表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
227/237

祠の声 1

 水車の黒糸を切った翌朝、サリア水車村の水音は少し変わっていた。

 昨日まで、水車の輪は重く沈むように回っていた。

 ごとり、ごとり、と同じ場所へ戻されるような音。

 けれど今朝は違う。

 水が落ちる音の奥に、細く澄んだ響きが混じっている。まだ完全ではない。どこかで濁りが残っている。それでも、閉じ込められていた輪の一部が開いたのだと、ミラには分かった。

 最初に診た男の子の熱は、夜のうちに大きく下がっていた。

「汗をかいて、朝まで眠れたんです」

 母親は涙ぐみながら言った。

 ミラは男の子の手首に触れ、体内の白い流れを見る。

 喉から胸へ向かう流れは、昨日よりずっとまっすぐだった。けれど完全には戻っていない。流れの奥、もっと深いところで、まだ細く黒い筋が引いている。

「よくなっています。でも、まだ少し引っぱられています」

 ミラは静かに言った。

「水車の媒介は切れた。けれど、祠の下の水源にまだ残っているものがあるのかもしれません」

 母親の顔が不安に曇る。

 リーナが険しい顔で頷いた。

「やっぱり、祠かい」

 その言葉に、壁際の監視役がすぐに反応した。

「祠への接近は禁止だ」

 エリオットは、すでに記録帳を開いていた。

「水車軸の媒介除去後、患者の熱は低下。しかし白流の深部に歪みが残存。治療師は祠下の水源確認を提案。監視役は接近禁止を主張」

「だから、まだ主張とは――」

「では、許可しますか」

 エリオットの声は淡々としていた。

 監視役は黙り込む。

 リーナは小さく息を吐いた。

「この村で、祠の水源を見ずに水の異常を語るなんて無理だよ」

     

 午前のうちに、村長マルコが空き家へ来た。

 彼は昨日よりもさらに疲れて見えた。男爵側からの圧力は強まっているのだろう。それでも、彼の声は揺れなかった。

「祠の下の石組みを確認したい」

 マルコは言った。

「村長として、水源の安全確認を求めます」

 オリヴァーは机に広げた水路図を見つめていた。

「水車軸の媒介は切りました。けれど、患者の流れと祠水の反応にはまだ歪みが残っています。水源側にも媒介、あるいは古い流れを塞ぐものがある可能性が高い」

 ミラは黙って聞いていた。

 昨夜、また夢を見た。

 水面に白い花が浮かび、祠の下から声がした。

 ――まだ、届きません。

 ――石の下に、忘れられた道があります。

 ――閉じた輪を開いても、源が濁れば水は迷います。

 それは助けを求める声だった。

 優しいのに、苦しそうな声。

 ミラは、自分が何を聞いているのかまだ分からない。けれど、あれがただの夢でないことだけは、もう否定できなかった。

 オリヴァーがミラとエリオットを見た。

「二人に話しておきたいことがある」

 部屋の空気が変わった。

 ロアンは筆を止め、ダリオは入口へ視線を向けた。外に誰もいないことを確認して、静かに扉を閉める。

 オリヴァーは言葉を選びながら続けた。

「ライヘルが調べている古い伝承と、ミラの力には重なる点がある」

 ミラは息を止めた。

「私の力と……伝承?」

「まだ断定はできない。ライヘルも、私も、軽々しく結論を出すつもりはない。ただ、サリアの白花、水、祠、病を鎮める女神の記録。それからエリオット君の村に残っていた治癒の女神の伝承。そこに似た要素が多い」

 エリオットの表情が硬くなる。

 オリヴァーはすぐに彼へ視線を向けた。

「エリオット君。君が原因だと言っているわけではない」

 先に言われ、エリオットは言葉を失った。

「君の腕を治そうとしたから、ミラがこうなったのではない。君とミラの力が、同じ黒いものに抗う形で響いている。そう考えた方が近い」

 ミラは胸元の白花を握った。

「私は……何か特別なものなんでしょうか」

「特別かどうかは、まだ分からない」

 オリヴァーは穏やかに答えた。

「ただ、君は今までの治療魔法とは違うものを見ている。人の傷だけじゃなく、土地や水が戻ろうとする流れを見ている。だから怖がらなくていい。でも、背負いすぎてはいけない」

 ミラは唇を噛んだ。

 怖い。

 けれど、逃げたいわけではなかった。

 サリアの水は苦しんでいる。患者たちも苦しんでいる。祠の下から届く声も、助けを求めている。

「……私は、何をすればいいですか」

「黒を掴まないこと」

 オリヴァーは言った。

「夢で聞いた通りに。流れが戻る道を見る。私は媒介を探し、切れるなら切る。エリオット君は君を止める。ダリオは外を見る。ロアンは記録する。君一人で奇跡を起こす必要はない」

 エリオットが静かに頷いた。

「俺も、そう思う」

 ミラは二人を見た。

 父と、相棒。

 その言葉で、胸の奥の震えが少しだけ落ち着いた。

     


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ