表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
229/252

祠の声 3

 同じ瞬間、エリオットの右腕に熱が走った。

 今度は、手首だけではない。

 薬指。

 小指。

 手のひら。

 失われていた場所に、次々と感覚の灯がともる。

 彼は息を詰めた。

 右手が、重い。

 右手が、ある。

 動かしてはいけない。

 見せてはいけない。

 そう思ったのに、ミラがふらついた。

 光が収まり、彼女の膝が崩れかける。

 エリオットは咄嗟に左手を伸ばした。

 同時に、右手がわずかに動いた。

 握ったわけではない。

 支えたわけでもない。

 けれど、補助具の中で右手の指先が、布を押さえた。

 ほんの一瞬。

 自分の意思で。

 エリオットは息を止めた。

 その動きは、ダリオが前に立っていたおかげで、外側の密偵からは見えなかった。

 エリオットはすぐに右手を動かさず、左手だけでミラを支える。

「ミラ」

「……大丈夫、です」

「座れ」

「はい」

 今度は逆らわなかった。

 オリヴァーもすぐに駆け寄る。

「顔色は?」

「少し、力が抜けました。でも、黒を掴んではいません」

「よくやった」

 その声には、父としての安堵と、職人としての驚きが混じっていた。

 ミラは祠の水を見た。

 澄んでいる。

 まだ完全ではないかもしれない。けれど、さっきまでの閉じ込められたような重さは消えていた。

     

 リーナが村の方から走ってきた。

「熱が……!」

 息を切らしている。

「三人とも、熱が下がり始めた。さっきまで戻りかけていた老人も、汗をかいてる」

 村人たちのざわめきが大きくなる。

「白花の治療師だ」

「祠が応えた」

「水が澄んだ」

「女神様の……」

 役人が顔を青ざめさせて叫んだ。

「黙れ! 不審な術式だ! 記録を――」

「記録してください」

 オリヴァーが静かに言った。

「祠に触れず、水源を掘らず、黒い銅片が水に押し出されました。白石布で回収。祠の水の濁りが薄れ、患者の熱低下が確認された。すべて、監視役の目の前で起きました」

 エリオットも、左手で記録帳を開いた。

「発言も記録します。現地役人は、これを不審な術式と主張」

 役人は震えていた。

 怒りか、恐怖か。

 もはや彼自身にも分からないのだろう。

 彼らは監視していた。

 白い噂を抑えるために。

 だが、その監視が、白花の力の証人を増やしてしまった。

     

 祠の処置の後、オリヴァーはすぐにサンプルを採った。

 祠の水。

 媒介解除前後の反応写し。

 黒い銅片と黒糸の灰。

 祠の石組みに残る古い刻線の写し。

 白花が流れた水滴を吸わせた白石布。

 患者の薬草茶の変化記録。

 そして、エリオットの右手の共鳴記録。

 ただし、最後の記録だけは別に封じた。

「これはライヘル宛てだけに送る」

 オリヴァーは低く言った。

「王都側へ広く出す資料には入れない」

 ミラは少し不安そうに尋ねた。

「兄さんに、私のことを調べてもらうんですか」

 オリヴァーは手を止めた。

 そして、娘をまっすぐに見た。

「君を調べるためじゃない。君を守るために、何が起きているのか知らなければならない」

 ミラは何も言えなかった。

 エリオットが静かに言う。

「俺の右手の記録も、必要です。ミラの力と同時に反応しているなら、隠していては判断を誤る」

「……でも」

「見せる相手を選ぶだけだ」

 彼はそう言った。

 今朝、オリヴァーが彼に言った言葉と同じだった。

 ミラはゆっくり頷いた。

「分かりました」

     

 その夜、サリア水車村の水車は軽く回っていた。

 ごとり、ごとり。

 昨日までの重さは、もうない。

 村人たちは祠へ花を供え、患者の家では安堵の泣き声が聞こえた。

 だが、空き家の中は静かだった。

 ミラは疲れて眠っている。

 オリヴァーはサンプルを封じている。

 ロアンは記録を清書している。

 ダリオは外で、剣を知る密偵の気配を見ている。

 エリオットは、窓のない小部屋で右手を見下ろしていた。

 ミラとオリヴァーの前だけで、短く確認した。

 薬指と小指の感覚は残っている。

 手のひらには、布を押さえた感触がかすかに残っていた。

 右手で、ほんの一瞬だけ、布を押さえた。

 それだけだ。

 剣を握るには遠い。

 それでも、彼にとっては大きすぎる一歩だった。

「追加確認は禁止です」

 ミラは眠る前、弱い声でそう言った。

 エリオットは小さく笑った。

「分かっている」

 本当に、分かっていた。

 戻りかけたものを、壊してはいけない。

 守るために、待つ。

 それを覚えた手は、ゆっくりと、しかし確かに戻り始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ