エルダントに届いた通達 1
エルダントは、水と街道の街だった。
大きな川から枝分かれした運河が街の内側へ引き込まれ、船着き場には荷船が並ぶ。街道から来た馬車は南門を抜け、石畳の道を通って市場へ向かう。粉、薬草、布、金属細工、魔道具の部品。さまざまな荷がこの街で積み替えられ、また次の土地へ運ばれていく。
その朝、エルダントの役所には、一通の通達が届いていた。
差出人は、ローヴェル男爵家を経由した水利監察局。
だが、文面の硬さと、押された印の扱いから、単なる地方監察の通達ではないことは明らかだった。
役所の執務室で、若い書記官が文面を読み上げる。
「白い術式を用いる旅治療師、ミラ・コックス。同行者、退役騎士エリオット・バーンスタン。魔道具職人オリヴァー・コックス。以上の者らがエルダントへ向かっている可能性あり」
執務机の向こうで、役人の男が眉をひそめた。
「続けろ」
「サリア水車村において、水利不安に関わる騒動を起こした疑いあり。村民を扇動した可能性があるため、治療活動、魔道具使用、危険媒介の持ち込みについては慎重に確認すること。治療院、魔道具屋、宿屋、荷運び組合は、接触時に役所へ報告すること」
書記官はそこで少し声を落とした。
「なお、退役騎士エリオット・バーンスタンについては身分照会中。治療師ミラ・コックスについては、不審な白い術式の使用記録を求む、とのことです」
部屋に沈黙が落ちた。
上役の男は、机の上で指を組んだ。
「サリアの騒動とは、水車村の件か」
「詳細は伏せられています。ただ、患者が出たこと、水車と祠の確認が行われたこと、白い光の反応があったことは書かれています」
「患者が出たのなら、治療師が動くのは当然だろう」
別の年配の役人が呟いた。
若い書記官が困った顔をする。
「ですが、通達では危険人物に近い扱いです」
「危険人物なら、なぜ逮捕状ではなく注意喚起なのだ」
年配の役人は苦々しげに言った。
「文面が曖昧すぎる。責任だけこちらに押しつける書き方だ」
上役は低く息を吐いた。
「それでも、無視はできん」
彼は通達を机に置いた。
「街門へ知らせろ。該当者が来たら、入街前に荷と身分を確認する。治療活動は許可が出るまで禁じる。魔道具屋にも写しを回せ。特に《銀環堂》だ。オリヴァー・コックスと取引があるはずだ」
「治療院にも?」
「もちろんだ」
上役は目を細めた。
「ただし、余計な騒ぎにするな。旅治療師ひとりを門前で大罪人のように扱えば、それこそ噂になる」
書記官は頷き、通達の写しを作り始めた。
エルダントは、まだミラたちを知らない。
けれど彼女たちの名前だけは、本人たちより先に街へ入っていた。
エルダント治療院では、朝から薬師長が頭を抱えていた。
棚に並ぶ包帯の一部に、薄い灰色の染みが出ている。
昨日はなかったはずのものだ。
消毒用の水瓶も、底がわずかに曇っていた。水そのものは臭わない。毒でもない。けれど、清潔な水とは言い難い濁りがある。
「またか」
薬師長が低く呟く。
若い助手が不安げに言った。
「昨日取り替えたばかりです。水も、包帯も」
「分かっている」
「患者さんたちも、治りが少し遅いって……」
薬師長は答えず、水瓶の底を睨んだ。
ここ数日、治療院では小さな異変が続いていた。
薬草茶の効きが鈍い。
消毒水が曇る。
白い包帯が灰色にくすむ。
治癒魔法を施しても、傷の戻りが妙に遅い患者が数人いる。
致命的ではない。
だからこそ厄介だった。
大騒ぎするには弱い。
だが、放っておくには不気味すぎる。
そこへ院長が入ってきた。
手には役所から届いたばかりの通達がある。
「薬師長、少し厄介なことになった」
「こちらも十分厄介です」
「白い術式を使う旅治療師に注意しろ、との通達だ。サリア水車村で騒動を起こした可能性があるらしい」
薬師長は眉を寄せた。
「サリアの?」
「知っているのか」
「噂だけです。水車村で熱病が出て、旅治療師が鎮めたと聞きました。こちらへ来る荷運びが話していましたよ。むしろ感謝されている様子でした」
院長は通達を机に置いた。
「通達では、村民を扇動した恐れがあると書かれている」
「患者を治したら扇動ですか」
「声を落とせ」
院長は苦い顔で言った。
薬師長は黙ったが、納得していない顔だった。
院長は棚の包帯と水瓶を見た。
「この件、《銀環堂》へ相談しよう」
「魔道具屋へ?」
「治療師には頼めん。通達が来た直後に白い術式の治療師を呼び込めば、役所に目をつけられる。だが、設備や水瓶に異常があるなら、魔道具職人の確認は正当な理由になる」
薬師長は少し考え、頷いた。
「《銀環堂》なら反応針も扱えます」
「そうだ。治療の問題ではなく、設備と水の確認として依頼を出す」
院長は窓の外を見た。
治療院の中庭には、夏の光が落ちている。
その光の下で、白い布だけが薄く灰色に染まっていた。
魔道具屋《銀環堂》は、エルダントの運河沿いにあった。
銀の輪を模した看板が揺れ、店の奥には封印箱や反応針、白石布、通信筒が整然と並んでいる。
店主のイザーク・ベルンは、役所から届いた通達を読み終えると、鼻で笑った。
「オリヴァー・コックスが危険媒介を不用意に持ち込む、ねえ」
店番の青年が首を傾げる。
「知り合いなんですか?」
「知り合いどころか、昔、封印箱の不具合を三日三晩一緒に直した仲だよ。あの男が危険物を雑に扱うなら、この街の半分の職人は店を畳むべきだ」
イザークは通達を机へ放った。
「文面が曖昧だ。危険だと言いながら、何が危険か書いていない。白い術式? 村民扇動? 水利不安? まるで、読む側に勝手に怖がれと言っているようだ」
「役所には報告しますか?」
「通達上はな」
イザークはにやりともせず答えた。
「ただし、オリヴァーが来たらまず私が会う。荷も、うちの封印室で確認する。役所の素人に触らせる方が危険だ」
そこへ、治療院からの使いがやって来た。
消毒水の曇り。
包帯の灰色染み。
薬効低下。
説明を聞いたイザークは、表情を変えた。
「……通達の旅治療師が来る前に、治療院で異常か」
偶然と言えば偶然で済む。
だが、魔道具屋の勘が、それを嫌がった。
「反応針と白石布を用意しろ。院長には、こちらで一度見に行くと伝えてくれ」
使いが出ていくと、イザークは店の奥に向かって声をかけた。
「セリア、手が空いているか」
奥から、革手袋をはめた若い女が顔を出した。
「空いていません。でも呼びましたよね」
「治療院の水と包帯に異常だ。見に行く」
「黒系ですか?」
「まだ分からん」
「分からない時点で嫌な予感しかしませんね」
セリアは白石布の束を手に取った。
イザークは少しだけ目を細める。
「それと、オリヴァーが来るかもしれん」
「オリヴァー・コックス?」
「そうだ。通達では厄介者扱いだが、私は別の見方をする」
「じゃあ、通達は半分信用しない方向ですね」
「半分どころか、四分の一だ」
セリアは短く笑った。
「了解です」




