銀環堂の借り 1
魔道具屋《銀環堂》は、エルダントの運河沿いに建っていた。
表通りに面しているわけではない。荷船が行き交う運河の脇、職人街へ続く石畳の角に、銀色の輪を模した看板が下がっている。
扉を開けると、乾いた薬草と白石粉、磨かれた金属の匂いが混じっていた。
壁には反応針や封印具、通信筒が並び、奥には厚い扉で仕切られた部屋がある。そこが封印室なのだろう。
「まず荷を奥へ」
イザークは、店へ入るなりそう言った。
「役所の者が来る前に、封印状態だけでも確認する」
オリヴァーは頷き、荷馬車から封印箱を降ろした。
ロアンが補助し、ダリオが入口近くに立つ。エリオットはミラの半歩後ろに控えたまま、店内の出入口と窓の位置を確認している。
ミラは、そっと息を吸った。
ようやく街へ入れた。
でも、安心できる空気ではない。
門で名指しされたことが、まだ胸に残っている。
封印室は、石壁で囲まれた小部屋だった。
床には白石粉の線が円形に引かれ、壁には古い遮断板が埋め込まれている。部屋の中央には、重い作業台がひとつ。
イザークは封印箱を前にし、手袋をはめた。
「サリアから持ち出した実物は?」
オリヴァーが一つずつ答える。
「水車軸の黒い木札。黒糸の灰。祠下から押し出された黒い銅片。祠の水。白花反応を吸わせた白石布。祠の白花。患者の経過記録と反応写し」
「厄介な土産だ」
「そうだね」
イザークは封印箱の刻線を見た。
「封は悪くない。むしろ、かなり丁寧だ。……これを見てなお、門前で開けろと言う役人は、職人を殺す気か」
「知らないから言えるんだ」
オリヴァーの声は静かだった。
イザークは箱に触れず、反応針を近づける。
針先が一瞬だけ曇り、すぐに薄い黒を帯びた。
イザークの表情が変わる。
「本当に黒系だな」
「グレイル、レーン、サリア。形は違うが、同じ系統の術式だ」
「これを持った一行を、街門で荷改めとはね」
イザークは低く笑った。
笑っていたが、目は笑っていない。
「通達は、君たちが来る前に街中へ回っている」
ミラは顔を上げた。
「街中……?」
「役所、街門、治療院、宿屋、荷運び組合、魔道具屋、治安隊。少なくとも私が知る限り、そのすべてに写しが届いている」
ミラの顔が強張った。
オリヴァーも、わずかに眉を動かす。
「そこまでか」
「ああ。文面は曖昧だ。白い術式を使う旅治療師に注意。不審な治療活動。水利不安を広げた可能性。退役騎士は身分照会中。危険媒介の持ち込みに警戒せよ」
イザークは通達の写しを作業台へ置いた。
「名指しだよ。ミラ・コックス、エリオット・バーンスタン、オリヴァー・コックス」
ミラは言葉を失った。
エリオットが静かに通達を読む。
「……意図的に、危険人物のように見せていますね」
「だが、何をしたから危険なのかは書いていない」
イザークは頷いた。
「読む側に勝手に怖がらせる書き方だ」
オリヴァーは深く息を吐いた。
「護衛探しは難航するな」
「護衛?表の護衛組合に募集をかけるのはやめろ。半日で役所に伝わる。応募者の中に、役所へ報告する者が混じってもおかしくない」
ダリオが低く言う。
「金で雇える奴ほど、金で売る」
「その通りだ」
イザークはダリオをちらりと見て、短く頷いた。
「宿も同じだ。普通の宿なら、主人が善人でも通達を見ていれば報告せざるを得ない。治療院も、すぐには君たちを入れないだろう」
ミラは唇を引き結んだ。
「治療院を手伝えると思っていました」
「今は無理だろうな」
イザークの言葉は遠慮がなかった。
だが、冷たくはない。
「ただし、道がないわけじゃない」
イザークは封印箱を白石線の内側へ置き、部屋の遮断板を閉じた。
それから、改めてオリヴァーへ向き直る。
「荷はうちで預かる。役所には、銀環堂の封印室で確認中と報告する」
「助かる」
「借りを返すだけだ」
オリヴァーが困ったように眉を下げた。
「イザーク、あれは借りではない」
「君は昔からそう言う」
イザークは淡々と返した。
「だが、私にとっては借りだ」
ミラは父を見る。
「昔、何かあったんですか?」
オリヴァーは少しだけ沈黙した。
答えたのはイザークだった。
「若い頃、私はこの店を失いかけた」
彼は封印室の壁に手を触れた。
「扱っていた封印箱に不具合が出た。黒系ではなかったが、魔力漏れを起こせば周囲の荷を巻き込む危険があった。役所に知られれば営業停止。最悪、銀環堂は潰れていた」
「そこへ、たまたま父さんが?」
「たまたま、という顔をしていたな」
イザークはわずかに口元を歪めた。
「三日三晩、ほぼ寝ずに封印箱を直した。しかも役所には、『素材の不具合で、店側の管理不足ではない』と証言した。私の失態を言いふらすこともなかった」
「職人として当然のことをしただけだ」
オリヴァーは静かに言った。
「危険物を止めるのに、誰の失敗かを責めている時間はなかった」
「だから借りなんだよ」
イザークは即座に返した。
「自分の手柄にもしない。恩に着せもしない。だから余計に忘れられない」
ミラは父の横顔を見た。
オリヴァーは照れたようでも、誇るようでもなかった。ただ少し困っている。
そんな父らしさに、ミラは胸が少し温かくなった。
「だから私は、通達の紙切れより、自分の目と昔の借りを信じる」
イザークは言った。
「ただし、情だけで動くつもりはない。君たちを守るなら、手順と証拠がいる。そこは分かってくれ」
「もちろんだ」
オリヴァーは頷いた。




