祠の声 2
祠へ向かう許可は、またしても簡単には下りなかった。
役人は顔を真っ赤にして反対した。
「水車の次は祠か! どこまで村の神聖な場所を荒らすつもりだ!」
ネリアは杖をつきながら、静かに前へ出た。
「神聖な場所を荒らしたのは、誰だろうね」
その一言で、周囲が静まり返った。
水車軸から出てきた黒い木札と黒糸。
村人の誰も知らない異物。
それを目撃した後では、役人の言葉は以前ほど強く響かない。
マルコも言った。
「水車には実際に異物があった。祠の下の水源にも異常が残る可能性がある。水利監察であるなら、確認を拒む理由はないはずです」
「男爵様の許可が――」
「患者の再発が確認されています。確認を拒むなら、その判断を記録に残してください」
また記録。
また責任。
役人は唇を歪めた。
村人たちが見ている。監視役もいる。水車の媒介を見た以上、祠の確認を拒み続けるのは難しい。
「……祠に触れるな」
役人は絞り出すように言った。
「石組みの外側から確認するだけだ。祠の扉を開けることは認めない。水源に直接手を入れることも禁じる。監視付きだ」
「承知しました」
オリヴァーが答えた。
ミラはエリオットを見る。
エリオットは小さく頷いた。
「手順通りに」
「はい」
祠の前に立つと、ミラの胸元の白花のペンダントが強く熱を持った。
痛いほどではない。
けれど、これまでで一番はっきりしている。
祠は苔むした小さな石造りだった。白い花が周囲に咲き、細い水が石段の下から湧いている。昨日より水は澄んで見えたが、ミラの目にはまだ奥に黒い筋が見えた。
石の下。
水源へ続く古い道。
そこに何かが差し込まれている。
オリヴァーは反応針を近づけた。
針先が、ゆっくりと黒く染まる。
「やはりある」
ロアンが息を呑んだ。
「でも、位置が深いです」
「石組みの外からでは取り出せないかもしれない」
役人がすかさず言う。
「ならば終了だ。祠には触れるなと言った」
ミラは祠を見つめた。
黒い媒介は、確かに深い。無理に取り出そうとすれば、祠そのものを崩すことになる。そんなことはできない。
けれど、夢の声が言っていた。
黒を掬い上げてはいけない。
ミラは目を閉じた。
水の音を聞く。
ごとり、ごとり、と遠くで水車が回る。
さらさらと、足元で清水が流れる。
その奥に、細い声があった。
――壊さないで。
――奪わないで。
――道を、思い出させて。
ミラはゆっくり手を上げた。
祠には触れない。
水にも触れない。
ただ、胸元の白花を両手で包み込む。
「水が戻る道を、見ます」
エリオットが半歩近づいた。
「無理なら止める」
「はい」
オリヴァーが遮断具を構える。
「私は外側の歪みを見る。ミラ、君は源の流れだけを見て」
ミラは頷いた。
白花の光が、静かに広がった。
それは派手な光ではなかった。
祠の周囲に咲く白い花が、ひとつ、またひとつと揺れる。水面に落ちた花びらが、淡い光を帯びて流れ始める。
村人たちは息を呑んだ。
役人も、監視役も、動けなかった。
ミラには、祠の下が見えた。
古い石組み。
白い水脈。
その上に差し込まれた、黒く濡れた銅片。
銅片には黒蜜が塗られ、細い糸が水脈の流れを閉じ込めている。
けれど、それを掴んではいけない。
ミラは黒い銅片を見ないようにした。
その下にある、まだ死んでいない白い流れを見る。
細く、苦しげに、けれど確かに戻ろうとしている流れ。
「そこ……」
ミラは囁いた。
「そこが、道です」
白い光が、水脈の底へ細く伸びる。
黒い媒介を壊すのではなく、その周囲に閉じ込められていた白い流れへ道を示す。
オリヴァーが息を呑んだ。
「黒い銅片が浮いてくる」
実際、祠の下の水面に小さな黒い影が浮かび上がってきた。
石組みを壊していない。
誰も掘っていない。
水が、自分で異物を押し出そうとしている。
ネリアが震える声で言った。
「女神様が……水を返してくださっている……」
ミラは歯を食いしばった。
自分がやっているのではない。
そう思った。
自分はただ、道を照らしているだけだ。
水が戻ろうとしている。
祠が、閉じ込められたものを外へ出そうとしている。
黒い銅片が、ついに水面へ浮いた。
「ロアン!」
オリヴァーの声。
ロアンが白石布を広げる。
オリヴァーは遮断具で銅片の外側の糸を挟み、切った。
ぱきん、と小さな音がした。
黒い糸が灰になり、銅片は白石布の上へ落ちた。
その瞬間、祠の水が一気に澄んだ。
白い花が、水面に浮かぶ。
一輪ではない。
いくつもの白い花が、祠の奥から流れてくる。
村人たちが膝をついた。
誰かが泣いた。
ミラは光の中で、顔の見えない女性の声を聞いた。
――ありがとう。
その声は、昨夜よりもずっと近かった。
優しく、疲れていて、けれど確かに安堵していた。




