリオットが静かに言った。
「実務の役に立たない通達は、現場を混乱させます」
「その通りです」
セリアは頷いた。
イザークは少しだけ苦笑した。
「言葉はきついが、腕は確かだ」
「店主よりは慎重です」
「私の前で言うな」
短いやり取りに、少しだけ空気が緩んだ。
店の奥の小部屋で、今後の動きが整理された。
まず、サリアから持ち込んだ実物サンプルは《銀環堂》の封印室で保管すること。
王都のライヘルへ送る実物は、エルダントで再封印してから、安全な便を組むこと。
サリアから出した第一報は、まだライヘルには届いていない可能性が高いこと。
今後の連絡先は《銀環堂》にすること。
そして、宿。
「宿は《青灯亭》を使え」
イザークが言った。
「運河沿いの職人宿だ。工房関係者や護送人がよく使う。主人は口が堅い。裏口と荷置き場、小さな会議室がある」
「通達は?」
「届いているはずだ。だが、《青灯亭》は銀環堂の紹介なら、余計なことはしない。報告が必要な場合も、こちらを通す」
オリヴァーは少しだけ考えた。
「宿に迷惑はかからないか」
「迷惑はかかる」
イザークは即答した。
「だが、仕事として受ける宿だ。中途半端な善意の宿より安全だよ」
ダリオが頷く。
「そういう宿の方が信用できる」
エリオットも同意した。
「こちらの事情を知らない善意より、事情を承知した上での契約の方がいい」
ミラは少し複雑そうに目を伏せた。
「私たちのせいで、いろんな人に迷惑が」
「知らずに巻き込む方が悪い」
セリアがさらりと言った。
ミラは顔を上げる。
「え?」
「事情を伏せて巻き込むのは迷惑です。説明して、条件を出して、相手が引き受けるなら、それは仕事です」
ミラは何も言えなかった。
エリオットが小さく頷く。
「その通りだと思います」
セリアは少しだけ目を細めた。
「まともな退役騎士ですね」
「……ありがとうございます?」
「褒めています」
ミラは思わず少し笑った。
護衛と助手の話になると、オリヴァーの表情はまた険しくなった。
「本来なら、この街で護衛と技術助手を探す予定だった。だが通達が回っているなら、表から探すのは危険だ」
「だから私が選ぶ」
イザークは言った。
「護衛は一人、技術助手も一人。多すぎれば目立つ。少なすぎれば足りない。固定で増やすなら二人が限度だろう」
「こちらもそう考えていた」
「護衛候補には心当たりがある。魔道具護送を何度か任せた女だ。腕が立つし、口が堅い。役所に睨まれる程度では逃げない」
ダリオが尋ねる。
「金で売るか」
「安くはないが、売らない」
「なら会う価値はある」
イザークは次にセリアを見た。
「技術助手は……」
「店主」
セリアが遮った。
「私を出す気ですね」
「まだ言っていない」
「顔に出ています」
オリヴァーはセリアを見た。
「君は店を離れられるのか」
「条件次第です。ですが、反応写し、白石布、封印箱、通信筒の扱いならできます。黒系媒介は専門外ですが、触らない判断くらいはできます」
「それは大事だ」
オリヴァーは真面目に言った。
セリアは少しだけ意外そうな顔をした。
「大抵の人は、できることを聞くんですが」
「できないことを知っている人の方が信用できる」
セリアは一瞬黙り、それから短く頷いた。
「なら、話を聞く価値はあります」
ミラは、二人のやり取りを見ながら少し緊張した。
この人が、旅に同行するかもしれない。
そう思うと、不安と同時に心強さもあった。
話が一段落した頃、治療院から正式な依頼状が届いた。
使いは《銀環堂》の裏口から入ってきた。
イザークは封を開け、文面を読む。
「エルダント治療院より、設備と薬水の確認依頼。消毒水の曇り、包帯の灰色染み、薬効低下。治療師ではなく、魔道具職人としての確認を求む」
オリヴァーの目つきが変わる。
「早いな」
「院長も困っているんだろう」
イザークはミラを見た。
「君を治療師として呼ぶことは、今はできない。だが、オリヴァーの補助として、患者に触れず、水や布の反応を見ることはできるかもしれない」
ミラは胸元の白花に手を当てた。
「……はい。できます」
エリオットがすぐに言う。
「ただし、条件を整えてからです。役所の通達がある以上、治療院側にも証人と記録が必要になります」
「その通り」
イザークは頷いた。
「明日、私とオリヴァーで治療院へ行く。ミラ君は補助扱い。エリオット君は記録係。セリアも連れていく」
「私もですか」
「君は水と包帯のサンプルを取る」
「了解しました」
ミラは少しだけ息を吐いた。
治療院には入れないと思っていた。
けれど、別の道ができた。
治療師としてではなく、職人の補助として。
サリアと同じだ。
正面から押し通すのではなく、相手が止めにくい理由を作る。
その夜、ミラたちは《青灯亭》へ移った。
宿の主人は、銀環堂の紹介状を見ると余計なことは聞かなかった。ただ、奥の部屋と小さな会議室、荷置き場の鍵を渡した。
「工房仕事の客は、静かな方がいい」
それだけ言って、温かい食事を出してくれた。
ミラは久しぶりに、少しだけ肩の力を抜いて食事をした。
けれど、完全には休めない。
エルダント全体に通達が回っている。
治療院には異常がある。
護衛探しは慎重にしなければならない。
ライヘルへの第一報はまだ届いていない。
右手のリハビリも、密かに再開する必要がある。
やるべきことは山ほどある。
それでも、足場はでき始めていた。
銀環堂。
青灯亭。
治療院への設備確認。
護衛候補。
技術助手候補。
疑いの街で、細い道が一本ずつ繋がっていく。
ミラは食後、サリアの白花を白石布の中でそっと確認した。
花はまだ、ほんのり温かかった。
その温かさに触れながら、ミラは小さく呟く。
「一つずつ」
隣で記録を整理していたエリオットが顔を上げる。
「そうだ。一つずつだ」
彼の右手は、補助具の中で静かに眠っている。
外には見せない。
焦って動かさない。
けれど、確かに戻り始めている。
エルダントの夜は、運河の水音を含んで静かに更けていった。




