エルダントに届いた通達 2
その頃、ミラたちはエルダントへ続く街道を進んでいた。
サリアを出て二日目。
夏の日差しは強く、街道脇の草は乾いた匂いを放っている。遠くに川の支流が見え始めると、空気に少しだけ水気が混じった。
ミラは帽子のつばを少し下げ、水袋を口にした。
今度も、エリオットに言われる前に。
「飲みました」
ミラが先に言うと、エリオットは真面目に頷いた。
「良い」
「褒められるほどのことでは……」
「必要なことを自分でできるのは良いことだ」
「その言い方、やっぱり父さん寄りです」
荷馬車の上でオリヴァーが言った。
「私はそこまで言わないと思うけど」
ロアンがまた何か言いかけ、すぐに口を閉じた。
ダリオは後方を見ている。
サリアを出てから、距離を取ってついてくる気配は消えていない。姿ははっきり見えない。だが、街道の曲がり角、宿場の馬小屋、川沿いの木陰。いつもどこかに、剣を知る者の目がある。
エリオットも気づいていた。
だが、右手の様子は外では一切見せていない。
右腕は補助具の中。
荷は持たない。
ミラを庇う時も、左手と足運びだけ。
薬指と小指の感覚は、まだ消えていなかった。
それどころか、手のひらに布を押さえた記憶が残っている。
エリオットはそれを焦らず、深くしまい込んだ。
エルダントに着くまでは、確認以上のことはしない。
昼を過ぎる頃、エルダントの外壁が見えた。
高くはないが、しっかりした石壁。
その向こうに、運河の上を行き交う荷船の帆が見える。
ミラは少しだけ息を吐いた。
「大きい街ですね」
「リンドルほどではないが、街道と水運の中継地だ」
オリヴァーが答える。
「工房も、治療院も、荷運び組合もある。ここで体制を整える」
「銀環堂、でしたよね」
「うん。古い知り合いが店主をしている。まずはそこへ行く」
エリオットは街門を見つめた。
門の前に、役人らしき男が二人立っている。
旅人の荷を軽く確認しているようだが、彼らの視線は時折、街道の先へ向けられていた。何かを待っている。
エリオットの目が細くなる。
「来る前から、知られているようです」
ダリオも頷いた。
「門番の目が荷じゃない。人を探している」
ミラの胸が小さく鳴った。
「私たちを、ですか」
「おそらく」
オリヴァーは声を落とした。
「慌てない。書類は揃っている。危険物の封印も問題ない。話すのは私が先だ」
「はい」
エリオットは記録帳を手元に置いた。
門へ近づく。
役人の一人が、すぐに顔を上げた。
「止まってください」
荷馬車が止まる。
役人の視線が、ミラ、エリオット、オリヴァーの順に移った。
「ミラ・コックス殿。エリオット・バーンスタン殿。オリヴァー・コックス殿ですね」
名指しだった。
ミラは息を呑む。
エリオットは表情を変えない。
オリヴァーが一歩前へ出た。
「はい。オリヴァー・コックスです。エルダントの魔道具屋《銀環堂》へ向かう予定です」
「入街前に、身分と荷の確認を行います」
役人は硬い声で言った。
「特に、魔道具、薬草、封印箱、危険媒介と思われる物品については申告を」
「当然です」
オリヴァーは落ち着いて答えた。
「ただし、封印箱の中身は専門の設備なしに開けられません。《銀環堂》の封印室で、店主立ち会いのもと確認することを希望します」
役人は眉をひそめる。
「こちらには確認権限がある」
「権限があることと、安全に扱えることは別です」
オリヴァーの声は穏やかだった。
だが、引く気はない。
「サリアで回収した黒系媒介を含みます。ここで不用意に開ければ、門の周辺に影響が出る可能性があります。責任者名を書いていただけるなら、ここで開封しても構いませんが」
役人の顔が固まった。
責任。
その言葉は、サリアで役人たちを何度も止めた。
エルダントでも効いた。
もう一人の役人が小声で言う。
「《銀環堂》へ連絡を」
門番が走る。
ミラは、胸の奥で小さく息を吐いた。
また、最初から疑われている。
けれど、サリアとは違う。
ここにはオリヴァーの知り合いがいる。
魔道具屋がある。
治療院もある。
新しい手順を作るための街だ。
エリオットが、彼女の半歩後ろで静かに言った。
「一つずつだ」
ミラは頷いた。
「はい。一つずつ」
しばらくして、《銀環堂》の店主イザーク・ベルンが門へやって来た。
灰色の髪を後ろで束ね、職人用の長衣を羽織った男だった。目つきは鋭いが、オリヴァーを見るなり肩をすくめた。
「久しぶりだな、オリヴァー。相変わらず面倒な荷を連れてくる」
「今回は荷だけではないんだ」
「通達で知っている」
イザークは役人へ向き直った。
「この荷は《銀環堂》の封印室で確認する。黒系媒介が含まれるなら、ここで開ける方が危険だ。私が責任者として立ち会う」
役人は渋い顔をした。
「役所への報告は」
「当然する。だが、先に安全を確保する。順序を間違えれば、報告する相手が増えるぞ」
その言い方に、門番の一人がわずかに青ざめた。
結局、ミラたちは行動記録を提出すること、治療活動を行う場合は役所の確認を受けること、封印箱は《銀環堂》で開封確認することを条件に、街へ入ることを許された。
自由な入街ではない。
だが、門前で止められることもなかった。
イザークは歩き出しながら、低い声で言った。
「歓迎と言いたいところだが、街の空気はあまり良くない。君たちの名前は先に届いている」
「やはり」
オリヴァーが答える。
「治療院にも通達が?」
「ああ。だからすぐには入れないと思え」
ミラの表情が少し曇る。
イザークは彼女をちらりと見た。
「だが、治療院の方にも問題が起きている。消毒水の曇り、包帯の染み、薬効低下。院長は表向き、私に設備確認を頼んできた」
オリヴァーの目つきが変わった。
「黒系か」
「まだ分からん。だが、嫌な感じはする」
ミラは胸元の白花に触れた。
街へ入ったばかりだというのに、もう水と布と薬の異変がある。
エリオットは静かに周囲を見た。
市場。
運河。
役人。
遠巻きに見る人々。
そして、門の外からついてきた視線が、まだ完全には消えていない。
エルダントは、休息の街ではなかった。
けれど、立て直すための街にはなり得る。
そのためにはまず、この街に仕込まれた疑いと異変を、一つずつ見ていくしかなかった。




