指が動いたと伝える日
村を出ると決めたからといって、すぐに旅立てるわけではなかった。
ミラは、翌朝から診療所代わりの空き家で荷物を広げ、必要なものと置いていくものを仕分けていた。
薬草の束。
包帯。
小瓶に入れた軟膏。
祠の泉の水。
乾燥させた白花。
魔力結晶。
治療記録の帳面。
白花と剣の紋を写した紙片。
旅治療師として荷物を増やしすぎるわけにはいかない。
けれど、今のエリオットの治療には、普通の旅支度以上のものが必要だった。
「泉の水は、三瓶。全部持っていくべきかな……でも割れたら困るし……」
ミラは小瓶を布で包みながら、ひとり呟いた。
机の上には、村人たちからの差し入れも並んでいる。
干し果物。
硬焼きのパン。
蜂蜜入りの焼き菓子。
干し肉。
薬草茶。
小さな塩の包み。
村を出ると聞いた人々が、次々と持ってきてくれたものだ。
「旅の途中で食べなさい」
「エリオットにも食べさせてやって」
「治療師さんが倒れたら困るからね」
皆、口々にそう言って、ミラが断る間もなく置いていった。
ありがたい。
ありがたいのだが、荷物は確実に増えている。
ミラは干し肉の包みを見つめて、少し困ったように笑った。
「……これ、エリオットさんの荷物に入れてもらおうかな」
そう呟いたところで、扉が叩かれた。
「ミラ」
噂をすれば、というやつだった。
「はい、どうぞ」
扉を開けると、エリオットが立っていた。右腕は包帯で保護され、左肩には古い旅鞄をかけている。
大きな体に対して、鞄は少し小さく見えた。
「おはようございます。もう荷造りを?」
「ああ。祖父母の家に置いていくものと、持っていくものを分けていた」
「重いものは持たないでくださいね」
「左手で持てる程度だ」
「左肩に負担をかけすぎても駄目です」
「……君は、俺の全身を診るつもりか」
「必要なら診ます」
ミラが真顔で答えると、エリオットは何とも言えない顔をした。
「入っても?」
「もちろんです」
エリオットは室内へ入り、机の上の荷物を見た。
「多いな」
「村の皆さんが持たせてくれました」
「だろうな」
エリオットは干し肉の包みを見て、少しだけ目を細めた。
「これはヘイスさんの家のだ」
「分かるんですか?」
「あの家は干し肉に香草を多めに使う」
「詳しいですね」
「村の味だからな」
何気ない言葉だった。
けれどミラは、その言葉に少しだけ胸を突かれた。
この村は、エリオットが傷ついて戻ってきた場所だ。
居づらさも、気遣われる苦しさもあった。
それでも、彼にとって故郷なのだ。
この村の味も、家の匂いも、祠へ続く道も、きっと彼の中に染みついている。
その場所を、彼はまた出ようとしている。
今度は剣を失ったまま逃げるためではなく、剣を取り戻すために。
「エリオットさん」
「何だ」
「今日も歩行確認をします。昨日より少しだけ距離を伸ばしますが、痛みが四を超えたら戻ります」
「分かった」
「本当に?」
「分かった」
「あと、旅鞄の重さも見せてください」
「軽い」
「見せてください」
エリオットは黙って鞄を差し出した。
ミラが受け取ると、確かにそれほど重くはない。着替えと簡単な道具、包帯、外套、古い手帳のようなもの。それから、布に包まれた細長い何かが入っていた。
ミラの視線に気づいたのか、エリオットが言った。
「木剣じゃない」
「まだ何も言っていません」
「言いそうな顔をしていた」
「顔で判断するんですか」
「治療師が患者の顔色を見るなら、患者も治療師の顔色くらい見る」
ミラは少しだけ言葉に詰まった。
エリオットは、どこか満足したように続ける。
「伸縮性の短い杖だ。歩く時に使う」
「杖?」
「右腕を庇って歩くと、少し姿勢が傾く。君が昨日見ていただろう」
ミラは目を丸くした。
確かに昨日、歩行確認の後、エリオットの左肩にわずかな強張りが出ていた。右腕を無意識に庇い、歩き方が崩れていたのだ。
ミラはそれを記録していた。
だが、エリオット自身も気づいていたらしい。
「良い判断です」
ミラは素直に言った。
エリオットは少しだけ目を逸らす。
「君にまた肩がどうこう言われる前にと思ってな」
「成長していますね」
「だから子ども扱いするな」
「患者さんとして褒めています」
「同じだ」
そう言いながらも、エリオットの声は柔らかかった。




